Yahoo! JAPAN

アフロの『逢いたい、相対。』詩人・黒川隆介と考える、言葉とともに生きる理由「好きなことに縋って生きてきた」

SPICE

アフロの『逢いたい、相対。』ゲスト:黒川隆介  撮影=森好弘

アフロの『逢いたい、相対。』第四十七回目のゲストは、詩人の黒川隆介。6月12日に実業之日本社より、アフロはエッセイ本『東京失格』を、黒川は詩集『生まれ変わるのが死んでからでは遅すぎる』を刊行した。それを記念して、両著者による全国トークイベント・売り歩きツアーを6月1日から7月4日にかけて開催中。今回の対談では全国ツアーに対する意気込みだけでなく、アフロが黒川の生み出す詩の魅力についても探っていった。

黒川隆介

「もしかしたら、この詩というのが、自分の生き方に最も近いかも」と気づいた

アフロ:いざ対談するとなったら、いつもと感じが変わるね。

黒川隆介(以下、黒川):シラフでちゃんと話すのは、文藝春秋PLUSが最初で最後じゃない? 基本的に俺はお酒が入ってるから。

アフロ:隆ちゃんの場合は飲んでも飲まなくても、話す内容は変わらないでしょ?

黒川:そうね。変わるのは目の焦点だけ。

アフロ:視力が良くなるんだ。

黒川:そう、だから今はピントがあまり合ってない。

アフロ:ははは。

黒川:飲み過ぎると最初は体にきて、そこから目にくるんだよね。

アフロ:アルコールが染み渡ってピントが合うということは、お酒は眼鏡みたいなものだ。

黒川:うん、もはやレーシック要らず。21、2歳の頃はバーで頻繁に飲んでいて、ある日、お店のトイレに行って天井を見ていた時に「あ、(以前の視力が)俺に帰ってきた」と思った。その時に初めてピントが合った感覚になったと思う。

アフロ:お酒を飲まなかった時期はあるの?

黒川:いや、ずっと飲み続けてる。でも近い将来、お酒を辞めるような気もしてるんだよ。

アフロ:マジ?! なんでそう思うの?

黒川:若い頃は300円くらいの安いウイスキーを常に持ち、ラッパ飲みをしては泥酔するのが日常だったの。そこから居酒屋やバーで飲むようになって。いつも千鳥足で帰っていたのが、そうなるまでは飲まなくなったの。ということは、前と比べて酒量がどんどん減っていってるわけだよ。このまま減っていくと、いずれは飲まなくなるんじゃないかなと。

アフロ:たくさん飲まなくてもピントは合うの?

黒川:うん、大丈夫かな。

アフロ:少量でも合うようになってきてるんだ。

黒川:単に肝臓が弱ってるのかもしれないけどね。まあ、ナチュラルレーシックよ。

アフロ:この対談で初めて隆ちゃんを知る人がいるかもしれないから、改めて聞くんだけど、そもそも詩を書き始めたのはどのタイミング?

黒川:最初は16歳の時だね。キッカケは、仲の良かった子が自死しちゃったの。それまで友情というのはなんとなく続くと思っていたんだけど、突然ぶつ切りになった感覚になった。当時はブログブームで、俺もブログを作って当時の気持ちを書いたんだ。そしたら、知らない人たちから「いい詩ですね」とコメントがついて「あ、俺が書いていたのは詩なんだ」と初めて認識した。そこから毎日いろんなことをブログに書くようになった。

アフロ:その時に好きな詩人はいたの?

黒川:あんまり意識してなかったね。10代後半になるにつれて、意識的に金子みすゞさん、田村隆一さん、ブコウスキー、谷川俊太郎さんとかを読むようになっていった。その時間の中で「もしかしたら、この詩というものが、自分の生き方に最も近いかも」と気づいていった感じ。だから16歳で書き始めた時は「これが詩だ」とは思っていなかったかな。

アフロ:これが自分に合うと、徐々に実感するようになったんだ。

黒川:うん。

アフロ:最初にみんなが反応してくれた詩は、どこが良かったと思う?

黒川:青臭かったところじゃない? 周りの人が褒めてくれたというより、顔も知らない自分の知らない人がコメントをくれていたから、俺のことを知らない大人が詩を読んだ時に、その青臭すぎるダサさがよかったのかもしれない。20歳ぐらいの時には「国⺠文化祭京都2011」で賞をいただいて。その詩は10代の時に書いたものだけど、今読んでも悪くないなとは思うけど。

アフロ:それは詩を始めて5年くらい経った時か。その時期はめちゃくちゃ書いてた?

