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REMO-CONインタビュー#1 鬼のディスコ時代を経てクラブへ、The Prodigy、David Morales、YOJI BIOMEHANIKA…数多の出会いを振り返る

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REMO-CONインタビュー#1 鬼のディスコ時代を経てクラブへ、The Prodigy、David Morales、YOJI BIOMEHANIKA…数多の出会いを振り返る

30年以上のキャリアを誇りながら今まさに全盛期! 毎週末その名を見ない時はない人気者! ハウス、テクノ、トランス、さらにはドラムンベースに音ゲー曲、プロレステーマ曲にCM曲までなんでもござれ! あらゆるジャンルを華麗に繋ぎ老若男女躍らせる“電子音に飢えた金髪狼”REMO-CONにインタビュー !!!!!!!

その類稀なるテクニックはいかにして育まれたのか。そしてどんな道を歩んできたのか……彼のルーツを探りつつ、同時に1990年代〜2000年代〜2010年代〜2020年代まで一緒にまるっと回顧。REMO-CON in the ジャパニーズクラブシーン的なクロニクルまずは前半戦、DJ REMO-CON誕生からクラブシーンを一気に駆け上がる激動の時代をプレイバック!

TM NETWORKのカバーをやっていた!? 入った先はまさかの軍隊!? DJしながらしゃがんでご飯!? マイヒーローはThe Prodigy!? YOJI BIOMEHANIKA からの恐怖の電話!? 音楽じゃなく電子音が好き!? あまり語られることのない貴重なエピソードの数々、ぜひじっくりとご一読あれ!

◆黎明期1900年代…耐え忍ぶ日々と運命の出会い

――DJ活動はいつから始められたんですか?

REMO-CON:19歳の時、20歳になる年ですね。

――何かきっかけはあったんですか?

REMO-CON:高校生の時は軽音部で、打ち込みでYMOとかTM NETWORKのカバーをやってて、同時にハードロックも好きだったんですよ。俺はバンドでキーボードをやってたんですけど、当時キーボードって人気がなくてやる人いないからいろんなバンドを掛け持ちしてて……。

――それはいつ頃?

REMO-CON:1988〜89年ぐらいですね。ハードロック、ロック、ポップ、いろんなバンドを手伝っているうちにディスコ(サウンド)に興味が沸いて。「ディスコを聴くならディスコに行くしかない!」と思ってディスコに行ったら、曲と曲が自然に繋がっているのが不思議で「どうやら“DJ”という人種の人がやってるらしい!」ってなって。

でも、その頃はまだDJって全然認知されてなかったから、どこでどうすればなれるのかわからなかったんですよ。俺は一応音楽の専門学校に行ってたけどそんなこと教わらないし。それで卒業後、当時「beat freak」っていうフリーペーパーにディスコの連絡先が載ってたので都内のディスコに片っ端から「DJ雇ってないですか?」って電話したけど全部ダメで。最後に横濱MAHARAJAに電話したら従業員は募集してるって言われて、とりあえず中に入ればなんとかなると思って入ったんですよ。どんな世界かも知らずに。

――すごい行動力ですね。

REMO-CON:中に入ってDJと仲良くなればなんとかなると思ってたんですけど、入ったらもう……今じゃ考えられない縦社会。どっかの軍隊みたいな(笑)。

耐えに耐え忍んで半年ぐらいバーテンやって、なんとかDJの人と仲良くなって。それが今一緒に会社をやっているDJ BOSSなんですけど、「DJやりたいんです!」って話をしたら「俺もそういうヤツを待ってたんだよ!」って意気投合して、DJをやる前に2人でリミックスを作り始めたんですよ。

その後DJの見習いになって、1年ぐらい修行してDJになるんですけど、自分が作ったリミックスをお店でかけてたら、当時ウチの店によく来ていたavexの松浦さん(現avex会長)が気に入ってくれて。松浦さんに曲を送ったのが最初に世に出るきっかけでしたね。

――そんな運命的な出会いがあったんですね。当時は音楽的にはハイエナジーとか?

REMO-CON:横濱MAHARAJAに入ったのが1993年で、当時はまだジュリアナ東京があって世間的にはレイヴミュージックというかハードコアテクノでしたね。あとは芝浦ゴールドとか(ディスコの)カウンター的なクラブもありましたけど、一般的にはディスコの方が入ってたかな。

◆今に活きるディスコ時代の経験、そしてモラレスの衝撃

――DJを始めた頃はどんな曲をかけていたか覚えてます?

