天王洲アイルが育む「水辺とアート」の街──淺井裕介氏・和田本聡氏インタビュー
街を歩くだけでアートに出会える場所、天王洲アイル。 ビルの壁面を彩る大型の壁画や、公共空間に設置された立体作品など、まちなかにアートが溢れています。 そんな天王洲アイルに、この夏、新たな大型壁画が誕生します。新作を手がけたのは、アーティストの淺井裕介氏。土や水、小麦粉などを素材に、その土地でしか描けない作品を、国内外の様々な場所で生み出してきました。
2025年6月14日〜28日にかけて寺田倉庫G号で制作された作品が、「TENNOZ ART FESTIVAL 2025」(天王洲アートフェティバル2025)で、ついに公開されます。
この記事では、前作の壁画から受け継がれたストーリーや「包み込むもの」というテーマ、そして土地との対話から生まれる表現について、淺井裕介氏にお話を伺いました。
さらに、「TENNOZ ART FESTIVAL」を主催する、一般社団法人 天王洲・キャナルサイド活性化協会 常務理事(副会長)の和田本聡氏に、「水辺とアートの街」がどのように形成されてきたのか、その裏側をお聞きしました。
天王洲アイルで出会えるおすすめ作品もご紹介しますので、まちなかでのアート体験を楽しんでみてくださいね。
(取材協力:寺田倉庫株式会社、一般社団法人 天王洲・キャナルサイド活性化協会)
淺井裕介氏インタビュー—壁画で街の風景がより豊かに
国内外の美術館やギャラリーでの作品発表に加えて、世界各地で滞在制作を行うアーティスト・淺井裕介氏。
滞在先で採取した土と水で動物や植物を描く「泥絵」や、道路の白線素材のシートから制作する「植物になった白線」など、土地との対話を通して選んだ素材を使い、唯一無二の作品を生み出しています。
今回のインタビューでは、寺田倉庫G号に描いた新作壁画について、この土地から得た着想や場所との関わり方、作品が街にもたらす変化について伺いました。
淺井氏が新作に込めた思いや、制作する過程で見えてきた街との対話について、じっくりとお伝えします。
制作場所から生まれた「包み込むもの」のイメージ
初めて「TENNOZ ART FESTIVAL」が開催された2019年に、運河沿いの三信倉庫の壁に青い龍を描いた淺井氏。
「この作品のテーマは『水』でした。『TENNOZ ART FESTIVAL 2019』のキーワードが『水辺』で、建物のすぐ隣に運河が流れていたこともあり、そこから構想を始めました。僕も、土で絵を描く時に、土と最も親密な水について色々と考えてきたので、それを1つめの壁画として表現しました」
しかし、三信倉庫の解体が決まり、5年以上にわたって親しまれた作品は見納めに。そこで、「龍が寺田倉庫G号の壁に移動する」というテーマで、新たな壁画を制作することが決まりました。
「2つの作品の距離は近いのですが、建物の形や壁面の色に違いがあり、それぞれの建物を取り巻く環境も異なります。前作は「水」がテーマでしたが、新作では「水が入る容れ物/土」をイメージしました。この場所の土と倉庫という性質に、何かを入れる、包み込むという共通点を感じたんです」
土は、植物の種を包み込んで育て、守っていく、原初的な存在です。淺井氏は、「包み込むもの」を新作で表現するとともに、前作の青い龍を想像してもらえるよう、関連するイメージを取り入れながら制作を進めていきました。
「植木職人のような気持ち」で制作
様々な場所での滞在制作やまちなかでの大型作品まで手がける淺井氏に、人々と関わる時に意識していることを伺いました。
「僕が作りたいものを作るのであれば、自分のアトリエで一人で制作すれば良くて。多くの人や場所と関わりながら作る時は、どちらかというと、植木職人になったような気持ちで制作しています」
植木職人は、自ら木を植えてゼロから手を加えるというよりも、伸び放題の枝をどのようにカットしたら空気が通り抜けるか、どうやって枝を払ったら良い状態になるかを考えます。
「木を見たら何をすれば良いのか分かるという感覚です。職人が関わることで、状態が前よりも良くなっているイメージですね。自分のスタンスや考え方としては、僕がやって来て去った後に、前作の壁画のように、周囲にあるビルや運河、野球場も含めて、豊かになったと感じられたらいいなと思っています」
また、現地で壁画を見る人々の視線や動線を観察し、図面上で考えたプランから、絵を組み替えることもあるそうです。