黒川:書いてたし、俺らの世代はmixiが流行っていたでしょ。そこにもいろんなことを長文で書いてた。だから「書く」ことは毎日やってたと思う。「いいね」が2件しかつかないような時でも、とにかく量はたくさん書いていたかな。

アフロ:2件の「いいね」は誰がつけたのか分かるの? 

黒川:うん。ブログを書き始めた時に、よくコメントくださる方が2人いて。1人は九州の人だったの。俺は神奈川県・川崎市出身なんだけど、20歳くらいの時に働いていたバーに会いに来てくれて、そこから顔を認識するようになった。もう1人はペンネームが猫太郎さんという方だった。

アフロ:猫太郎さんの正体は分からず?

黒川:いや、一度会ってご飯を食べたよ。それも20、1歳の時かな。今、その方は40代になってると思う。

アフロ:その2人とは会って何を話したの?

黒川:何を話したんだろう? そこは記憶が曖昧だけど、共通しているのはとても優しい人だった。当時の彼らからすると俺は10代の若者で、近しい人の死とか、いろんなことを乗り越えていく心境も書いていたから、保護者みたいな視点で会いに来てくれたのかもしれないね。どんな青年なのかな、と応援する感じだったと思う。

詩の道を進むことによって「家族と絶縁」することがあるかもしれない、と覚悟して生きてきた

アフロ

アフロ:その人たちは今回の詩集(『生まれ変わるのが死んでからでは遅すぎる』)も手に取ってくれるのかな?

黒川:そうだといいな。今もmixiやfacebookで繋がってるしね。

アフロ:その2人はおそらく「自分が黒川隆介の最初の読者だ」と自覚してるだろうし、その関係を今日まで紡げているのはすごいことだよね。

黒川:それで言うと、中高の同級生も最初に出した詩集を買ってくれたり、今もSNSでメンションしてくれたりして。最初の2人もそうだけど、基本的に俺に関わってくれた人たちのほとんどが読者であり、応援し続けてくれている実感はあるね。

アフロ:前に三軒茶屋近くのバーで、隆ちゃんの学生時代の友達に会ったよね?

黒川:うん。というか、アフちゃんは俺の同級生にたくさん会ってる。今日も車出してくれてそこに来てる付き添いも中学の同級生なんだよ。マネージャーの代わりをしてくれたり、その時々で友人が支えてくれてる。そもそも詩人は、生業になりにくいジャンルだと思うの。自分は幸運なことに食べていけているけど、そういうことも含めて、俺に関わる人たちが「こいつを詩人として食えるようにしたい」という思いの結晶で、詩人・黒川隆介は出来上がってる気がする。この服や靴だって、それぞれ違う友人や先輩から貰った物なんだよ。俺が服をほとんど買わないから、気にかけてプレゼントしてくれた。こうした撮影時なんかに身なりがガタガタじゃよくないでしょって周りが世話焼いてくれている。それも込みで、俺にとって詩は“生きる業”と書いて生業になってる。それはアフちゃんも近いところがあると思うけど。

アフロ:どうだろう? 詩人に比べてラッパーはメイクマネーとか「逆境でこそ輝く」というのが根底にあってさ。そこまで誰かに助けてもらうことを、良しとしてないかも。とはいえ、地元のことをレペゼンするラッパーは「仲間」とか「上がる時はみんな一緒だ」という感覚を持ってる気もするから、あくまで俺が思っているだけかもしれないけど。

黒川:うんうん、なるほどね。

アフロ:ただ「上がる時はみんな一緒」の感覚って、隆ちゃんにはないでしょ? 詩人の友達はいても、つるんだりせず、ずっと1人で書いてるよね。それが今回の詩集からも強く感じられて、これまでと比べて孤独感が増したように思う。「帰るところなんてなかった 人生が仮住まいだった」という言葉も出てくるよね? 自分のホームがない感覚と、みんなから助けてもらっている感覚が、隆ちゃんの中でどう繋がっているんだろう?

黒川:今は東京と函館に家を借りつつ、全国を巡りながら詩を書いているんだけど、しばらく地方を周っている時に、俺の中にホームシックの感覚がないことに気づいた。同時に自分にはホームがないんだ、と思ったの。すべてがホームだし、どれもがホームじゃない。もちろん1人で詩を書いてるんだけど、例えば自分を応援してくれている方の飲食店に俺が行くことで、そのお店に少しでも還元できることがあったらいいな、と思っていて。自分が一つの木となって、根っこでみんなと関わっている感覚があるから、孤独であり孤独じゃないんだよね。それを実感したことが、今回の詩にはかなり投影されてるかもしれない。

アフロ:あと、ここまで家族のことを剥き出しに書く印象もなかった。

黒川:そうそう。家族のことはあんまり書かないようにしていたんだけど、書いていこうって思ったんだ。家族って、あらゆる人にとって永遠のテーマだと思うの。そこも自分が掘っていかなきゃいけない、という感覚が芽生えた。

アフロ:「私たちが死んでから書いてほしい」という詩もあったよね。俺にも思い当たる節があってさ。俺は家族のことを歌ってきた曲がたくさんある中で、あるタイミングから「いいことばっかり歌ってんじゃないよ」と自分に対するツッコミが出てきた。家族のいい面を曲にする分には何も問題はないけど、ちょっと仄暗いところを曲にした場合、それは彼らの人生にも支障が出る可能性があるじゃない?