REMO-CON:ジュリアナ東京とかでかかってたハードコアテクノとユーロビート。あとは横浜だったんでヒップホップやR&B、ブラックミュージックが強くて、そのちょっと前だとニュージャックスウィングとかだったと思います。

――ディスコのDJってジャンルに関係なくかけていくと思うんですけど、その経験は今に活きてますか?

REMO-CON:ものすごく活きてますね。基本的にディスコって無茶苦茶なんですよ。何があるかわからない。DJがストーリーを作っててもVIPとか芸能人が来たら「あの曲かけて!」みたいなオーダーがあったり、フロアで急にケンカが始まったり。あと、当時はレコードなんで針が飛ぶんですよ。そうすると音楽が止まって店長から怒鳴られたり、イスが投げ込まれるとか普通にあって(笑)。

――なかなかスリリングですね(笑)。

REMO-CON:そうなんですよ。でもそれを経験したので今は現場で何が起ころうが動じない。対応力みたいなものがつきました(笑)。

――ディスコのDJは盛り上げるのもうまいですよね。

REMO-CON:音楽性より“踊らせてなんぼ”なんで。そういう意味では好きな曲がかけられないっていう音楽好きゆえの苦しい部分もありましたけど、お客さんを相手にするDJとしては(ディスコの経験は)ものすごく役立ってます。

――エンタメ力が培われたと。その他にディスコDJならではの思い出はありますか?

REMO-CON:レコードで1日6~7時間を一人でDJする時もあって、長い曲をかけてしゃがんでご飯食べたりしたこともありましたね(笑)。

――すごい時代(笑)。当時印象に残っている曲やパーティは?

REMO-CON:たくさんあるんですけど、1994年ぐらいにまだそこまで売れてないThe Prodigyが六本木のクラブでライヴをやったことがあって見に行ったんですよ。そしたら、そんなに大きくない箱なのに200%ぐらいの力でやってて。プロとして当たり前なんですけどそれが本当にヤバくて。そこからもう完全にThe Prodigyがマイヒーローですね。

――ちなみに今でも90年代の曲をかけたりします?

REMO-CON:全然かけますよ。それこそGENIUS TOKYOで90年代のハウスをかけるイベントをレギュラーでやってるし、最近そういう昔の曲かけるイベントが多いじゃないですか。あとはレコードだけでプレイするイベントとか。やっぱり当時のハウスはいい曲が多いですし、90年代ってクラブシーンが一気に盛り上がって、それこそオリコンチャートとかにもクラブっぽい曲が入るようになって黄金期みたいな印象がありますね。

それまでなかったものが出てきたから新しくて面白いのは当たり前なんですけど、それでもやっぱり衝撃的でした。俺は普段横浜にいましたけど、休みの日にはYELLOWとかも行ってて、94、95年ぐらいかな、David Moralesが来てて。そこでハウスのヤバさ、気持ちよさを知って、そこからはもう気持ちがどんどんアンダーグラウンド、ディスコからクラブに傾いてましたね。Morales がJanet Jackson“If”のBrothers In Rhythmリミックスをかけてて、それにめちゃくちゃくらったのを覚えてます。

◆変化の2000年代…転機はCyberTRANCEとYOJI BIOMEHANIKA

――横濱MAHARAJAには1998年まで在籍し、その後は?

REMO-CON:どこかでレギュラーをやるわけでもなく、どちらかというと制作をしてましたね。買うレコードもクラブ寄りになって、世間的にもディスコからクラブみたいな感じの中、2001年に「velfarreのCyberTRANCEでレギュラーでやらないか?」って話があって。

CyberTRANCEはもともと日曜日にやってて、毎週2,000人とか入ってたから土曜日もやることになって、同時にコンピレーションCDも出すからそのミックスをやってほしいと頼まれて。それから毎週velfarreにいるようになって、そこでいろんな人と仲良くなってヤバいアンダーグラウンドな曲、ハードテクノとかハードハウスとかをDJに取り入れるようになって……だからCyberTRANCEと言いながら実はそういうのも結構かけてましたね(笑)。

