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「どう思う?」では子どもの“本当の言葉”は聞けない “国語力”が身につく問いを注目の教育者2名が伝授

コクリコ

「国語力」の“言葉の力”はどう身につけるのか。約40年のキャリアを持つ国語教師・甲斐利恵子氏と、小中高生を20年以上教える教育者で作家の鳥羽和久氏が対談。

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最近、「国語力」の大切さが注目されています。言葉を正しく理解し伝え、文章を読み解き書く「国語力」はあらゆる勉強の土台になるとも。では、「国語力」の“言葉の力”とはどのように身につけるものなのでしょうか。国語教師として東京都の公立中学で38年務め、現在は軽井沢風越学園(*)で教える甲斐利恵子氏は、子どもたちから「本当の言葉が生まれる教室」を目指し実践し続けてきたと言います。

「本当の言葉」とはどういったものなのか、小中高生を20年以上教える教育者で作家の鳥羽和久氏が聞きました。『「学び」がわからなくなったときに読む本』(編著:鳥羽和久氏/あさま社)から再構成してお伝えします。

*軽井沢風越学園=2020年に長野県軽井沢町に開校した幼稚園、小・中学校。三歳から十五歳までの十二年間の連続性を大切にしたカリキュラムを実施。異年齢での学びや、プロジェクト学習を中心に据えた学習などで、一人ひとりの「自分をつくる」と「自分でつくる」時間を積み重ねている。

本当の言葉が生まれる教室とは?

鳥羽 そもそも甲斐さんは、公立校の頃から、いろんなことにぶつかっては、自分の殻を破ることを繰り返してきたんじゃないかと想像するんですが、公立校の38年間はどうでしたか。

甲斐 本当に楽しかったです。それはベースに大村はま(*)がいたからだと思います。
20歳のときに『教えるということ』(*)を読んで衝撃を受けて以来、大村に私淑(ししゅく)しているんです。

*大村はま=1906年生まれ。1928年から国語科教師として働き、「単元学習」と呼ばれる指導法を自ら考案、実践した。退職後も九十歳を過ぎるまで「国語教育研究」を継続した。主著に『教えるということ』『大村はま 国語教室』全15巻(筑摩書房)。2005年歿。

例えば、彼女は「私たちの仕事って子どもを知ることですよ」と言います。さらに、子どもを知るためには「本当の言葉が生まれる教室」が必要だと説く。

「あなたの好きなものは?」「何に興味があるの?」と問われて答えるような言葉では、子どもの本当の姿を知ることはできない。子どもたちが、自然と言葉を発してしまう教室をつくりなさい、と。

鳥羽 「あなたの好きなものは?」「何に興味があるの?」と尋ねられた子どもは、自分の欲望に対して正直になるのではなく、むしろ、大人に忖度(そんたく)してしまい、その結果、自分の声を失ってしまう。大村の言葉には、そういう洞察が含まれている気がします。

そして、甲斐さんは、大村の言葉を正面から受け止めて、「本当の言葉が生まれる教室」をつくる努力をされてきたのですよね。

甲斐 ええ、でもそれを意識し出したのは、四十歳を過ぎて、大村の全集を読み返したときからでした。それまでは大村のやり方を取り入れたい一心で、がむしゃらに実践していただけなのですが、「本当の言葉が生まれる教室」というワードに出会い直して、ようやく実践の方向性ができたように思います。

甲斐氏は「本当の言葉が生まれる教室」を生み出すために、教材や授業などほぼを手作りしてきたという。  イメージ写真:アフロ

鳥羽 非常に含蓄(がんちく)のある言葉ですが、甲斐さんは、具体的にはそれをどのようにとらえたのでしょうか。

甲斐 「本当の言葉が生まれる教室とは?」と問われて、いつも頭のなかがぐるぐるしてくるのですが、一つ言えることは、子どもたちが、自分のなかから出てきた言葉で、本当に話したいことを話せる場所のことです。

そのために大切なのが「安心」なんですね。自分の言葉が否定されるかもと怯(おび)えたり、正しい答えは何だろうという方向にいってしまったり、先生が望む答えはなんだろうと忖度したりせず、子どもたちが安心して発言できる環境こそが、理想的な教室。生徒一人ひとりが自分でいられる、そんな場所をつくることが、私の仕事だと思います。

私には、「子どもたちを知る」ことと「子どもたちに教える」ことが、ものすごく近いように感じられます。「知る=教える」。つまり、いつもそばにいて、「あなたのことを見ていますよ」という存在があって、子ども自身が安心できて初めて「本当の言葉が生まれる」のだと思います。

鳥羽 知ることがイコール教えるにつながるというのは、とても興味深いです。「知る」ことを通した安心の手触りが、「教える」を発動する場を醸成(じょうせい)する、ということですよね。