黒川:そうなんだよね。

アフロ:だから、俺は「ネクター」という曲を書いて家族に聴かせに行ったんだよ。「これを曲にしていいかな」って。まず、姉ちゃんに聴かせたら「こんな家の恥を世に出すな」と言われてさ。その後に両親に聴かせて「(歌っても)いいよ」と言ってもらえたから、出すことになったんだけど。やっぱり突きつけるものはあるよね。

黒川:そうだね。今回、小学校時代の先生から「詩集の販売会に行きます」と実家に連絡が来たりして、親のところにも反響があるらしいんだ。だけど、家族も本の内容を知らないからショックを受けるんじゃないかな、と思ってるんだよね。もちろん傷つけるつもりで書いてないよ。ただ、詩の道を選んだ時から、もしかしたらこの道を進むことによって「家族と絶縁」することがあるかもしれない、と覚悟して生きてきた。自分の詩を突き詰めていくことで、本当の意味で家族を手放すことになるかもしれない、という意識はずっとあった。そういう意味では、そこにも踏み込んだ詩集になった気がする。結果的にそうなってしまった、というか。

アフロ:その覚悟を感じるからこそ、俺は寂しさと孤独感を受け取ったのかもしれない。というか「活字ってこんなに寂しかったっけ」と思いながら読んでた。

黒川:1年前、精神的に色々あってさ。それまで自己啓発的な言葉があまり好きじゃなかったんだけど、イチローさんやアスリートの格言とかを読んで、自分を頑張らせようとしたの。その時に「俺の詩って、誰かのためになってるのかな?」と思ったんだ。「誰かのため」と言うと嘘くさくなるけど、もしも自分のような苦しんでいる人がいた時に、その人たちの痛みをちょっとでも緩和できるような詩でもありたい、と思った。今いる状況とか育った環境とか、いろんな境遇にいる人たちが俺の詩を読んで「それでも人生って、自分で選択して進むことができる」と伝わることがあったらいいな。それがこの本のどこかには入っている気がするんだよね。

アフロ:そう考えるようになった具体的なキッカケはあるの?

黒川:病院で診てもらったわけじゃないけど、今思えば鬱病だったのかな。電車に乗ると大量の汗が出てきたり、クラクラしちゃったりしてさ。でも、ここでしばらく休むことにしたら、そのまま自分は再起できない気がしたの。だから、しんどい状態でもなんとか仕事をしてて。その間に誰かの格言とか、ピンチになった時の名言集を調べて「そっか、こういう窮地の状態で、大谷翔平さんはこういうことを考えてるんだ」と負の気持ちの転換に挑んでいた。それと同時に「俺、こういうのを馬鹿にしてたよな」と思ったの。でも、いざ自分が大変な状況に陥った時には、誰かの言葉に救われる。そこから、自分の詩も人の力になることがあれば嬉しいと思っちゃったね。そんなこと、思いたくなかったけど。

「みんなのために」と考えている人が、なぜこんなにも孤独な詩を書くんだろう?

アフロ、黒川隆介

アフロ:今、隆ちゃんの詩はすごくバランスがいいなと思う。目にした光景の解像度を上げつつ、実際にある風景の色を変えている感じがする。その詩を読んだ人が、胸の中で自分なりのメッセージに変換していってる気がするんだよね。例えるなら、外科のように外側からメスを入れるのではなくて、内科のように内側から徐々に治していく感じ。

黒川:それで言うと「誰かのためになったらいいな」という気持ちはあるけど、かといって誰かのために書いたものって、薄くなるときもあるでしょ。人のためが念頭にあったというより、自分が育ってきたことや、苦々しく感じていたことを掘らなきゃいけないと思った。その苦々しかった経験や記憶を直視し、詩を白日の元に晒す。格言めいた詩を書くようになったわけではなくて、自分を叩いて・崩して・粉にして、飲めるようにした感じかもしれない。それがどういう効果を生むのかは分からないけど「こういう人でもこの歳まで生きることができて、生き続けることはできる」。それがこの本を通して、読み手に伝わるのかなって。

