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ルーベンス《三美神》を紐解く――プラド美術館の名画解説

イロハニアート

スペイン・マドリードのプラド美術館は、ヨーロッパ絵画の宝庫として人々を魅了してきました。その中でもピーテル・パウル・ルーベンス《三美神》は、美の喜びを祝福するようなまなざしに満ちています。

映画『プラド美術館 驚異のコレクション』(2020)


参照:『プラド美術館 驚異のコレクション』

スペイン・マドリードのプラド美術館には、王室コレクションをはじめとする幅広いヨーロッパ絵画が収蔵されています。ティッセン=ボルネミッサ美術館、ソフィア王妃芸術センターと合わせて「マドリードの芸術黄金地帯」と呼ばれ、2021年にユネスコの世界遺産に登録されました。

プラド美術館(正面)

, Public domain, via Wikimedia Commons.

ベラスケス、ゴヤ、グレコ…。映画では名作の数々にカメラが迫ります。また、館長から有名女優まで、プラド美術館を愛する人々の声を集め、新しい魅力を掘り起こしました。オスカー俳優のジェレミー・アイアンズさんがナビゲーターを務め、まるで現地ツアーに参加しているような気持ちになれる作品です。

特別な政治的意図なく、歴代の国王や王妃は心の赴くままに、これまで約2300点の芸術作品を収集しました。2019年に開館200周年を迎え、「美の喜び」を広く伝えることで、スペインの風土に深く根付いています。

そんなプラド美術館に、ピーテル・パウル・ルーベンスの代表作《三美神》が展示されています。今回はその魅力を一緒に紐解いていきましょう。

ピーテル・パウル・ルーベンスの生涯


ピーテル・パウル・ルーベンス

, Public domain, via Wikimedia Commons.

1577年、ピーテル・パウル・ルーベンスはドイツのジーゲンに生まれました。10歳で父親を亡くすと、一家は故郷のアントワープへ戻ります。カトリック教徒として成長したこともあり、後年は対抗宗教改革(カトリック教会内の改革刷新運動)に影響された絵画様式を用いました。

家庭の経済的困窮により、13歳でルーベンスはマルグレーテ・ド・リーニュの小姓(屋敷に仕える少年)となりました。そこで芸術的素養を見込まれ、アントワープの画家組合、聖ルカ・ギルドに入会を認められます。アントワープの有名画家たちに師事し、修行を終えた後、正式に芸術家ギルドの一員となりました。

イタリア時代


1600年、巨匠の作品を現地で学ぶため、ルーベンスはイタリアへ渡ります。ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガの援助を受け、翌年にはローマを訪れました。カラヴァッジオ《キリストの埋葬》の複製画を制作したり、最初の祭壇画《聖へレナと聖十字架》を完成させたりと、活動の幅を広げていきます。

1603年、マントヴァ公からスペイン王フェリペ3世への贈答品を届けるため、外交官として彼はスペインへ向かいました。滞在中、フェリペ2世の収集した名作群を目にしたそうで、《レルマ公騎馬像》にはティツィアーノの影響が見られます。

ピーテル・パウル・ルーベンス《レルマ公騎馬像》(1603)/プラド美術館

, Public domain, via Wikimedia Commons.

1606年から1608年にかけて、多くの時間をローマで過ごしたルーベンス。建築中だったサンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ聖堂の主祭壇画を制作する依頼も受けます。イタリアでの経験はルーベンスに大きな影響を与え、晩年もイタリアへの帰還を望んでいましたが、実現しませんでした。

アントワープ時代


ピーテル・パウル・ルーベンス《キリスト昇架》(1610〜1611)/聖母マリア大聖堂(アントワープ)

, Public domain, via Wikimedia Commons.

母の病と戦争休戦をきっかけに、ルーベンスはアントワープに戻ります。1609年、スペイン領ネーデルラントの君主・オーストリア大公アルブレヒト7世と、大公妃(スペイン王女)イサベルのもとに、宮廷画家として迎えられ、特使や外交官の役割も果たしました。また同年、地元の有力者の娘と結婚します。

聖母マリア大聖堂の『キリスト昇架』や『キリスト降架』といった祭壇画は、イタリアから帰還したばかりの彼が、フランドルで画家としての評価を確立した作品です。たとえば『キリスト昇架』は、ティントレット《キリスト磔刑》の構成をベースにしつつ、ミケランジェロの人体表現にルーベンスの作風を交えており、「バロック期宗教画の最高峰」と称されています。