それにしても、自分のことを知ってくれている大人が、親以外にいることは子どもにとってとても大事です。悩みが深いときは特に。そして、子どものことを知るというのは、教える側にとっても、特別な力が発動する源になります。例えば、彼らに何かあったときには、考えるよりも先にからだが勝手に動くんですよね。

甲斐 本当にそう思います。「助けてあげなきゃ」と思うんじゃなくて、気がついたら私はもうその子のそばにいる。自分のからだがそんなふうになれたらいいなと。

鳥羽氏の新刊『学びがわからなくなったときに読む本』(あさま社)では、本来の「学び」とは何かを、最前線の「学び手」7人から探った。

言葉を血肉化する授業

鳥羽 冒頭でお話しした、大村はまの「本当の言葉が生まれる教室」というワードが非常に重要だなと思ったので、その話をもう少しくわしく聴かせてください。

僕も国語を教えるときには、言葉こそが子どもたちの財産になると信じて授業をしますが、いまそういうことを言うとけっこう嫌われるんですよ。でも、国語の先生が言葉の力を信じなかったら、誰が信じるんですかと思ってしまう。こういう考え方は、少数派になってきているように感じますが。

甲斐 言葉が考えを連れてくるのにね。「とても嬉しかったです」の「とても」という副詞一つをとっても、「心底」「予想外に」と言えたほうが、自分の考えがより立体的になります。

実際、簡単な言葉しか持たなかった中1の子が、言葉を獲得していくプロセスを経て中3になると、人間としての幅も出てきます。それは、さまざまな教育活動の成果が積み重なった証拠でもありますし、心身の成長にともなって、言葉が豊かになったからだと思うんです。

私の役割は、その言葉を血肉化する手助けをしてあげること。この授業で「つまり」と言い換えることができるようになるといいなと、考えて単元をつくるものもあります。

子どもが発言したら、「つまり?」と聞く。「それを別の言葉で言うと?」とさらに聞くと、どんどん違う言葉が出てきます。自分の言葉に、自分の言葉を重ねていくことで、「自分はこんなことを考えていたのか!」と発見できたりします。

また大村の話で恐縮ですけど、子どもに「どう思ってますか?」と聞くのは「ちょっと品がないですね」と、彼女は言っていました。直接問うのではなく、いつのまにか子どもが自分自身で考えてしまうような言葉を添えてあげる。それが大事だと思います。

「よく考えて一言でまとめてごらんなさい」なんて言うと、子どもは無意識のうちに先生が期待している言葉を選ぶでしょう。先生や周りの子どもとの関係性のなかでしか、話せなくなってしまう。だから慎重に導いていかないと、本当の言葉は生まれないんです。

鳥羽 具体的にどんな言葉を添えてあげることが多いですか。

甲斐 「根底には」や「そもそも」という言葉はよく使います。この二つの言葉は、本質に立ち返っていく言葉です。

例えば、『平家物語』の単元についてお話ししますね。このときは角川ソフィア文庫のビギナーズクラシックスシリーズの『平家物語』を、一人に1冊ずつ渡しました。目次を見ながら、どんな内容かをコンパクトに説明したあと、今回の単元では「人物論」に挑戦することを伝えました。

『平家物語』に登場する人物はどれも魅力的であること、ここから一人の人物を選んで人物論を書くのですよ、と言いました。子どもたちは古典ということもあって少し緊張しているようでした。

そこで、いきなり一人ずつ違う人物を取り上げるのは少しハードルが高いと感じ、全員で「敦盛(あつもり)最期」を読んで「人物論」に挑戦することから始めました。敦盛か熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)か、どちらかを選んで書いてみます。そのときに「根底には」という言葉を必ず使うということを条件にしました。

直実であれば「優しい人」、敦盛であれば「立派な人」だけではなく、もっとその人物を深く掘り下げる言葉が生まれてほしいからです。ここで、「よーく考えて」「深く掘り下げて」「優しいとか立派なだけでなく」などと言ってもそうはならないものです。

どんな言葉がその人物の本質的なところに迫っていけるだろうか。それを考えて「根底には」という言葉を選びました。人物の価値観にまで深く触れながら、考えてほしいと思ったのです。

子どもたちは、「根底には」という言葉を使うことによって、自然と彼にどんな家族がいて、武士としてどんな立場にいたのかと、直実の内面の奥深くに関心を寄せていけるようになったと思います。

鳥羽 たった一言付け加えるだけで、考えはどんどん深まっていく。

甲斐 そうです。そして、知らない言葉であっても自分の頭やからだを一度通すと、それは血となり肉となると思います。いつのまにか記憶のどこかに定着して、何日か後には友だち同士の会話に飛び出すようになる。「お前、根底にさ、人を馬鹿にしようとしてる気持ちがあるんじゃない」と。そういう会話を耳にすると、「あ、使ってる!」って嬉しくなります。