アフロ:「読み人知らず」じゃなくなったんだね。「読み人ここにあり」の上で「こういう詩がありますよ」と勝負するようになった。

黒川:そう。今回、又吉(直樹)さんが本の解説文を書いてくださって。そのまま帯になっているんだけど、「黒川隆介という詩人は、年表の欄外に消えてしまう事象や、社会の言葉に回収されない感覚こそを拾いあげ、光を当てる詩人である。彼の生き方がそのまま詩になっていることが、この詩集を読むと伝わるだろう。」と。そこにこの本の根源的なモノがあるんだと思う。「みんなにこれを伝えよう」と思って書かれたのではなく、1人の人間が「生きていく中で、これは記録しなきゃいけない」「こういう生き様みたいなものは、誰かが保存して残さなきゃいけない」といったところが詩の一部になっていると思う。それが人によっては薬になるかもしれない。そして、自分の身近な家族に対しては毒になるかもしれない。

アフロ:それこそ「誰かが残しておかないといけない」とか「使命」というフレーズを隆ちゃんからよく聞く気がする。今この時代に生きる詩人として残しておかなきゃいけない、みたいなさ。その視点はどこから来るの?

黒川:やっぱり詩が好き、という気持ちからかな。自分の周りには詩を書いている先輩・友人・知り合いが多くいるけど、それだけで食べてる人は少ない。でも、自分は詩で食べさせてもらえている。「じゃあ、どうしたら他の人も詩を書くことが仕事になるんだろう」と考えた時に、自分の動き方が使命感に紐づいてきた。

アフロ:でも分からないんだよね。「みんなのために」と考えている人が、なぜこんなにも孤独な詩を書くんだろう? 今日もそうだけど、常に周りには誰かがいるじゃない? それなのに、紙と向き合う時は1人。そのギャップは、客観的に見れば不思議に感じると思う。

黒川:自分の中では、これが暗いとか寂しいって感覚は全くなくてさ。そういう意味では、自分を客観視する感性は極端に鈍いと思う。打ち合わせをしてる時に、相手の口元に歯磨き粉がついてたことは面白く詩にできるのに、実際は自分についてることが多い、みたいな。だから自分のことは全然見えてない。自分のことさえ見えていない状態でこんなことを書いてるから、そこが孤独とか寂しさに見えるのかもしれない。「この人、自分の居所は見えてないんじゃない?」と感じさせてしまうのかも。

アフロ:じゃあ、本人は全然寂しくないんだ?

黒川:そういうものも全てひっくるめて生きてる感覚だね。

この身長や体重、呼吸のペースとかリズム、自分の鼓動も含めて「本当にズレがない言葉になっているかどうか」をすごい考えてきた

黒川隆介

アフロ:俺は隆ちゃんと真逆で、自分のことばかり気にして生きてる。俺はこう思ったとか、俺はこう動いてるとか、自分がどう変わるのかに興味がある。だから(全国トークイベント・売り歩きツアーで)函館に行くのも三原に行くのも、もちろん会いたい人たちがいるから行くんだけど、それ以上にそれぞれの場に自分が飛び込んだ時、俺がどうなるんだろうっていう変化を知りたいし、そのことをずっと書き続けてる。そこに我々の決定的な違いがあるのかもね。

黒川:確かにね。アフちゃんは立脚点が明確に見える人で、俺は「この人はどこに立っているんだろう?」と所在が見えにくいんだと思う。この詩集で言うと、普通は著者のプロフィール欄は「出身地とか何年に○○をした」とか細かく書いてあるじゃん。今回はそれも詩にしたのね。

アフロ:「黒川隆介」という詩があるよね。

黒川:出版社から「プロフィールを送ってください」と言われて、そのまま載せるのも嫌だなと思って「十六より詩を垂らし 定職就かずまま 呼ばれては何処までも 狼煙の行方に立ち尽くしたままでいる」という詩にした。この「狼煙の行方に立ち尽くし続けている状態」が、読む人に寂しさを感じさせるのかもしれない。

アフロ:まず「詩を垂らす」のところは、普通だったら「16より詩を書いて」と書くけど、それを「垂らし」にすることで、言葉の響きが一気に広がるよね。これは修行の成果なの?

