【オスマン帝国】後宮の女性たちが定期的に受けていた「恥ずかしい検査」とは
オスマン帝国の後宮、いわゆる「ハレム」は、長らく「皇帝の愛人たちが集められた官能的な空間」として語られてきた。
西洋においては、裸体の美女たちが優雅に過ごす幻想的な「ハーレム」のイメージが流布され、19世紀の画家ドミニク・アングルの絵画『Le Bain Turc』などが知られている。
しかし、実際の後宮(ハレム)は、それとはまったく異なる空間であった。
そこは、厳格な規律と序列に貫かれた女性だけによる官僚的社会であり、国家を支える重要な制度だったのである。
女性たちは、単なる皇帝の愛人ではなく、「皇帝の血統」と「国家の安定」を担う存在として、徹底した管理と教育を受けていた。
なかでも象徴的な制度のひとつが、後宮に迎え入れられた女性たちに対して行われていた「定期的な全裸での身体検査」であった。
現代の価値観からみれば問題視されそうな制度であるが、当時のオスマン帝国においては、不可欠な国家的検査だったのだ。
入宮直後に全身洗浄の儀式
オスマン帝国の後宮で働く女性たちの多くは、戦争捕虜や奴隷商人によって連れてこられた、女奴隷(ジャーリヤ)であった。
彼女たちは後宮に入ると、まず国家の財産として正式に登録された。
私的な召使いではなく、「皇帝に仕える国家資産」として、厳格に管理されたのだ。
後宮での生活は、まず浴場に連れて行かれ、全身を徹底的に洗浄されることから始まる。
この洗浄は、衛生措置だけでなく、後宮という特別な空間に入るための儀式の意味も含んでいたという。
洗浄の次に行われるのが、全裸での全身検査である。
これは、健康状態の確認と同時に、後宮にふさわしい人物かどうかを見極めるための選別でもあった。
「適格な者」と「不適格な者」をふるい分け、後宮全体の衛生と秩序を保つための制度だったのである。
検査は、医師や経験豊富な女官と宦官によって行われ、女性たちはすべての装飾を外され、全裸のまま検査に臨むことが義務とされた。
この段階から、彼女たちは皇帝に仕える女性としての訓練を受ける対象となり、厳格な選別の目をくぐり抜けなければならなかった。
全裸検査の内容
後宮入りした女性たちが最初に受ける「全裸での全身検査」の内容は、主に以下であった。
● 美貌・健康・若さの確認
まず確認されるのが、美貌・健康・若さといった資質である。
後宮には1,000人を超える女性が在籍していたとされるが、そのすべてが皇帝の寵愛を受けられるわけではなかった。
皇帝にふさわしい相手を選び抜くため、女性たちは全裸で上から下まで全身を診察された。
『視診による美貌の確認』
・顔立ちや肌の色艶(美貌の基準)
・体型の均整(肥満・痩せすぎ・姿勢など)
・肌の状態(疥癬・湿疹・発疹の有無)
・四肢のバランスや歩き方が整っているか、異常がないか)
・傷痕・刺青・火傷跡の有無『触診による健康状態の確認』
・関節の動き
・筋肉の張りや皮膚の柔軟性
・腫れやしこりがないか
・臓器に異常がないかの腹部の軽い圧診『年齢の推定』
後宮に入る女性の多くは奴隷だったため、正式な出生記録を持っていなかった。そのため、年齢は身体的な兆候によって推定された。
・第二次性徴の状態(乳房の発育、恥毛など)
・歯の磨耗や肌の張り(老化の兆候がないか)
● 処女性の確認
検査のなかでも重視されたのが、処女性の確認である。
皇帝に仕える女性は原則として処女であることが求められ、外部の男性と関係を持った痕跡や密通の疑いがないか、視診と触診によって慎重に調べられた。
一人の判断ではなく、複数人の確認と合意のうえで診断されたと考えられている。
● 妊娠と感染症のチェック
さらに重要だったのが、妊娠の有無と感染症のチェックである。
妊娠している女性が皇帝の寵愛を受ければ、その子どもの父親を巡って後継者争いが生じる可能性があるため、この点は非常に厳しく確認された。
また、梅毒などの性病は皇帝の健康を脅かしかねず、皮膚疾患やリンパ系の病気も含めて、徹底した検査が行われた。