鳥羽 子どもが言葉を獲得していくプロセスは、見ていて楽しいですよね。しかし、このような「本当の言葉」を話すことはいま、子どもだけでなく大人もまた難しくなっていると感じます。

公立中学の国語教師を65歳で終え、風越学園に移った甲斐氏。「これまで作りあげてきた枠組みが全部壊れるんじゃないか」とワクワクしたと言います。

言葉の力は考え続けた末に身につく

鳥羽 最近は「言ってはいけないこと」に対する監視及び自己検閲が非常に強まりました。本来、言葉にいいも悪いもない。それは、手触りの現実のなかで、一人ひとりがつかみ取っていかなくてはならないものです。だからこそ、若いうちに「本当の言葉」を使ってみることはとても大切です。

甲斐 未知の言葉と出会ったときに、辞書を引いて、その意味をノートに書き写すだけでは、言葉の力はつかないですね。「言葉を学ぶ」というのは、先ほど鳥羽さんが言われたように、実際に使われる場面や、どんな属性の人たちが使う言葉なのかといった周辺情報も込みで知っていくことだから。実践の場で言葉を使って学ばないと、いつまでも言葉の力は身につきません。

鳥羽 いま、甲斐さんがおっしゃった「言葉が身につく」というのは、世間でいう「語彙力(ごいりょく)をつける」とは次元の違う話ですよね。これは『おやときどきこども』という本にも書いたことなんですが、言葉が血肉化しないというのは、例えば現代の子育ての難しさともつながっていると感じています。

*『おやときどきこども』鳥羽和久著。ナナロク社より2020年に刊行。

「なぜ子どもは親の話を聞かないのか」というのは、子育てにおける筆頭の悩みとしてたびたび語られることですが、それはいま、大人が語る言葉には身体性がともなっていないからでしょう。

なぜ、甲斐さんの言葉が子どもたちに届くのかと言えば、甲斐さんご自身が、単元の準備をすることを通して、勉強し続けている大人だからですよね。勉強し続けている身体が、その人の核になっていると子どもたちに伝わるからですよね。

勉強し続けるというのは、別の言い方をすると、変わり続けるということ。変わることを恐れない。でも、これができる人は限られているんですよ。普通は大人になったら、安定して生活したいのが当たり前です。

でも、子どもとかかわる大人は、どうしても変わり続けることが必要だと思うのです。一緒に勉強をするということは、一緒に変わっていくことなんじゃないでしょうか。

甲斐 昨年度(2023年)、沖縄戦を題材に授業をしました。沖縄戦の写真を見て感想を語り合ったり本や資料を読んだりして、短歌をつくり、最終的に随筆を書くという学習でした。

子どもたちも最初は尻込みするんです。「集団自決で、親が子どもを殺す気持ちなんてわかんないよ!」って。それでも、その状況に思いを寄せて考えていくことで、不自由な言葉が少しずつほどけていく。

自分の言葉とは心が動いたときに生まれるものだと思いますが、簡単には整った形で現れてくれないものです。ここで「言葉にできないほど悲しい出来事です」のように済ませてしまうと、言葉を生み出していく力から遠ざかってしまうように思います。

たどたどしくても、言葉にしてみる。これじゃない、これでもない、と考え続けているときに言葉の力は育つのではないでしょうか。こういう授業のときの子どもたちは、自分の心に生まれてくる情景や感情と真剣に向き合って言葉を探し、話しかけてきます。一緒に言葉を探す時間は、本当に大切な時間だと思っています。

●鳥羽和久(とば・かずひさ)PROFILE
教育者・作家。1976年福岡県生まれ。専門は日本文学・精神分析。大学院在学中の2002年に学習塾を開業。現在は、株式会社寺子屋ネット福岡代表取締役、学習塾「唐人町寺子屋」塾長、単位制高校「航空高校唐人町」校長、「オルタナティブスクールTERA」代表。著書多数。朝日新聞EduA教育相談員。

●甲斐利恵子(かい・りえこ)PROFILE
国語教師。福岡県生まれ。軽井沢風越学園スタッフ。東京都港区立赤坂中学など公立中学で38年間国語科の教員を経て、2021年に軽井沢風越学園に参画。光村図書中学校『国語』教科書編集委員などを歴任。著書に『国語授業づくりの基礎・基本 学びに向かう力を育む学習環境づくり』(共著・東洋館出版社)など。

今の『学び』という言葉はどこか胡散臭いと感じた鳥羽和久氏が、最前線で活躍する教育者や学者、医師などの学び手7人と対話した『「学び」がわからなくなったときに読む本』(あさま社)

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