黒川:詩のことばかりを考え続けた結果かも。詩のことを忘れた瞬間が16歳から1度もないんだよ。めちゃくちゃ下手だったし、才能もないんだけど、やっぱり続けていると自分のサイズに合った表現の言葉が、勝手に出てくるようになるんだろうね。自分よりもカッコ良すぎないし、自分よりも卑屈にならない言葉をいつも意識してて。この身長や体重、呼吸のペースとかリズム、自分の鼓動も含めて「本当にズレがない言葉になっているかどうか」を考え続けてきた。だから「詩を書き」じゃなくて「詩を垂らし」になるんだよね。俺が「詩を書き」だと、むしろ嘘っぽいなって思う。そうして自分に合う言葉を選んで行った先に、今の表現があるのかなって。

アフロ:自分にとって収まりのいい言葉を見つけたんだ。

黒川:そうだね。それも変化し続けると思うから、1年後に詩集を出したとしたら、全く違う作品になってる可能性も全然ある。今回は結構なボリュームを書いて、一度自分の全てを書ききろうと思って向き合ったからこそ、この本以降も俺はもう詩を書けないかもしれない、とすら思った。

アフロ:もう絞りカスまで出したんだ。

黒川:うん。そうなるかもしれないな、と思って書き続けた。

初めて「本を買ってください」と言えるようになった

アフロ

アフロ:これまでの詩集は、自費出版で出していたよね。今回ついに商業出版になるけど、それは誰かの薬になったら素敵だな、という想いと関係してるの?

黒川:いや、全く関係なくて。担当編集の人が「1回会えませんか?」と頻繁に連絡をくれていて。半年以上も返事をしてなかったんだけど、熱心に連絡をくれるから会うことにしたんだ。その時に「黒川さんが出してきた重厚な詩集のこだわりをそのままに、ウチでもやりたいです」と言ってくれて。そういう話は商業出版では来ないと思っていたから、それだったらやってみようと。で、デザイナーはこれまで俺の詩集を作ってくれた方にお願いして。そのデザイナーは職人気質な人で、装丁を紙からとことんこだわって作ってくれた。その結果、蓋を開けたら原価率がとんでもないことになってさ。「このままだと作り直すか、価格を4000円〜5000円にしないとならない」と出版社の人に言われたの。でも、若い人が手に取れる金額にしたかったし、こだわりもあるし俺も譲れなかった。既に全国ツアーも発表されていたから、今さら中止にできないとなった時に、とある先輩に相談したら「1000万円を寄付します」と言ってくれて。その1000万円でこの詩集を作れたから、俺がお金を出したわけじゃないけど、自費出版と変わらないんじゃないか……って。

アフロ・黒川:(顔を見合わせて)ははは。

黒川:商業出版という形で世に出るけど、起きた出来事の中身はそれととても遠いところにあって、今までと変わっていない気がする。ただ、これまでは部数を絞って自分で出版していたから、「買ってください」みたいな感じで売ってなかった。むしろ、こっちでこの人には売るべきかどうかを選んで、買う人、シチュエーションも選ぶみたいな感じで買ってもらっていたから、ほとんど公には売ってなかった。宣伝もしてなかったしね。それが商業出版となれば、本の在庫がいっぱいあるし、関わった人もたくさんいるから、初めて「買ってください」と言えるようになった。そこがこれまでとの大きな違いだね。

アフロ:1000万の話は、詩人のロマンとして読者に響いたらいいよね。エンタメ的には「スポンサーシップ」の一言で片付くけど、そうじゃないんだよね。詩というものに魅せられて、現代の詩がこの国でどう捉えられているのかも全部含めて、お金を出した人も使命を感じて「寄付するよ」という流れに至ったと思う。だからこそ、俺はすごくポジティブな流れに見えるな。

黒川:俺もそう思う。その方は日本のいま、これからのことを実直に考えている侍のような人で、街にお金を寄付して子どもたちが遊べる公園を作ったりしていて。俺は2年前に出会ったんだけど、その人が「わたしの街でも詩を書いてほしい」と言ってくれたことがあって。そこから定期的にその街にお邪魔して、街を題材に詩を書きつづけていたんだよね。俺の活動のあり方も知ってくれていたから「黒川さんのようなモノを作る人の障害になることがあれば、取り払いたいと思ってる」と言ってくれていた。今回も俺は自分が納得できるクオリティの本にしたいから、原価の問題があっても質は落としたくなかった。そしたら「僕も質を落とすべきではないと思う。自分の力で問題をクリアできるのなら」と言って1000万円を寄付してくれて、なんとか作ることができたんだ。

アフロ:「公園を作る」ってすごくいいフレーズだと思ったんだけど、その感覚で詩集にも協力したのかな?

