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昭和を代表する青春ソング!紅白の見どころは 南こうせつ「神田川」とイルカ「なごり雪」

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1960年00月00日 NHK「第75回NHK紅白歌合戦」放送日

70年代の名曲、「神田川」と「なごり雪」が用意された「紅白歌合戦」


2024年の『第75回NHK紅白歌合戦』(以下:紅白)の出場者発表後、ネット上では “しょぼい” という声が多く見られた。近年の『紅白』では、特別企画枠として後日出場者を追加発表することが恒例化しているが、2024年は、土壇場でB'zを追加し、何とか体裁を整えた印象がある。

一方で、演歌を別として、“懐メロ枠” を設けるのもお約束となっており、幅広い年代に対応するため、時代をばらけさせた楽曲が選ばれるのが特徴だ。2024年はGLAY「誘惑」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」、THE ALFEE「星空のディスタンス」、玉置浩二「悲しみにさよなら」などをラインナップした。加えて、西田敏行の追悼企画として、竹下景子、武田鉄矢、田中健、松崎しげるが「もしもピアノが弾けたなら」を歌う予定だ。さらに、これらの楽曲より古い1970年代の名曲である、南こうせつが歌う「神田川」とイルカの「なごり雪」が用意される。

南こうせつは1949(昭和24)年2月生まれの団塊の世代。白組出場者の中では最年長の75歳である。一方、イルカは1950(昭和25)年12月生まれで、紅組において史上最年長出場者である高橋真梨子(1949年3月生まれ)に次ぐ年長者だ。いわば、かつては若者の音楽だったフォーク&ニューミュージックが後期高齢者の領域に達しているのだ。

かぐや姫が「紅白」出場を拒否した理由


「神田川」(作詞:喜多条忠 / 作曲:南こうせつ / 編曲:木田高介)は、1973年9月に南こうせつ、伊勢正三、山田パンダの3人組 “南こうせつとかぐや姫” のシングルとしてリリースされた。女性と思われる人物が恋人との貧しい同棲生活をセンチメンタルに振り返る叙情的な歌詞と、シンプルで哀愁を帯びたメロディが1970年代の若者たちに支持され、オリコン調べで累計130万枚以上のセールスを記録する大ヒットとなった。ヒットの背景には、由美かおる主演映画『同棲時代-今日子と次郎-』(1973年4月公開)が社会現象となるなど、“同棲” というテーマが注目されていたことも一因として挙げられるだろう。

しかし、1973年の『紅白』で「神田川」は歌われなかった。NHKは出場を依頼したが、その際に2番の歌詞に登場する “クレパス" が商標名であることから “クレヨン" に置き換えるよう要請した。これをかぐや姫側が拒否したため、破談になったのである(*)。昭和の『紅白』はフォーク&ニューミュージックに冷淡で、ミュージシャン側も『紅白』出場に積極的ではなかったという状況も影響している。

若き伊勢正三が生み出した2つの神曲


南こうせつとかぐや姫は、1974年に “かぐや姫” と改称し、1月に先行シングル「赤ちょうちん」、3月にアルバム『三階建の詩』をリリース。このアルバムには、伊勢正三が作詞・作曲を担当した「なごり雪」と「22才の別れ」が収録されている。どちらもシングルカットされてもおかしくないほど質の高い楽曲だと評判を呼び、実際にシングル化の構想もあったという。 『三階建の詩』のリリース翌月には、草刈正雄と関根恵子主演で、「神田川」の作詞者・喜多条忠による同名小説を原作とした映画『神田川』が公開された。

その後、「神田川」に続くシングルは、映画の企画を意識した「赤ちょうちん」、「妹」と続き、どちらもヒットを記録。同名映画も公開され、話題を集めた。しかし、こうした商業的な方向性に対してメンバーは次第に反発を抱くようになったとされる。自分たちの意思だけでは活動がままならない状況が背景にあり、かぐや姫は1975年4月に解散してしまうのである。

