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スラム育ちがエリート相手に無双して億万長者になった話──『トレーディング・ゲーム』

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スラム育ちがエリート相手に無双して億万長者になった話──『トレーディング・ゲーム』

今日は、ビジネス寄りで面白かったノンフィクションをひとつ紹介したい。

ギャリー・スティーヴンソン著、千葉敏生訳『トレーディング・ゲーム 天才トレーダークソったれ人生』である。


著者はロンドンのシティバンクで活躍したトレーダーで、この本はその自伝的ノンフィクションなのだが、気さくな語り口で読みやすい。

経済やトレーディングに関心の薄い人でも、この本は楽しく読めること請け合いだ。なぜなら、この本は「カクヨム」か「小説家になろう」といったweb小説の世界でランキング上位になっていそうな楽しさとスピード感を伴っているからだ。


ロンドン郊外のスラムから始まるトレーディング成功譚

この本の前半パートについて、あらましを紹介しよう。

主人公にして著者のギャリーはロンドン東部の下町に生まれ、兄のおさがりの服を着てぼろぼろのサッカーボールを蹴って過ごす、そんな子ども時代を過ごした。下町と言ってもドラッグにかなり汚染されているから、スラムと言ったほうがいいかもしれない。


ギャリーたちの住む下町エリアからも、物語の中心舞台となるロンドンの金融街の高層ビルを見上げることはできる。けれども高層ビルからはギャリーたちの住むエリアは見えない。お金のある世界とない世界はそのように分け隔てられ、ギャリーも高校在学中にドラッグの販売に手を染め、退学になってしまう。


ギャリー少年の運命が変わりはじめるのは、彼がLSEに進学してからのことだ。LSEとはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスといい、外見こそ地味だが世界じゅうのエリートの子弟が争うように入学してくる、そういう学校だった。

立派な服を着て美しい英語を話す大富豪の子弟がウヨウヨしているなかで、数学の成績に秀でているが下町の格好をしたギャリーが異質な存在だったのはいうまでもない。


ここからのギャリーの快進撃が、本当にweb小説のようで楽しかった。

大富豪の子弟たちのなかで浮いていたギャリーは、一年生の段階では大学の授業にきちんと出席し、優秀な成績をおさめる。数学の才能に恵まれた彼にとって、それは朝飯前のことでしかなかった。

ところが二年生になり、周囲の学生がインターンシップ活動に乗り出した時、ギャリーはすっかり出遅れてしまう。一流企業のインターンシップを獲得していくエリート学生たちと違って、彼には誇れるような“箔”も社交術もない。窮地に立たされたギャリーだったが、エリートたちも一目置く学業成績と数学的才能が突破口になる。

同級生に誘われたギャリーは、トレードを模した「トレーディング・ゲーム」というゲームの大会に出場することになる。大会に出場したギャリーは、まさに無双する。エリート学生たちを手玉に取ってスコアをガンガン稼いでいくギャリーの活躍は、前半のハイライトのひとつだろう。


とりわけ本書の前半パートに言えることだが、このギャリーという男は、とにかく無双をして次のステージにたどり着くたびにピンチに陥り、そのピンチをなんとか切り抜けると再び無双をする。そのピンチと無双の繰り返しが本当にweb小説みたいで、実にサクサクと読める。

こう書くと皮肉だと受け取る人がいるかもしれないが、そういうつもりじゃない。秀逸なweb小説作品に伍するほどテンポが良く、ピンチと無双のジェットコースターを楽しませてくれるのがこの『トレーディング・ゲーム』なのだ。


登場人物のキャラクターの立ちっぷりもweb小説のようだった。

ゲームの大会で優勝したギャリーを待っていたのは、シティバンクのFXスワップ取引のトレード現場だったが、そのメンバーはあくの強い変人ばかりだった。ギャリーにフロア全体のランチの買い物をさせようとする者、マシーンのようにトレードを続けて、搾取に笑いがこらえきれくなる者。ナメクジ野郎、カエル野郎といったあだ名だけの人物も良かった。なぜなら覚えやすく、物語のなかでの位置づけも即座に見当がつくからだ。


そうした登場人物たちが、ギャリーのまわりで次々に面白いエピソードを披露する。実際、著者としてのギャリーはそうやって面白い人物の面白さに出会ってきたのだろう。

もちろん、作中のエピソードのなにもかもが楽しそうなわけでもない。そうした登場人物たちも悩んだり、怒ったり、理不尽に振舞ったりする。ダーティーな行動、嫉妬やコンプレックスに基づいた行動、喧嘩別れといったものもある。ロンドン金融街の絢爛たる世界にもドラッグ汚染が忍び寄っているさまも描かれていた。不完全で、不健康で、不道徳な登場人物たちがぶつかりあってできあがる不協和音。そしてストレス。