とりわけ皇帝に選ばれる可能性が高いと見なされた女性には、より入念で厳格な検査が課されたと伝えられている。
定期検査
入宮直後の全裸検査で不合格と判断された女性たちは、皇帝の食事の毒見、炊事、洗濯といった雑務を担う下級女官として生きることになった。
一方、検査に合格した女性たちは「新入り(アジェミー)」として認められ、まずは一定期間、隔離された部屋での生活を命じられる。
これは感染症の予防や、新たな生活環境への適応を目的とした措置であった。
隔離期間中、彼女たちは教育係の女官によって、礼儀作法や後宮内の規律を徹底的に叩き込まれた。
加えて、刺繍、音楽、舞踏、書字といった教養も学びながら、段階的に後宮の秩序と日常に組み込まれていった。
彼女たちはその後も、定期的に全裸での身体検査を受けることが義務づけられていた。
とりわけ重視されたのが、皇帝が夜伽(よとぎ)の相手を選ぶ直前に行われる、特別な身体検査である。
候補者の女性は、以下のような項目を細かく審査された。
・肌の状態(乾燥や疾患の有無)
・体型と均整のバランス
・顔立ちの整い具合
・香り(体臭や香料の使い方)
・所作や態度
こうした検査では、外見の美しさだけでなく、振る舞いを含めた「皇帝の側にふさわしいかどうか」が総合的に評価された。
病気や容姿の衰えが確認された女性は、「旧室(エスキ・オダ)」と呼ばれる部屋に移され、現役の任務から退き、裏方の仕事に就かされた。
一方、健康と美貌、教養を兼ね備えた女性は、より高い地位へと昇進するチャンスを得た。
つまり、この全身検査は皇帝個人のためだけでなく、後宮の秩序と序列を維持し、誰が次の段階に進むに値するのかを見極める手段だったのだ。
後宮女性たちの出世システム
オスマン帝国の後宮には、厳格な出世の階梯が存在していた。
新たに入宮した女性は、新入り(アジェミー)として見習い期間を過ごし、礼儀作法や教養を身につけながら、下働きを通じて後宮の生活に慣れていく。
その後、経験を積むと女中(カルファ)や、女中頭(ウスタ)へと昇進し、実務や後輩の指導にあたる。
ウスタは、後宮内での実務や人事の運営を支える中核的な役職であり、各部門における指導的立場にあった。
こうした階段を着実に上った女性たちの中から、とくに容姿や才能で群を抜いていた者が皇帝の目に留まり、愛妾(イクバル)へと選ばれることがあった。
さらに皇子を出産した女性や、皇帝の特別な寵愛を受けた女性には、夫人(カドゥン)への昇格の可能性が開かれた。ただし、皇子を産めば必ず昇格したわけではなく、寵愛の持続や後宮内での評価が影響した。
とくに皇帝の深い寵愛を長く受けた女性は、寵姫(ハセキ・スルタン)という、実質的に皇后に匹敵する地位に昇ることもあった。
ハセキの称号を得るには、皇子の出産に加え、教養と品行、後宮内での評判、さらには母后や有力女官からの支持も重要視された。
ハセキ・スルタンに昇格すれば、専用の私室と侍女が与えられ、後宮の実権を掌握する立場となる。
そして、自らの息子が皇帝に即位すれば、母后(ヴァーリデ・スルタン)として、後宮のみならず国家政治にまで影響力を持つ存在となったのである。
おわりに
このように、オスマン帝国の後宮(ハレム)は、単なる愛と欲望の舞台ではなく、国家の秩序と皇帝の正統性を守るために築かれた、緻密で冷徹な制度の世界だった。
また、検査は後宮という女性社会における最初の関門であり「履歴書」のような役割も果たしていた。
一人の女性が頂点に立つまでには、厳しい選別と規律、そして熾烈な闘いがあった。
そこに身を置いた無数の女性たちが背負っていたのは、個人の幸福ではなく、帝国の未来だったのである。
参考 :
『ハレム―女官と宦官たちの世界』小笠原弘幸(著)
『Haremde Bir Ömür』Leyla Saz(著)
『The City of the Sultan』Julia Pardoe(著)
文 / 藤城奈々 校正 / 草の実堂編集部