――CyberTRANCEのミックスCDは本当に多くの作品を手掛けてますよね。

REMO-CON:CyberTRANCEの前のSUPER EUROBEATシリーズもやってましたし、その後のHOUSE NATIONもやってて、2000年代はほぼほぼそんな感じでしたね。

――その他にもbeatmaniaやjubeatなどの音ゲーに数多く楽曲提供してますよね。

REMO-CON:俺はあまりゲームをやらないからそんなに詳しくないんですけど、そもそも2000年ぐらいにDance Dance Revolutionが流行った時にノンストップミックスを頼まれたのがきっかけで。

――今の若いDJは結構音ゲーに影響を受けていて、REMO-CONさんの曲で遊んでいたと思いますよ。

REMO-CON:俺もそれ驚きなんですよ。現場で渋い感じのDJやってる子から「僕、音ゲーから入ったんです。REMO-CONさんの曲で遊んでました!」って言われることがここ2〜3年本当に多くて。意外とみんな音ゲーやってるんですよね。俺的にはゲームはゲーム、DJとは別物で考えてて、(音ゲー提供曲は)あんまり現場でかける曲じゃないなって昔は思ってたんですけど、それで育ったって言われるし。音ゲーの影響力はすごいですよね。

あと、2004年か2005年ぐらいにはアーティストREMO-CONとしてYOJI(BIOMEHANIKA)さんのレーベル(HELLHOUSE recordings)からデビューするんですよ。それがわりと転機になってて。そこから見られ方がDJじゃなくアーティストっていう感じになって、日本だけじゃなく海外からもオファーが来ていろんなところに行くようになりましたね。

――YOJIさんの影響力は大きかった?

REMO-CON:本当の意味でカリスマ的人気のDJアーティストってそんなにいないと思うんですよ。YOJIさんは間違いなくその1人ですね。(YOJIさんとの)出会いも面白くて、YOJIさんが某誌のインタビューで「日本のDJは誰も曲を作らへん、何の武器もなくDJやってるとか考えられへん!」みたいなわりとキツめのことを言ってたんですよ。その時に「俺、曲作ってDJやってるし!」ってカチンときて(笑)。当時CyberTRANCEのディレクターがYOJIさんも担当していたので作りためてたオリジナルをYOJIさんに渡してもらうようお願いしたんです、半分ケンカ売ってるつもりで。そしたら1週間後ぐらいに留守電に「YOJIですけど」って(笑)。

――こわっ!

REMO-CON:全く接点ないのに留守電に「これ聞いたら折り返しください」って入ってて。めっちゃ怖いですよね(笑)。で、折り返したら「君の作った曲いいからウチから出さへん?」みたいな話になって。

――ドラマみたいですね。

◆アッパーな音楽が好き、そして電子音が好き!

――REMO-CONさん的に2000年代はどんな10年でしたか?

REMO-CON:ageHaとかデカ箱ができて、音楽的にもCyberTRANCEみたいなメジャーなものからアンダーグラウンドなものまでグラデーションがあって、すごくいい時代だったんじゃないかなと思います。あとはこの前ふと思ったんですけど、当時はボーカルが入っていない曲、インストゥルメンタルに若い子達が熱狂していて、それって今考えるとスゴいですよね。

――2000年代の曲で印象に残っているのは?

REMO-CON:やっぱトランスの衝撃は大きかったかな……。印象に残っているのは正確には1999年のリリースだと思うんですけど、Veracochaの“Carte Blanche”。Ferry Corstenとトランスの第一人者Vincent de Moorのユニットの超有名な曲で、初めてフロアで聴いた時はビビりましたね。今までと違うクラブミュージックが出てきたなって。ブレイクが長くて、途中でほぼ無音になって、その後ドカン!ってくる。クラブミュージックっぽくない緻密な打ち込まれ方でちゃんとしたメロディもあって。

――印象に残っているイベント、パーティは?

