戦後80年の節目、市民の戦争体験を次世代に「広報なりた」で「戦後80年 いま伝えたい戦争の記憶」を連載【成田市】
同連載は、2024年8月に始まりました。毎月1回の掲載で、市民の戦争体験を通じ、平和の大切さを訴えています。
戦争の記憶を引き継ぐ
この連載は成田市文化国際課が担当しています。
市の平和啓発事業の一環として、戦時中の市内の様子や市民の戦争体験を次世代に引き継ぐため、市民から寄せられた戦争体験を「広報なりた」に掲載。
掲載しきれなかった体験記は今後、成田市のホームページに全文を掲載予定とのことです。
「広報なりた」は毎月2回発行で、同連載は15日号発行分に掲載されています。
戦争は全てを奪う平和をつないで
24年8月15日号の1回目の掲載は「戦時中の成田の様子」。
米軍機B29が東京や千葉などを空襲した後、銚子沖を抜けて帰っていく途中、成田上空で爆弾を落とし、防空壕に逃げた様子が書かれています。
「戦争は全ての物を奪ってしまう」と投稿者は訴えています。
2回目は「千葉空襲の記憶」。
当時、千葉師範学校女子部の生徒(成田市出身)の回想です。
学校が飛行機エンジンの工場となり、1945(昭和20)年6月にB29の空襲があり、運動場には大きな穴が開き点々と学友が倒れ、「地獄絵」の様子が書かれています。
「二度と戦争はしないで平和をつないでほしい」と結んでいます。
同連載では、この他、東京の自宅が焼夷(しょうい)弾で焼けたことや、B29の墜落を目撃したこと、日本の委任統治領の南太平洋のパラオでの戦争体験、学校で授業中にサイレンが鳴ったこと、出征後、戦病死した父、東京大空襲などが記されています。
読者からは「私も空襲を経験した」などの反響があるそうです。
25年5月15日号の「広報なりた」では「名古屋空襲を生き延びて」(前編)が掲載されています。
後編は6月15日号に掲載されています。
体験記にとどまらず、8月には戦時中の市内の写真などを収めたギャラリー展などを予定しているそうです。
問い合わせ
電話当番/0476-20-1534 成田市文化国際課