レベッカの代表曲「フレンズ」40周年!昔も今も支持されるリアルな青春の恋模様
「フレンズ」というタイトルがなぜ複数形なのか
いわずと知れたレベッカの代表曲「フレンズ」。曲を手掛けた土橋安騎夫による印象的なキーボードのリフレインと、疾走感あふれるギターサウンドが印象的だ。当時、ティーンエイジャーでバンドをやっていた人ならば、一度くらいはコピーしたことがあるのではないだろうか。今回は、今なお支持される青春の恋模様を描いたこの曲を、歌詞に注目して読み解いてみたいと思う。
口づけを かわした日は
ママの顔さえも見れなかった
のっけからセンセーショナルな描写で始まり、まさに “アオハル” の真っ只中にいた10代にとって、刺激的でありながらも共感だらけのフレーズだった。子供の恋から大人の恋への入口へ。その過程で生まれる親への背徳感や罪悪感のようなフクザツな気持ち。そんな心情がこの一節に凝縮されていて、一気に曲の世界へと引き込まれていく。
ポケットのコイン あつめて
ひとつずつ 夢をかぞえたね
主人公の女の子はポケットの中のコインを数えながら、好きな人と1つずつ夢を数えている。私はこの表現を、公衆電話で長電話をして、大好きな人と明日のこと、未来のことを語り合っている場面として想像した。毎晩のようにコインを握りしめながら受話器越しに語り合う2人の夢の世界こそが、「♪二人の かくれが」だと思って聴いていた。コケティッシュなルックスで、不良っぽい女の子の心情を歌うNOKKOの独特な世界。その抽象的な表現は、まさに自分にとっての青春の1ページを重ねるようでもあった。
ただ、「フレンズ」というタイトルがなぜ複数形なのかという疑問は、ずっと心の片隅に眠ったままだった。「フレンド」ではなく「フレンズ」。語感の美しさやメロディーの響きから選ばれたものなのか、それとも恋する2人だから複数形なのだろうか…。言ってみれば、誰もが想像するであろうありきたりな解釈と世界観をもって、この曲を聴いていた。
大人のラブソングとしてリアルに響く
ところがある日、知人男性がこんな解釈を口にした。2人でなけなしのお金を集めて “大人の関係になれる場所” へ行ったってことじゃない? それが2人にとっての “隠れ家” で “秘密のメモリー” でしょうと。えええ、それはあまりにリアルすぎない? と言ったものの、この時初めて、私が抱いてきたふわっとした青春ソングが違う景色として見えてきた。
どこで こわれたの oh フレンズ
うつむく日は みつめあって
確かに、続くサビではもう “友達” ではいられなくなった2人の距離が描かれている。改めて歌詞をたどると、サビで繰り返される嘆きが、単なる失恋の痛みというよりも、一線を越えてしまったことで “友達でなくなっただけでなく、恋人でもない曖昧な2人” になってしまったことへの心の叫びのようにも聴こえてくる。
二度と もどれない oh フレンズ
他人よりも 遠く見えて
大切にしてきた “友達” という関係を失った喪失感と、その先に進んだにもかかわらず、恋人にもなれなかったやるせなさ。コインを集めながら夜を重ね、2人の間に取り返しのつかない大人の関係が生まれてしまった―― そんな風に想像を膨らませると、この曲全体がよりせつなく、大人のラブソングとしてリアルに響いてくる。そうして「フレンズ」という複数形のタイトルにも別の意味が見えてくる。
「フレンズ」が色褪せることのない魅力
かつては “友達” だった2人。大人の関係になってしまった2人。それでも “恋人” になれない2人。そう、いくつもの “関係性” が重なり合い、大人の意味さえ含ませる「フレンズ」という言葉には、より深みが漂ってくる。
歌詞の解釈に正解はないし、読み解くことほど無粋なものもない。自分が感じたことこそが答えだからだ。時代を越えて聴き継がれる名曲は、聴き手の年齢や経験によって、その意味を変えていく。若い頃に聴いた “青春の恋の歌” が、今となっては “痛みを知る大人のラブソング” として響くことだってある。そんな、さまざまな意味を膨らませられることこそが、「フレンズ」という楽曲の色褪せることのない魅力なのかもしれない。あなたは今、この曲をどう解釈しますか?