外交官時代


1621年、戦争が再開されると、スペイン・ハプスブルク家の君主たちはルーベンスに外交的任務を与えます。特に1627年から1630年にかけ、両国の和平に向けて奔走したそうです。

1628年から1629年にはマドリードに滞在し、スペイン王室の依頼で絵画作品を制作しました。その後は別の任務でロンドンに渡ります。滞在中に《マルスから平和を守るミネルヴァ(平和と戦争の寓意)》を描き、平和に対する強い願いとともに、イングランド王チャールズ1世に贈られました。

ピーテル・パウル・ルーベンス《マルスから平和を守るミネルヴァ(平和と戦争の寓意)》(1629)/ナショナル・ギャラリー

, Public domain, via Wikimedia Commons.

そうした功績が認められ、1624年にスペイン王フェリペ4世から、1630年にイングランド王チャールズ1世から、それぞれ「ナイト」の爵位を授かりました。1629年には、ケンブリッジ大学から美術修士号を授与されています。

晩年


1630年、53歳のルーベンスは、16歳のエレーヌ・フールマンと再婚します。彼女をモデルに、晩年は肉感的な女性像を多く描きました。私的に描いたエレーヌの肖像《毛皮をまとったエレーヌ・フールマン》では、古代ギリシャ彫刻に見られる「恥じらいのヴィーナス」のポーズ(陰部や胸を手で隠す構図)が用いられています。

ピーテル・パウル・ルーベンス《毛皮をまとったエレーヌ・フールマン》(1638ごろ)/ウィーン美術史美術館

, Public domain, via Wikimedia Commons.

1635年にアントワープ郊外の土地を購入すると、「ステーン城(ルーベンスの城)」と呼ばれる邸宅でほとんどの時間を過ごします。《早朝のステーン城を望む秋の風景》などの風景画や、《村祭り》などの伝統的風俗画を描いた後、1640年に人生の幕を閉じました。

ルーベンスの集大成《三美神》


「三美神」はギリシャ神話の女神たちで、アグライア(輝き)、エウプロシュネ(喜び)、タレイア(花)を指します。「人間の内面は愛欲と純潔が対立しているが、愛によってバランスが取られている」ことを示すのによく用いられます。

ピーテル・パウル・ルーベンス《三美神》(1630〜1635)/プラド美術館

, Public domain, via Wikimedia Commons.

古代ギリシャ・ローマの結婚式では、歌やスピーチに三美神がよく登場しました。たとえばクラウディアヌスは、ホノリウス2世(第163代ローマ教皇)とマリアを称える歌において、「ヒュメナイオス(結婚の祝祭神)よ、祝祭の松明を選びなさい。グラース(三美神)よ、花を選びなさい。」と記しています。

左側にいる金髪の女神は、エレーヌがモデルだといわれています。後ろの木にかかっている服が、神話の時代のものではなく、他の作品で描かれた彼女の普段着に似ているためです。また、死去するまでルーベンス自身が所有していたため、顧客に注文された作品ではないと考えられています。

ピーテル・パウル・ルーベンス《馬車のあるエレーヌ・フールマンの肖像》(1639)/ルーヴル美術館

, Public domain, via Wikimedia Commons.

軽やかな筆使いなのに、彼の培ってきた技術が凝縮された《三美神》。光を受けた肉体はあたたかく、表情や動きがやわらかで、身にまとった宝石まで細かく描かれています。輪の形になった女神たちは、官能性や活力、喜びを全身で表現しているようです。美しさを具現化できたことで、おそらくルーベンスにとって晩年の自信作になったのではないでしょうか。

美の喜びは時代を超える


宗教的・政治的な役割も担っていたルーベンス。最後に描きたかったのは「人生は祝福に満ちている」ということだったのかもしれません。この作品を前にすると、女神たちに輪の中へ招かれるように、思わず深く呼吸します。その一瞬こそ、作品が現代に届けてくれる「美の喜び」なのだと思います。

参考文献


・中村俊春(2006年)『ペーテル・パウル・ルーベンス 絵画と政治の間で』三元社

・Las tres Gracias - Colección - Museo Nacional del Prado
https://www.museodelprado.es/coleccion/obra-de-arte/las-tres-gracias/145eadd9-0b54-4b2d-affe-09af370b6932

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