黒川:そうだと思う。俺の中では協賛とかスポンサーでなくて、アフちゃんの言うように「協力」という言い方をしてて。とんでもない金額だけど、不自然な動きがどこにもない。そういう全てのことで成り立った詩集な気がする。何より、生きていく中で障害や壁って出てくるじゃん。だから、これまでの詩集のやり方で出したいって言ってたのに話が違うじゃないか、って断絶するのではなく、人生の中の一つの直面した壁として、「商業出版だからそういうこともあるよな、でもどうしたら越えられるか」「じゃあ、いろんな人に相談してみよう・考えてみよう」という感じだったね。自分の中で、自費出版と商業出版の棲み分けがそこまでなかったのかもしれない。アフちゃんが一緒に全国を回るツアーを考えてくれたり、担当編集の村嶋さんがこれまでのやり方との違いを意識させないようにしてくれたり。そうやって周りの人たちが、自分を変わらずにいさせてくれたんだと思う。

俺の人生には詩しかなかったんだよね

黒川隆介

アフロ:作品の中身についても触れたいんだけど、魚屋に行く詩があるじゃん?

黒川:うんうん。冒頭の「ショートカット」だ。

アフロ:そう! 「ショートカット」の中で「魚屋へ行き メンチを切ってきたやつをしばき 昔だったらそうしてたよなと本当はしばかず」という一文があるよね。俺、そこでページをめくる手が止まったんだ。てっきり魚が店頭に並んでいて、その息絶えた魚が隆ちゃんに対してギラっとメンチ切ってると思ったの。でも、これは魚に向けた言葉じゃなくて、魚屋に行った時にメンチを切ってきた人間に対して「しばこうかな」と思った、という話にハッとした。そうか、この人はメンチを切る人をしばくような人間だったんだ、と。

黒川:いや、それはケースバイケースだよ。

アフロ:そんな人間が文章・文学と出会ったら、それはラッパーになるコースなわけよ。なぜ、そっちに行かなかったと思う?

黒川:詩が好きだったからじゃない?

アフロ:そうか。ラップじゃなくて、やっぱり詩だったんだ。その時にラップとも出会ってた?

黒川:聴いてたよ。でも、俺は詩が好きだったね。やっぱ……俺、詩が好きなんだよね。

アフロ:ははは! 今、ホッカホッカの顔してんじゃん。

黒川:こんなに好きなものがある、って幸せだよね。

アフロ:このタイミングで言っちゃうけど、隆ちゃんの詩に着想をいただいて、今日のために俺も詩を書いてきたの。

黒川:おお!

アフロ:今、隆ちゃんの「こんなに好きなものがあるって幸せ」に通じる内容なんだけど、一発読んでもいいですか?

黒川:もちろん。

アフロ:これは俺の詩だけで理解できるように書いてるから、この詩の出所を知りたければ「黒川の詩集を買うしかない」という仕組みで、お届けしたいと思います。ちなみに「コイントス」の詩は覚えてる?

黒川:もちろん。芸人と詩人の話だよね。

アフロ:その中に「博打のような生業は芸人と詩人、その一点において似ている」というフレーズがあるんだけど、そこに対して着想を得て書きました。タイトルは「はん論」。(アフロは自作の詩を読み上げる)

【はん論】

「これは反論だ。この生業は博打じゃない。幸せを勝つとするのなら、必ず勝てる勝負だ。好きなことをしている以上、結果は知る前に知っている。芸人も詩人もそうであってほしい。あってほしい。あってほしいが、だがしかし、これは反論。ただし、半分の半の方。これは反論。半分しか納得できない主張、残り半分はやはり舞い上がるコインを見つめる眼差しが見せる、ギラギラと輝く栄光」

アフロ:……ありがとうございました。

黒川:おおー! いい詩ですね。

アフロ:「好きなことを見つけた時点で、こんなに幸せなことはない」という芯から出る言葉と、「コイントス」に出てくる芸人さんの「ついに自分ことし売れる気がします」というフレーズがあって。渇望と現状への悔しさとか、もっと言えば「不幸だ」と思ってる部分の両方が、隆ちゃんと芸人さんの間でバーンとぶつかる瞬間が景色として残るから、この詩がすごく好きなんだよね。そういうインパクトのある言葉を浴びると、こちらにもバッと生まれてくるものがあるよね。それが今回、俺たちが一緒にツアーを回る理由だと思う。

黒川:うんうん、そうだね。今話しながら自分でも気づいたのは「詩が好き」というのがもちろんあるけど、なんで詩が好きなのかと言ったら、俺は詩に縋って生き延びてきたんだと思った。詩が生きる理由になっていた。詩が好きじゃなくて、縋ってきたんだ。詩が自分を生かしてくれたから、今は「詩が好きだ」という表現になっている。多分、1年前だったら好きという言葉をちゃんと言えてなかった気がするんだ。

