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閉じ込められた自分の言葉が、再び生き始めるきっかけとは──手話を言葉として生きる写真家・齋藤陽道さんと考える、コミュニケーションの「そもそも」【学びのきほん つながりのことば学 #3】

NHK出版デジタルマガジン

閉じ込められた自分の言葉が、再び生き始めるきっかけとは──手話を言葉として生きる写真家・齋藤陽道さんと考える、コミュニケーションの「そもそも」【学びのきほん つながりのことば学 #3】

齋藤陽道さんによる「コミュニケーションのそもそも論」#3

手話を言葉として生きる写真家として知られる、齋藤陽道さん。

手話を禁じられ心から言葉が離れていった幼少期や、手話に出会い、初めて会話の楽しさを知った高校時代、心の底から他者とつながるために写真を撮り続けた日々など、齋藤さんが「つながり方」を発見していった過程を、他者との関係性に悩む人への道しるべとして読み解く『NHK出版 学びのきほん つながりのことば学』が発売となりました。

今回は本書より、齋藤さんと手話との出会いについての一節を特別公開します。(全3回の第3回)

NHK出版 学びのきほん つながりのことば学 書影

手話との出会い

 幼いころ、ぼくは手話を否定していました。

 母は、息子が聞こえないとわかったとき、家の近くにあった「きこえとことばの教室」へまず相談に行きました。そこで出会った先生が、「聴覚口話法」を推奨する人でした。

 聴覚口話法とは、聴覚障害のある子どもが、補聴器や人工内耳を活用して残存聴力を最大限に使い、口の動きを見て相手の言葉を理解し、自分の声で話すための訓練をおこなう教育方法です。

 ろう学校に行ったほうがいいのかという母の相談に対し、その先生は「手話を覚えるのはやめなさい。犬のようにしか話せなくなるし、知能も犬並みになります」と答えました。

 約四〇年前ということを考慮しても、擁護のしようがないひどい発言です。子どもが聞こえないとわかったばかりで動揺している母の「子どもと話したい」という切実な願いにつけこんだ脅しとも言えます。

 ただ当時の教育では、「聴者のように話せて聞こえるようになるには、手話を使ってはいけない」と信じられていました。手話を覚えることで音声言語の習得が妨げられるとされていたのです。両親もまた、ぼくの未来の可能性を信じて、この方針に従いました。ぼく自身も、手話を覚えないことが「頑張っている証」だと信じるようになりました。

 それから補聴器をつけて、音声だけでコミュニケーションができるようになることを目指した訓練が始まりました。厳しい訓練でした。自分では正しいかどうかもわからない「きれいな発音」を求められる日々が続きます。幼いころの記憶は、この訓練のせいでほとんど残っていません。

 ぼくたちはそれぞれ、違う個性や特徴を抱えています。しかし、多数派が自分の考えや、自らの言葉を絶対視するとき、少数派は自分の気持ちを多数派に受け入れられやすい形に合わせて表現することがあります。多数派が自らの特権性を自覚しないとき、少数派は自分の言葉で話す権利を奪われてしまうのです。

 それでも、奪われた声は消えてしまうわけではありません。声や言葉は、それでもなお、その人の命と等しいものとして残り続けます。たとえ、一時的に奪われたとしても、声の源は、必ずその人の奥底で生き続けています。

 心の奥に閉じ込められた自分の言葉が、再び生き始めるきっかけとなるのは、「ことば」の存在です。

 手話との出会いは、人生を大きく変えました。

 普通学校に通っていたときは「おはよう」という短い挨拶ですら苦労していたのに、手話だとすんなり伝えることができました。相手からの「おはよう」も、するりと伝わってきます。

「おはよう。今日は一時間目が数学のテストだね」
「おはよう。そうだった、テストがあるんだった!」
「結構、範囲が広いけれど、勉強できた?」
「ははは、まさか。昨日は部活のサッカーで疲れてすぐ寝ちゃったよ!」
「ぼくもそう! 遊びまくってすぐ寝ちゃった。困ったな」
「まあ、大丈夫。大丈夫。なんとかなるだろう」

 何気ない会話です。ですが、この会話は、言葉が言葉を呼び、言葉が交わるコミュニケーションとして成り立っています。これが筆舌に尽くしがたいほど嬉しかったのです。「ぼくは、まだ生きられる」と思ったほどでした。

 ろう学校での高校生活は、こうしたささやかなやりとりの一つひとつを嚙みしめながら過ごしました。

「言葉は耳で聞くものだと思っていたけれど、目で聴く言葉もあった」

 この認識の転換は、世界が一変するほどに大きなものでした。

 手話は、ぼくにとって恩人ならぬ「恩言語」と呼ぶにふさわしいものです。

 一六歳になって初めて、本当の意味で人と心を通わせるコミュニケーションを知りました。ずいぶん遅いスタートだったので、経験不足からくる失敗も多々ありました。本で読んだ知識だけで会話をするところもあったため、相手の言葉を柔軟に受け止められなかったりと、頭でっかちな部分もありました。

 高等部を卒業したあとの二年間は、同じろう学校の専攻科に通っていました。専攻科は、ろう学校高等部を卒業後、就職に向けてより専門的な知識や技術を身につけるところです。