大通りから見える部分に細かな描写を入れたり、木々に隠れた場所に龍の顔を配置したりと、環境に合わせて作品が変化していきます。
「一見フラットな壁でも、手を当てると凹凸を感じる部分や表面仕上げの微妙な違いなどがあるので、それを絵の起点にしてプランを変更することもあります。もともとの構想から変わる瞬間が多ければ多いほど、自分の知らなかった絵になっていくんです。それを経験する上でも、当初のプランから変えていくことはよくありますね」
土地と対話し、周囲の環境と呼応するように、新たな要素を表現に取り入れていくことで、
この場所でしか作れない作品が生まれています。
壁画が作り出す想像力の余白
最後に、新たに壁画が誕生することで、この場所がどのように変化していくのか、そのイメージを伺いました。
「壁画を見た人が、同じ絵でも今日と十日後、一年後では違う見方ができたら面白いなと思います。『あれ、こんな部分あったっけ?もしかして、絵が少し変わった?』と、まるで絵が成長して生きているように、頭の中で勝手に育てられるような余白を作っていきたいです」
完成品として固定するよりも、「もしかしたら、この枝が窓の上のほうまで伸びていくかもしれない」など、訪れた人が想像するほうが面白いと話す淺井氏。
「この作品を見た後に、ここを訪れた人が、何も描かれていないビルや街角に頭の中で自由に絵を描いていけるような、そういうきっかけになればと考えています。街の見え方が変わることで、いつもの生活や、壁画を見て家まで帰る道のりが、ちょっと楽しくなったら良いなと思います」
淺井氏のお話を通して、街に新しいアートがいきなり出現するわけではなく、この場所で丁寧にコミュニケーションを重ねるからこそ、長く親しまれる作品が生まれていると分かりました。
ぜひ現地に足を運んで、この場所と響き合う作品を体感し、のびのびと想像力を働かせてみてください。
和田本聡氏インタビュー—地域との対話を重ねて育む「水辺とアートの街」の景観
ミュージアムや劇場、大型壁画や立体作品が集まるアートスポット・天王洲アイル。「水辺とアートの街」として知られるようになった背景には、長年にわたる地域との対話や、街づくりの積み重ねがあります。
今回は、天王洲アイルの景観づくりを中心となって進めてきた、一般社団法人 天王洲・キャナルサイド活性化協会の常務理事(副会長)の和田本聡氏に伺いました。
「TENNOZ ART FESTIVAL」開催に至るまでの経緯や、街をアートで彩る取り組みの裏側を詳しくお聞きします。
はじまりは期間限定の壁画
天王洲アイルの再開発が始まったのは1990年。倉庫や工場が立ち並んでいた地域を、景観と環境に配慮した都市計画をもとに整備しようという意識が高まった頃でした。都市計画を策定して再開発に取り組んだ地域としては、天王洲はかなり早いケースだったそうです。
「街のコンセプトとして決定したのが、『アートになる島、ハートのある街』です。しかし、その後バブルが崩壊し、再開発は一時停止となりました。その結果、倉庫など古くからの景色と高層ビルが混在する、天王洲アイル独自の風景が残されたのです」
ところが、新しい街として人気が高まったものの、再開発が進んだ六本木や赤坂に人々が移動。天王洲アイルの活気は、次第に失われました。そこで、寺田倉庫が中心となり、街をリバイバルさせる動きが2012年からスタートしました。
さらに、2015年には、一般社団法人 天王洲・キャナルサイド活性化協会が設立。賑わいを創出するイベントを企画する中で、ハワイ発のコンテンポラリーアートイベント「POW! WOW!」の開催が決定します。国内外のアーティストが、公開空地や建物の壁面に作品を描き、大きな反響がありました。
「当時は、壁画イベントの事例が日本国内ではほとんどなかったため、相当なインパクトがあったんです。『POW! WOW!』の壁画は、行政に保存できるよう交渉しましたが実現できず、1年後に消すこととなりましたが、アートで活気を創出するきっかけを掴むことができました」
こうして、和田本氏は、まちなかに壁画を展開するプロジェクトの実現に向けて、行政や地域の方々との交渉に動き出します。
壁画を街に残すための奮闘
和田本氏は、恒常的に壁画を残すため、東京都や品川区と話し合いを重ねました。条例に従って計画書を作成し、品川区の景観審議会や東京都の屋外広告物審議会を経て、半年ほどかけて手続きを行ったそうです。
