《ジャガイモを食べる人々》が映すゴッホの魂とは?映画『ゴッホ 真実の手紙』とともに
はじめて《ジャガイモを食べる人々》を見たとき、正直少し驚きました。色鮮やかな『ひまわり』や『星月夜』のイメージが強かったわたしにとって、この作品はずいぶん素朴で、どこか暗い印象さえあったからです。でも見れば見るほど、ただの農民の日常ではない、もっと深い何かが伝わってくるような気がしました。 なぜゴッホはこのような絵を描いたのでしょうか?そして、どんな想いを込めたのでしょうか? この記事ではゴッホのときに苦しい芸術家人生を手紙を通して描いた映画『ゴッホ 真実の手紙』を紹介しつつ、《ジャガイモを食べる人々》とその背景にあるゴッホの考え方や生き方を紹介していきます。彼の見ていた世界を少しのぞいてみましょう。
ゴッホが《ジャガイモを食べる人々》を描いた背景
ゴッホが《ジャガイモを食べる人々》を描いたのは、1885年、オランダのニューネンで暮らしていたころ。画家としてのキャリアをスタートさせたばかりだった彼にとって、初の大画面の人物画でした。
フィンセント・ファン・ゴッホ 《ジャガイモを食べる人々》(1885)/ファン・ゴッホ美術館
当時ゴッホは、芸術によって「人々の暮らしのリアル」を伝えたいという強い想いを抱いていました。特に関心を寄せていたのが、社会で見過ごされやすく貧困に苦しんでいた農民や労働者です。
彼は農村に通い、畑で働く人々の姿をスケッチし、彼らと同じように粗末な暮らしを送りながら、その生活を観察しました。そこから生まれたのが《ジャガイモを食べる人々》です。
当時の手紙の中で、ゴッホは作品について「ジャガイモを食べる人々がその手で土を掘ったということが伝わるように努めた」と綴っています。つまり彼にとってこの絵は、貧しい人々の暮らしを描いたものというより、「誠実に働いて生きることの尊さ」を伝えるものだったのではないでしょうか。
画家になる前は聖職者を目指していたゴッホ。美しさや華やかさばかりを追うのではなく、汗を流して働く手、静かな食卓、生活に浮かび上がるリアルを描くことが、彼の創作スタイルだったようです。
そんな全身全霊をかけて制作した《ジャガイモを食べる人々》ですが、友人のアントン・ファン・ラッパルトの反応は芳しくありませんでした。あまりにぎこちない出来で、人物の身振りも不自然だと感じたアントンは正直な感想を伝えます。
ゴッホならもっと上手に描けると思ってのことでしたが、ゴッホはひどく腹を立て、友人関係は破綻してしまい、二度と再会することはなかったそうです。
《ジャガイモを食べる人々》の特徴と込められた意味
《ジャガイモを食べる人々》は、5人の農民が小さなテーブルを囲み、夕食のジャガイモを分け合っているシーンを描いた作品です。華やかさはなく、むしろ全体的に暗くて、くすんだ色合いでまとめられています。でもその中には、ゴッホが強くこだわった本物らしさが凝縮されています。
暗く地味な色使い
ゴッホは意図的に、絵のベースを茶色や灰色で染めました。これは貧しい農民の厳しい生活、つまり煤けた壁、手あかのついた食器、かすかなランプの明かりなどをそのまま映し出すためだったのでしょう。
「画面全体が暗すぎる」との批判を受けながらも、彼は「自然で汚れのない美しい作品」「最も成功した絵」と自信を持っていたそうです。地の色が暗いからこそ、労働者たちが生きるのに不可欠なジャガイモが際立ちます。
構図に見る共同体のあり方
シャルル・ド・グルー《夕食前の祝福》(1861)
円を描くようにテーブルを囲み、中央からジャガイモをとり分けている5人の登場人物。貧しい日々を過ごしてはいるものの、孤独ではなく、支え合って生きる共同体としての家族の姿を表していると考えられます。表情は決して楽しげではありませんが、静けさの中に安心感が漂っているようです。
食事における厳かさは、シャルル・ド・グルー《夕食前の祝福》という作品からインスピレーションを受けたといわれています。キリスト教の「最後の晩餐」を踏まえ、農民一家が食事の恵みに感謝する様子を描いた作品です。つまり《ジャガイモを食べる人々》にも同様の宗教的背景があると考えられます。
手の描写に込められた労働の誇り
ヴァン・ゴッホ 1885年3月 - 1885年4月、三つの手の研究 デッサン,
この作品で特に印象的なのが、農民たちの手の描き方です。大きくごつごつとしていて、土の匂いがしそうなほどリアルに描かれています。習作を重ねた末、ゴッホは「働いて得た食べ物を自分の手で口に運ぶ」という労働者の誇りを込めたのです。
《ジャガイモを食べる人々》は、ただの農村のスナップにとどまりません。「生きるとはどういうことか」と改めてわたしたちに問いかけ、つい当たり前に通り過ぎてしまう日常を振り返らせてくれる一枚だと感じます。
映画『ゴッホ 真実の手紙』――手紙に込められた本音と信念を描いた作品
10年間の画家活動で、ゴッホは2,100枚以上の作品と2,000通を超える手紙を残しました。多くは弟テオに宛てられたもので、テオ、そして彼の死後は妻ヨーや息子フィンセント・ウィレムに相続され、現在はファン・ゴッホ美術館に保管されています。
ゴッホの美術的評価のために奮闘したテオ、ヨー、フィンセントについては、こちらの記事もご覧ください。
生前に売れた絵は『赤い葡萄畑』だけで、周囲の評価をなかなか得られなかったゴッホにとって、手紙を書くことは心の避難所であり、芸術について考え続ける場でもあったと考えられています。画商グーピル商会に勤め、美術のトレンドにも詳しかった弟は、ゴッホが絵画観を語り合うのに最適な相手だったのです。
フィンセント・ファン・ゴッホ《赤い葡萄畑》(1888)/プーシキン美術館
ゴッホの手紙には、家族に対する感情、宗教や芸術への情熱、創作活動における挫折などが率直につづられています。生き方が記された濃密な手紙の数々が、彼を美術史で特別な存在にしているのかもしれません。
そんな彼の内面を丁寧に描いたのが、映画『ゴッホ 真実の手紙』(原題:Van Gogh: Painted With Words)です。再現ドラマとドキュメンタリーの手法が融合し、視覚と聴覚に強く語りかける演出がなされています。
映画中では、ベネディクト・カンバーバッチ演じるゴッホの言葉が語られ、その裏にある孤独、苦悩、そして誰よりも強い「表現したい」という意志が浮かび上がってきます。絵だけでは伝わりきらない、人間としてのゴッホの輪郭が、手紙というメディアを通して立ち現れるようです。
ゴッホが遺した「本当に美しいもの」とは?
《ジャガイモを食べる人々》で描かれた農民たちは決して裕福ではありません。でも、その素朴な手つきや、ランプの明かりに浮かび上がる表情の中に、生き続ける強さや静かな誇りが確かに映し出されています。ゴッホにとって美しさとは、「誰かが真剣に生きている」という事実そのものだったのではないでしょうか。
この作品の奥には、人間の営みを見つめる深いまなざしと、誰かの人生をまるごと肯定しようとする温かさが込められています。今度《ジャガイモを食べる人々》に出会う機会があれば、生きる尊さを語りかけるゴッホに思いを馳せてみてください。
参考文献
『ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅』ニーンケ・デーネカンプ、ルネ・ファン・ブレルク、タイオ・メーデンドルプ(著)、鮫島圭代(訳)、千足伸行(監修)(講談社、2016)