かぐや姫の解散と前後して、伊勢正三は新たなユニット “風” を結成し、自作曲「22才の別れ」をデビュー曲に選んだ。「22才の別れ」はオリコン調べで70.8万枚を売り上げるヒットとなった。一方、「なごり雪」は風が歌うことはなく、かぐや姫と同じプロダクションに属していたイルカがカバーすることになった。イルカは、かつて山田パンダが所属していたフォークグループ “シュリークス” のメンバーで、1974年からソロ活動を展開していた。 春雪が積もる早春の駅にて、旅立っていく恋人との別れを歌った「なごり雪」は1975年11月、イルカのシングルとしてリリースされた。アレンジは松任谷正隆が手掛け、オリジナルとは異なるポップス調の仕上がりとなった。「なごり雪」は翌1976年にかけてヒットを記録。オリコン調べでセールスは50万枚を超えた。

しかし、同年にヒットした「あの日にかえりたい」の荒井由実とともに、1976年の『紅白』にイルカの姿はなかった。ちなみに、同年の『紅白』にはフジテレビ系の児童番組『ひらけ!ポンキッキ』が生んだ、日本史上最大のヒット曲である「およげ!たいやきくん」の子門真人さえ出場していない。ある時期までのNHKは、フォーク&ニューミュージックに冷たかっただけでなく、民放的なものを嫌っていたのだ。

1992年の「紅白」で披露された「神田川」と「なごり雪」


1982年、「なごり雪」は意外な形で『紅白』の舞台に登場した。紅組から出場した榊原郁恵は、当時、アイドルからの脱却を模索していた時期であり、その年に目立つヒット曲がなかったこともあって、「なごり雪」を歌ったのである。自身の持ち歌ではなく、イルカとの直接的な接点がある訳でもない。それはかなり唐突な印象だった。一方で、この出来事は「なごり雪」が時代を超えて愛され続けている楽曲であることを象徴するものでもあった。

その10年後、1992年の『紅白』では、大きな異変が起きた。この年のテーマは “テレビ放送40年” であり、幅広い世代にアプローチする試みが行われた。SMAP、LINDBERG、森高千里、DREAMS COME TRUE、米米CLUB、中西圭三といった平成初期のJ-POP勢が出場する一方で、舟木一夫、伊東ゆかり、梓みちよといった往年の常連出場者が引っ張り出された。

さらに、これまで『紅白』とは縁がなかった南こうせつとイルカが初出場を果たし、それぞれ「神田川」と「なごり雪」を披露したのである。両楽曲がヒットした頃に20歳前後だった若者たちは、1992年には30代後半となり、自身の青春を思い出しながらこれらの曲を楽しんだと考えられる。ただし、南こうせつとイルカの出番は、慌ただしい番組の前半である第1部の7番目と8番目に配置され、じっくりと聴かせる演出には至らなかった。なお、南こうせつが単独で歌った「神田川」では歌詞の “クレパス” はそのままだった。その後、イルカは長らく『紅白』に出なかったが、南こうせつは1993年、1995年、1996年、1997年に出場。谷村新司やさだまさしとともに、親『紅白』派のフォーク&ニューミュージック系ミュージシャンとなる。だが、初出場以後は「神田川」を歌うことはなかった。

『紅白』で「神田川」が再び歌われたのは1999年のこと。解散以降、散発的に再結成を繰り返していたかぐや姫が、ついに『紅白』に初出場を果たす。南こうせつ、伊勢正三、山田パンダが揃っての「神田川」が初めて『紅白』で披露されたのだった。これ以降、NHKはフォーク&ニューミュージック系の大物を担ぎ出すことに力を注ぎ、2002年には中島みゆき、2005年には松任谷由実を初出演させている。しかし、南こうせつの出演は途切れた。こうして、2000年以降は長らく「神田川」は『紅白』から遠ざかった。

大晦日、しんみりと聴きたい70年代の青春ソング


『紅白』で歌われようと歌われなかろうと、「神田川」と「なごり雪」はスタンダード化していることは周知のとおりである。1970年代を、昭和を代表する青春ソングとしてメディアで流れる機会もたびたびあり、2020年代に至るまでカバーされ続けている。

しかし、2024年の大晦日は、NHKホールに南こうせつとイルカが揃い踏みする。今回は特別枠のB’z、藤井風、けん玉の三山ひろし、あいみょんの次、第2部のいい時間帯だ。両曲のヒットから約半世紀が経つ。当時を知る人も、そうでない人も、『紅白』では25年ぶり3度目の「神田川」と、32年ぶり3度目の「なごり雪」をしみじみ聴き、1970年代の青春に思いを馳せるのも悪くないのではないだろうか。迎える2025年は昭和100年である。

(*)後年、南こうせつは他にも不出場の理由があったことを明かした。


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