REMO-CON:YO-CとかDJ SHINKAWAさんとかのパーティによく遊びに行ってたし、トランスブームの一方で日本人テクノも元気で「WIRE」(横浜アリーナで行われていた屋内レイヴ)とかもよく遊びに行ってましたね。あとは2000年くらいに清里(山梨県)で「Discovery」っていうDJがたくさん出るフェスがあって、そこにVincent de Moorが来るっていうんで遊びに行ったんですよ。(都内で)DJやった後に夜中に車で。でも着いたら音が止まってて、理由を聞いたら電源が飛んだらしく4〜5時間後ぐらいに再開したんですけど、1人持ち時間15分とかになって、しかもお目当てのVincent de Moorも多分来てなくて(笑)。それが一番記憶に残ってます(笑)。

自分が出てたものだと幕張メッセでやった「avex trance 2002 spring in MESSE」ですかね。(お客さんが)何万人も入って「すげえな〜」って思いましたね。あとは海外、初めて行ったのはドイツのオランダの国境近くで2007年ぐらいだったかな。2009年には「Dance Valley」(オランダの世界的DJフェス)にも出て、その時は確か5,000人くらい入るハードダンスステージだったと思うんですけど、俺の前のDJが急遽キャンセルになって1時間早くDJやることになって、始めたら音が出なかったんですよ、トラブルで。どんどんお客さんがいなくなって100人ぐらいしかいないところからやらされるっていう……あれはテンパりましたね(笑)。

――CyberTRANCEといえば先日もお台場で「agefarre」が開催され、REMO-CONも出演されてましたよね。

REMO-CON:agefarreも来年で15周年になるんですけど、当初はageHaの方の思いつきで始まって、まさかこんなになるとは誰も思ってなかったらしいですね。当時は未成年でクラブに入れなかったけどCDでトランスを聴いてたっていう子が結構いて、影響力がスゴかったんだなって改めて思いますし、あとは青春時代の音楽ってまた別物なんですよね。

――ハウスでいう「Body&SOUL」みたいなものですね。

REMO-CON:そうそう。あとは(agefarreは)開催が昼間っていうのもいいんですよね。(年齢を重ねた)ファンの需要をわかってる。それにしても最近は昼間のイベントが増えましたよね。俺にオファーが来るイベントも今は半分以上昼間のイベントかもしれない。

――昼間のイベントといえば、ドラムンベースのイベントにも出てましたよね(10/25(土)「YODO GROOVE presents. Localize!! Open Air」)。ドラムンベースも好きなんですか?

REMO-CON:好きですね。制作メインでやってるといろんなジャンルを聴いて、いろいろ取り入れたりするんで。

――基本的にどんな音楽が好きなんですか?

REMO-CON:やっぱりアッパーなものですね。ドラムンベースもどっちかというとアップリフティングな音楽じゃないですか。ただ、そんな詳しいわけじゃないんで自分がかっこいいと思う曲だけかけてます(笑)。

――DJするにあたってはどんなBPMでも繋げられますか?

REMO-CON:そこはディスコDJの経験の賜物で、どんなジャンルでもやろうと思えばできます。ただ、それでお客さんを満足させられるかというとまた別ですけど。

――YouTubeチャンネル「REMO-CON」やラジオではいろいろミックスしてますもんね。繋いでないけどプロレスのテーマ曲でDJしたり。

REMO-CON:この前もラジオでCM曲だけでDJしましたね。夢グループのCMとか昔の日立のCMとか(笑)。

――何を基準に楽曲をストックしてるんですか? 好きな音色とかがある?

REMO-CON:俺、実は音楽が好きなんじゃなくて電子音が好きなんじゃないかっていう気がしていて。生音のグルーヴも好きでジャズとかも好きなんですけど、体とか頭が一番反応するのは電子音。極端なことをいうと海外のスパイが仲間に送るモールス信号代わりのブザーみたいな音とかも気になっちゃうんですよ(笑)。

――機材もお好きですよね。TR-909やTB-303とか。

REMO-CON:そうっすね。なんかエレクトロニックなものがいいんですよね。だから弾き語りとかフォークとかはあんま(苦笑)。

第二弾に続く……

REMO-CON

1993年に活動スタート。横濱MAHARAJAを経て1999年にDJ BOSSととともに音楽制作会社Y&Co.,Ltd(横田商会)設立。数多くのリミックス制作&楽曲プロデュースを行い、CyberTRANCEやHOUSE NATIONなど様々なコンピのミックスも担当。現在は国内外で精力的にDJ活動を行いつつ、Fm yokohama 84.7「PRIME TIME」(MON-THU 19:00~21:50)の火曜日に出演中。

YouTubeチャンネル「REMO-CON」(@REMOCONofficial)

https://x.com/REMOccCON

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