 専攻科では、就職に役立つような資格をいろいろ取得しました。ワープロ検定、簿記検定、英語検定などです。そうした勉強をしながらも「また聞こえる人ばかりの社会に戻らなきゃいけないのか」と暗い気持ちでした。五年間ではまだ言葉に対する傷は癒えていなかったのです。

 手話を自分の言葉として働くイメージが持てないこともあったのでしょう。成人して一人で生活する自分の将来像が思い描けませんでした。

 この時期に、現在の妻となる、まなみと交際を始めました。まなみは家族がみんなろう者のデフファミリー育ちです。手話のネイティブなので、本には載っていない手話表現をたくさん教えてもらったりしました。

 手話によるケンカも、まなみと初めて経験しました。

 それまでのぼくが経験してきたケンカは、音声で一方的に言い負かされるものでした。激情のままに発せられる音声は、とても聞き取れるものではありません。聞き返すことも、言い返すこともできずにいると、「わかっていない」「反省していない」「話を聞いていない」と受け取られてしまいます。たまらず手が出てしまうこともありましたが、口のたつ相手の言い分だけが通り、ぼくが一方的に悪者にされてしまいました。

 ケンカというと、自尊心がボロボロになるだけの屈辱的なものでしかありませんでした。

 そうしたケンカしか知らなかったため、ぼくもまた同じ過ちを繰り返しました。自分よりも力の弱い存在に向けて、一方的に言いたい放題の挑発的なケンカをしかけていました。何も言えず、口をつぐむ相手の姿を見ることに、淀んだ快感を覚えていました。

 勝敗を決めるために、人格を攻撃して、誹謗中傷を放つのが「ケンカ」だと考えていました。現代の偏った意味合いで使われる「論破」と近いかもしれません。

 相手を打ち負かすこと、議論で優位に立つこと、さらには相手を黙らせるといった意味合いで使われる「論破」を求めていくと、自分にとって都合のいい問題解決に向けて、性急に答えをまとめようとしてしまいます。

 相手を尊重せず、一方的な「言葉」を投げつけると、「ことば」の土壌を無視した「言葉」だけのやりとりになります。そうなると、相手の様子や沈黙、戸惑いのような、言葉の奥にある気持ちや背景を察知する余地がなくなり、主張や命令のぶつかり合いになってしまいます。自己本位で一方的に言葉を押しつけても、何も生まれません。

 ですが、まなみとのケンカは「言葉」だけではなく、ぼくの背負ってきた歳月や想い、ふるまいといった、その人の歴史を含んだ「ことば」を認めたうえで、時間をかけながらお互いの意見を交えていこうとするものでした。

 まわりくどく、時間がかかってイライラすることもありましたが、最終的には、ぼくを一個の人格ある存在として見なすことを諦めないまなみの姿勢に心を打たれました。

 かりそめの論破をいくら積み重ねようとも、一人の言葉に心を傾け、まっすぐ受け止めようとする者の凄みに、かなうはずもありませんでした。

「相手の言葉も、私の言葉も、等しく価値がある。時間をかけて、お互いに言葉を重ねながら、世界が新たに拓かれる関係をともに育んでいく」

 こうして言葉にしてみるとなんと当たり前でありながら、なんと崇高なおこないなのだろうと思わされます。

 まなみとのケンカを通して、言葉を積み重ねていくことの意味を知りました。「言葉」として表に現れる一つひとつには、その人が歩んできた時間や出来事が宿っていて、そうした「ことば」に触れるには、時間をかけるしかない。

 そうした図式をイメージできるようになってから、ぼくは性急に意味のある言葉だけを求める姿勢に歯止めをかけることができるようになりました。

 高等部の三年間は、人間関係の失敗をたくさん経験しながらも、積極的に会話を重ねて手話の語彙を増やすことに明け暮れていました。専攻科の二年間は、手話を通して培った「言葉」から、人間の心の機微や、人間の存在に深みをもたらす「ことば」について理解し始めた時期だったのだと、今振り返ってみて思います。

『NHK出版 学びのきほん つながりのことば学』では、言葉が伝わらないことを身にしみて知っているからこそ見出した、「言葉の共有地」「言葉の解像度」「消感動と宿感動」「存在を聴く」などの視点から、安易なノウハウではない、コミュニケーションの「そもそも」を考えていきます。

著者紹介

齋藤陽道(さいとう・はるみち)
1983年、東京都生まれ。写真家。都立石神井ろう学校卒業。2020年から熊本県在住。2010年、写真新世紀優秀賞受賞。2013年、ワタリウム美術館にて新鋭写真家として異例の大型個展を開催。2014年、日本写真協会新人賞受賞。写真集に『感動』、続編の『感動、』(赤々舎) で木村伊兵衛写真賞最終候補。著書に『異なり記念日』(医学書院)、『声めぐり』(晶文社)、『ゆびのすうじへーんしん』(アリス館)、『よっちぼっち 家族四人の四つの人生』(暮しの手帖社・熊日文学賞受賞)など。2022 年に『育児まんが日記 せかいはことば』( ナナロク社) を刊行、NHK Eテレ「しゅわわん!」としてアニメ化。同年、NHK Eテレ「おかあさんといっしょ」のエンディング曲「きんらきら ぽん」の作詞を担当。写真家、文筆家以外にも、活動の幅を広げている。
※刊行時の情報です

◆『NHK出版 学びのきほん つながりのことば学』「はじめに」より
◆ルビなどは割愛しています

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