アフロ:詩に縋っていたから、出会えた人たちがいるしね。

黒川:うん。俺の人生には詩しかなかったんだよね、本当に。

「いや、本業ではなく、生業です」

アフロ

アフロ:今「自分の人生には詩しかなかった」と言ったね。「籠の中」という詩があるよね? これも大好きだった。

黒川:ちょっと毒があるよね。

アフロ:(再びアフロが自作の詩を読み上げる)「詩人・黒川隆介。『生まれ変わるのが死んでからでは遅すぎる』「籠の中」から着想を得て。タイトル「草履と自分」。

【草履と自分】

「草履と私」──俺にはこれしかない、と言い切れる潔さに憧れてラップを志した気がするが、言葉浴びるマイクのケーブルが想像しえないところまで伸びている。役者・文章・ナレーション……悲しいかな、ラップ以外にもあったのだろう。何が本業かわかんねえな、と皮肉がこもったその声に『なんでも屋の頑張り屋が本業です』と返した。その後に『いや本業ではなく生業です』と続けた。その後に『生き様です』とも言い直す。そして思う、俺にはこれしかないと」。

アフロ:以上です。

黒川:やっぱり、アフちゃんはすごいね。

アフロ:多分、隆ちゃんの思っていることは、俺の思っていることでもあるんだよ。今読んだのは隆ちゃんの言ったことに対して、逆から光を当てているだけで。

黒川:これが一番の作用だよね。新曲を聞かせてもらった時も、これは俺が心の中で思ってることだ聞かせてもらった時も、これは俺が心の中で思ってることだ、と思った。それをアフちゃんの光の差し方で歌にしてると思う。それでまた、俺の中にも芽生えるものもあるから。そういうことだね、このツアーは。

言葉で生きてる人って、答えを持ってる人って思われちゃうんだよ

アフロ、黒川隆介

アフロ:このツアーを通して、どんなことが起きてほしい?

黒川:詩人とラッパーが一緒に全国を回らせてもらって朗読ライブする機会って、あんまりなかったと思うから、こういう動きが他にも飛び火したらいいよね。一番はその土地土地にお邪魔して、現地の人たちに「来てよかったな」と思ってもらえたら、それが一番いいかな。というか、自分の感覚が半径3mぐらいになってきてるんだよ。両手を伸ばした時の、その中にいる人をなんとかしたい。さらに先には、その人たちが両手を伸ばしたサイズがあるでしょ? それが循環していけばいいのかな、と思うようになった。でも、半年後には違うことを言ってるかもしれない。

アフロ:その可能性はあるよね。「半年後は違うことを言ってるかもしれません」って、生き様があると思われている人間が、ずっと言い続けないと狂っちゃう言葉かもしれない。隆ちゃんはブレない何かがある人、と思われるでしょ? 言葉で生きてる人って、答えを持ってる人って思われちゃうんだよ。でも、人間は変わっていくのが自然でさ。

黒川:確実に言えるのは「揺れ続ける」ということ。衝撃的なものとか革新的な言葉に出会った瞬間に、自分の中で変化するものはやっぱりあって。ずっと揺れているってことだけが、自分中に通底している気がする。そうじゃないと書けないしね。一定のところに留まっていたら書けない。それは、自分が旅をし続けてる理由でもあると思う。よその町に行くと、常に自分の常識的なことや、自分の当たり前が破壊されるじゃん。地方に行くだけでも、自分が「これが正しい」と思ったことが平気で違うんだって教えられたりするから。その変化を自分の中で生き方にしてるかも。

伝えたい言葉は相手の中に既にあるんだよね

アフロ、黒川隆介

アフロ:スランプはある?

黒川:スランプか……どうだろうね?

アフロ:例えば家にずっといても書ける? 「家から出ちゃダメだ」と言われたとして。

黒川:うん、書けると思うな。逆に、どんなシチュエーションでも書ける。それはその状況に応じた詩が生まれるけど。

アフロ:家にいるからこそ書ける外の詩もあるか。

黒川:そう。雨の日だから書ける晴れの詩もあるしね。だからさ、全部が必要なんだよ。家で書くことも必要だし、野原で書くことも必要だし、飛行機の中で書くことも必要。詩を書く上で、この世の全てが必要かもしれない。

アフロ:隆ちゃんは自分発信で詩を書くだけじゃなくて、この前の広島空港とか企業のコピーも書くよね。その場合は先方からリクエストがあると思うんだけど、どう噛み砕いてる? 自分が自由に書く詩とは、またちょっと違う?

