動かざること山のごとしのゲーマー夫、衝撃の一言「妊娠は病気じゃない」。その時、妻は…
40代ママライター、【あさ】です。現在は、教育工学のプロジェクトの記録調査員兼ライターをしています。28歳で妊娠し、29歳で男児を出産しました。しっかり者の長女と甘え上手の次男という感じでスタートした私たち夫婦の関係でしたが、そのバランスが妊娠で崩れました。
ワインが飲めない…、夫も同時につわりの初期症状?
イタリアへの新婚旅行3日目の夕食のとき、私は大好きなワインが急に飲めなくなりました。口に入れても、体が断固拒否して飲み込めないのです。
振り返るとおなかにいる息子が、「僕がいるよ。ワインを飲まないで!」と、お知らせしてくれたのだろうと思えるのですが、当時は、つわりだとは全く気づきませんでした。体は熱っぽくだるいし、全く食欲もなく、私はスティックサラダしか食べられませんでした。
結婚してから気がつきましたが、夫は、私の体調が悪いと、必ず自分も具合が悪いと言う人でした。その日も、私の分の肉まで完食しながら「俺もアルコールはいいや。風邪ひいたかも」と言いました。部屋に戻ってから私が用意した風邪薬を、夫も飲みました。
体調の悪い私を労わる気はなく、逆に無理をさせる夫
新婚旅行中は食事が取れず、日に日に体がだるくなるので、風邪薬を飲んだり、漢方胃腸薬を飲んだりしていました。その都度、夫も「体調が優れない」と、私と一緒に薬を飲んでいました。
フィレンツェのドゥオモに登るとき、私が「具合が悪いからエレベーターで上まで登ろう」と言ったのに対し、夫は「並ぶし、金がもったいない」と言い、結局階段で登ることになりました。石の階段の傾斜は急で、距離も長くつらかったので、頂上で夫が撮った私の写真は、顔面蒼白でした。
日中観光して部屋に戻ったら、私は疲れて眠りたいのですが、夫は夜、散歩に行こうと誘ってきます。断り続けたら夫にすねられたので、最後はつきあいましたが、やはり疲れてしまいました。
つわりで苦しむ私に一言「妊娠は病気じゃないから」
帰国後に病院へ行き、妊娠が判明しました。妊娠6週目には、水も吐いてしまうような、本格的な吐きづわりが始まりました。
正社員として会社勤めをしていたので、平日、帰宅後は夫1人分のご飯を作り置きし、洗濯をしていました。土日はたまった家事をするのですが、夫は出勤で不在が多く頼れません。買い物は生協の宅配を頼むことにしました。
そんな私の苦労とはよそに、夫は平日も、休みの日も、家では毎日ゲームをしています。洗濯物を畳む私の隣で、1日中ゲームをしている夫に腹が立ち、「私は具合が悪いの。少しは手伝って」と言ったときのこと。夫は私を見もせずゲームを続け、「妊娠は病気じゃないから」と言い放ったのです。
切迫流産で里帰り。母のアドバイスは「具体的に」
つわりで苦しんでいるときも、ゲーム三昧の夫に毎日イライラが募りました。でも、つわりに耐えて会社に行き、家事をすることが精一杯で、夫と話し合うこともなく日々が過ぎていきました。
ところが13週目に切迫流産と診断を受け、3週間は絶対安静の身になりました。夫といても休めないので、実家に帰ることにした私。母に、「つわりがつらい。夫は毎日ゲームばかりで、労わってくれない。私が元気なときは別に構わないけど、大変なときはフォローしてほしいのに」と、夫への愚痴をこぼしました。
すると、「男の人は察することはできないの。やって欲しいことは、具体的に言わないとダメよ」と母からアドバイス。「なるほど!」と納得した私は、帰宅後、夫に対して、即実行してみました。夫に「妊娠は病気ではないけれど、私が無理をしたら流産してしまうことがわかった。子どもの命を守るために、お願いすることはやって欲しい」と言いました。以降、洗濯、掃除など、具体的にお願いしたことは、そのときだけ、夫がやってくれるようになりました。
区の主催するプレ両親学級の妊婦体験で、妊婦の大変さを知り、病院の立会い出産講座でビデオを観て、子どもの誕生が楽しみになったことも、夫の変化につながりました。
[あさ*プロフィール]
あさです。夫と息子の3人家族です。0歳で息子を保育園に預け、正社員で働きながら、ワンオペ育児をしてきました。月日の経つのは早いもので息子は今年高校受験です。皆さまに役立つ記事が書けるよう頑張ります。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。