それでもギャリーは持ち前のタフネスと勝負勘でトレーダーとしての地歩を固めていく。

本書で描かれるギャリーの姿は、ときどき秀吉(木下藤吉郎)っぽい。彼はコーヒーの好きな上司よりも早く出勤して暖かいコーヒーを出すなど、まわりの人物の挙動をよく観察しチャンスをもらうための布石を怠らない。そのうえすさまじくタフだ。夜遅くまで宴席に付き合い、それでも朝早くに出勤する。

トレーダーとして才覚をあらわしていくギャリーだが、トレードそのものの上手さだけでなく、こうした人間としてのすばしこさやタフネスも群を抜いている。そうしたギャリーの側面も、本作がweb小説っぽく感じられる一因になっているのだろう。web小説の主人公たちも、だいたい化け物みたいにタフですばしこいから。


トレードの世界の解説としても面白かった

シティバンクを舞台とするトレーダーの話だけに、本書には取引や金融についての専門用語が頻出する。

でも安心だ。『トレーディング・ゲーム』は、ここでもweb小説のような親切さで専門用語について教えてくれる。たとえばFXスワップ取引とは何か? どうして通貨ごとの利子の差がトレーダーにチャンスをもたらすのか? そもそも、トレーダーという職業の人々がどういうカラクリで巨額の富を企業にもたらしているのか?


『現代社会で乙女ゲームの悪役令嬢をするのはちょっと大変』などもそうだが、優れたweb小説は、作中で詳しく記される分野についての解説も読んで楽しいものである。本書はそこも抜かりなく、私のようなまったくの素人にもわかるようにトレーダーの世界の決まり事や商慣行や大きな経済のメカニズムについて教えてくれる。


本書の中盤以降には、当時の金融エリートたちとギャリーの、経済状況に対する見解の相違が記されている。

「経済が地獄に落ちるってどういう意味だ?」

「どういう意味だと思う?回復なんかしないってことさ。これは一過性のものじゃない。末期症状だ。これからどんどん落ちていく。年を追うごとにね」

「落ちるって何が? 金利? 株式市場?」

「株式市場だって? 冗談言うなよ、アーサー。そのくらいわかるだろ? お前は5年も眠っていたのか? クソみたいな経済は株式市場にとっちゃ好都合さ。株式市場は高騰する」

(中略)

「よし、いいだろう。じゃあ教えてやる。重要なのは格差、それだけだ。格差に賭ければ、億万長者になれる。」

「格差だって?」

「ああ、アーサー。そうだ、格差さ。金持ちは資産を手にし、貧乏人は負債を抱える。すると、貧乏人は家に済むためだけに毎年、金持ちに給料をぜんぶ手渡さなきゃならなくなる。金持ちはそのお金を元手に中産階級から残りの資産を購入する。すると、年々問題は悪化していく。中産階級は消え去り、経済から購買力が永久になくなる。金持ちはどんどん富み、貧乏人は、そうだなあ、死を待つのみってところだ。」


ある時期以降のギャリーの経済観は、この「貧乏人はどんどん貧しくなる、実体経済はどんどん調子が悪くなる、そうしたうえで株式市場や金持ちに財が移動する」という見通しに基づいたものになり、2010年以降の彼のトレードにもそれが反映される。そして他のトレーダーが苦闘するなか、ギャリーは成功を重ねていった。


ギャリーは別の箇所で「みんなが同じことを考えるようになったら、その取引はもう儲からない」といったことを述べている。

だから、金利が高くなったコロナ禍後の世界について、現在のギャリーがどう思っているかはわからない。けれども上掲の見解をはじめ、2010年以前については色々と面白いことを述べていて、それが素人の私にも面白い物語として読めてしまう。


成功した後もギャリーの戦いは続く

ロンドン東部のスラムで生まれ育ったギャリーが、エリートたち相手に無双して億万長者になるまでのあらましについて紹介した。こうした筋書きが面白そうに思えた人、web小説みたいなスピード感のある経済読み物を探している人にはおすすめできると思う。


ちなみに、ここからはネタバレを避けた書き方にするけれど、世界有数のトレーダーに成長した後もギャリーの戦いは続く。

その舞台は、なんと日本だ。本書の後半には吉野家、ファミチキ、やよい軒のサバの塩焼きなども登場する。ここでも、エリートたちを相手どったギャリーの戦いは続く。日本人ならニヤリとするような描写も少なくないので、後半パートも楽しんでいただきたい。おすすめです。

***


【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

Photo:British Library

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