黒川:決定的な違いがあるとしたら、相手の要望を聞くこと。問診みたいな感じで、会社の人や地域の人たちの相談や悩みを聞いて「どんな言葉があったら、この人たちの願いがいい形で届くかな」と考える。そもそも俺の詩って、誰かに頼まれて「これを言葉に残してほしい」と言われたから書いていることは少なくて、1人で街を歩いてて「この人はいまとても大事なこと、面白いことをやってのけたのに、誰も見ておらずにこの世になかったものになるのは勿体無いな」みたいなことを勝手に詩に残したりする。自分が勝手に残してるか、お願いされて書いているかの違いかな。

アフロ:クライアントさんの願いの中には「ただバズりたい」とか、もっと俗物的に「ウチの商品を買ってもらいたいんです」みたいなケースはないの?

黒川:今のところはないかな。依頼主も自分の手がける製品や、物に気持ちがあって作ってる上でおれに相談しにきているから、話を聞いていくと「子供の頃にこういうことがあって、この仕事を始めようと思った」みたいなエピソードに行き着くんだよ。そうすると「この人がその商品や会社を通してやりたいことは、こうした言葉で世間に届いた方がいいな」と思えるし、そこに相応しい言葉が自然と見えてくる。つまり、伝えたい言葉は相手の中に既にあるんだよね。

アフロ:その人が言語化できていないだけで。

黒川:うん。その人の中にある、まだ言葉になってない言葉を俺が取り出して出す。だから「自分が書きました」よりは、広告の仕事の場合はその人たちの中にある言葉を出す感覚が強い。

アフロ:そもそものチャンネルが違うのか。

黒川:そうかもね。広島空港さんからの依頼の時は、俺を起用してくれた担当の人がオンラインミーティング中に泣いたの。その理由はコロナの時期に飛行機を飛ばせなくて、ずっと帰省できてなかった人たちがいっぱいいたんだって。それでようやくコロナが落ち着いて、空港で5年ぶりに再会して嬉しそうに抱き合っている老夫婦と孫なのか小さい子供を見て、思わず涙が出たと。「遠い距離を飛ぶ空の旅だからこそ、こういう景色を届けられるんだなと思いました」と話してくれて。そうしたエピソードを聞くと、どんな言葉にするべきかが見えてくる。だから俺が生み出すというよりも、話を聞いて見えてくる景色を詩にしてる。

アフロ:すごくよく分かるし、俺にも身に覚えがある。でも、それは昔の黒川隆介にはできなかったことだよね?

黒川:できなかっただろうね。自分が成長というか、繰り返し学習して修練を積んでるおかげでできるようになったと思う。逆に昔の自分にできて、今の自分にできなかったこともある。

アフロ:昔にできたことって?

黒川:勢いとか盲目さだね。人と比べるものじゃないけど、今も自分は盲目な方だと思うよ。でも、若い時はもっと盲目にやっていたと思う。

アフロ:それこそピントが合っていない良さもあるからね。

黒川:うんうん。思い返すと10代の頃に書いた詩を見て、よく諦めずに続けたなって思う。でもね、まだまだここからだよ。生きれば生きるほど、詩が修練を積んで、必ずもっと書けるようになっていくから。おじいさんになった時の、自分の書く詩が楽しみだね。

文=真貝聡 撮影=森好弘

【関連記事】

おすすめの記事

新着記事

  1. 【新川漁港のイベント・食】爽快!潮風を浴びてマリンイベント楽しもう!!

    日刊にいがたWEBタウン情報
  2. 【新潟市の熱中症対策】暑さに注意!予防が大切 熱中症対策

    日刊にいがたWEBタウン情報
  3. 【『にいがたマンガ大賞』作品募集】あなたの力作を、新潟ゆかりのマンガ家や10以上の出版社編集部が作品を審査!

    日刊にいがたWEBタウン情報
  4. 釣り好きなら知っておきたい!魚が集まりやすい「汽水域」ってどんなところ?

    WEBマガジン HEAT
  5. 【松野町・滑床ビジターセンター 万年荘】4月リニューアル!滑床渓谷をより楽しむならまずここへ

    愛媛こまち
  6. ジュビロ磐田、愛媛に4−0で快勝!ハッチンソン監督「大きな一歩」 初ゴールを決めたリカルドグラッサもコメント

    アットエス
  7. 千葉県の「握るとこみたいな部分」にあるスーパー銭湯に行ったら終末世界みたいなことが起こってた

    ロケットニュース24
  8. 無水で煮込む“キーマカレー”手作り調味料が決め手!場所は大麻…レンガ色のカフェ【江別】

    SASARU
  9. 【フォト】悔しい…清水エスパルス、攻め続けるもゴール生まれず。G大阪に0−0でドロー<J1第20節>

    アットエス
  10. 【2025年梅雨】手の年齢を感じさせない。大人可愛い最新ショートネイル

    4MEEE