【アカデミー賞席巻の「ANORAアノーラ」と吉川トリコさん「余命一年、男をかう」】 まるで点対称の2作品。比較してみると面白い
静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は静岡市清水区のMOVIX清水など各地で2月28日から上映中のショーン・ベイカー監督「ANORAアノーラ」と吉川トリコさん(浜松市出身)の「余命一年、男をかう」(2021年7月、講談社刊)を題材に。
第97回アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞、編集賞の5部門を受賞した「ANORAアノーラ」。主演のマイキー・マディソン演じるアノーラは、公式のストーリー紹介に「ストリップダンサー」とあるが、実際のところはかなり過剰なサービスをするセックス・ワーカーである。ロシア人大富豪の御曹司に見初められ、1週間1万5000ドルで「疑似彼女」を請け負う。
「余命一年、男をかう」は、40歳独身で趣味は節約とキルト作りの「小金持ち」会社員、片倉唯が主人公。何の気なしに受けたがん検診で「何もしなければ余命1年」と宣告される。ため込んだ金を持ったまま死んでも仕方がない、と割り切った唯は、とあるホストクラブで「3番人気」の瀬名と、金を介在させた付き合いを始める。
日米の違いはあるが、金で始まった男女の関係の変化という着眼点が共通していて興味深い。がんを宣告された唯と同じように、ロシアの御曹司も本国の両親から帰国を言明されており、米国で放蕩生活を送れるのが残り1週間という事情がある。限られた時間の中で時限的なパートナーといかに楽しくやるか、という刹那的なテーマが内包されている点も同じだ。
一方で、2作において男女のポジションは正反対である。要するに「ANORAアノーラ」は「金主」が男性で、「余命一年、男をかう」は女性なのだ。相変わらず男性優位と言わざるを得ない日本社会だからこそ、この設定にキレが出てくるわけで、吉川さんの判断は作家としてのセンスの良さを感じる。
結末も正反対に近い。片方はじんわりとした哀感に少しだけ優しさが差し込むビターなラストで、もう片方は明るい未来を感じさせるハッピーエンド。
考えてみれば作り手も方や男性、方や女性。二つの作品、点対称の関係にあるのではないか。
(は)
<DATA>※県内の上映館。3月12日時点
シネプラザサントムーン(清水町)
シネマサンシャインららぽーと沼津(沼津市)
MOVIX清水(静岡市清水区)
シネシティザート(静岡市葵区)
TOHOシネマズ サンストリート浜北(浜松市浜北区)