「様々な手続きを経て、ようやく制作が決まったのが、《品川の月》という大型壁画です。歌川広重の浮世絵をオマージュした作品で、東横INNの壁面に描かれました。ただ、この時は申請の許可が下りたのですが、今後もこの取り組みを続けていくのであれば、アートを活用した街づくりの計画書を提示するようにと、行政から意見がありました」
その後、品川区の景観を担当する部署と計画を進め、2018年に天王洲アイルが景観重点地区に指定されたことで、「TENNOZ ART FESTIVAL 2019」の土台が出来上がります。
「建物の所有者の方々に、壁面を貸していただけるよう話し合いを重ねました。候補のアーティストの作品を並べて説明したり、どのような画風が良いか意見を伺ったり。下絵が完成したら改めて見ていただくなど、ひとつずつ進めていきましたね」
初めての試みだったので、地域の方々にとっては、「壁画で街がどのように変わるのか」をイメージするのが難しい面もありました。しかし、2019年に「TENNOZ ART FESTIVAL」が開催されると、ポジティブな反応が多く寄せられました。
「まちなかにリアルにアートが出現したことで、とても評判になったんです。メディアで取り上げられるようになり、『これは私の街のアートなんだよ』と誇らしげに話してくださる方も増えています」
行政との話し合いや地域の方々とのコミュニケーションを丁寧に重ねたことが、シビックプライドにもつながっています。
「水辺とアートの街」の景観を守る取り組み
一般社団法人 天王洲・キャナルサイド活性化協会では、「TENNOZ ART FESTIVAL」に加えて、毎年2.5万人が来場する「天王洲キャナルフェス」など、地域活性化のイベントも開催。
賑わい創出のイベントを継続すると同時に、アートをまちなかに展開し続けることを重視しています。建物の解体に伴い、パブリックアートが取り壊される場合もありますが、移設したり、新たな作品を設置したりと、点数が減らないように維持しています。
「アートはいつでも見に来られますし、街に残るのが魅力です。イベントで来場した方が、『今度はゆっくりアートを見よう』と、再び天王洲アイルを訪れる機会にもつながっています。公共空間にアートを残しつつ、新旧の建物が混在する独自の景観を保つことが、天王洲アイルのイメージを支えるために必要だと感じています」
行政との交渉や地域の方々との対話を、丹念に重ねてきた和田本氏。歩くだけでアートに出会える天王洲アイルの景観は、自然に保たれているのではなく、計画的に維持され、発展してきました。
街を散策する感覚で気軽にアートを楽しみ、クリエイティブな空気を味わってみてくださいね。
「TENNOZ ART FESTIVAL 2025」でアートな街歩きを楽しむ
「TENNOZ ART FESTIVAL 2025」では、訪れる時期に限らず、いつでも壁画や立体作品を楽しむことができます。
ここでは、筆者が天王洲アイルをめぐって出会った、おすすめの作品を5つご紹介します。
①吉野もも《巡り循る》
東京モノレール「天王洲アイル駅」南口を出てすぐ、「アイルしながわ」の外壁には、思わず足を止めてしまう壁画があります。青とオレンジのストライプが渦を巻くように広がり、まるで建物全体が回転しているように見える作品です。
この壁画を描いたのは、アーティストの吉野もも氏。視覚的なしかけを利用した作品を通して、二次元の絵が周囲の環境と干渉し合う、非日常的な異空間を作り出しています。
吉野氏は、運河沿いのごみ処理場跡と埋め立て地を見て、水と土がめぐることですべてがつながり、再び自然に還っていくイメージを思い浮かべたそうです。
壁画の前に立つと、自分も大きな循環の一部であるかのように感じられます。視覚と身体感覚にダイナミックに訴えかける表現を、ぜひ間近で味わってみてください。
②門 秀彦《mirukikuhanasu》
「アイルしながわ」の1階 ホッパーステージのシャッターに描かれた、色鮮やかな作品《mirukikuhanasu》。作者の門秀彦氏は、聴者のCODA(コーダ)で、ろう者の両親との手話コミュニケーションを補うために、幼い頃から絵を描いていたそうです。
オフィスビルや住宅、海と川が存在する天王洲アイルを、異なる目的で存在する人々をアートで繋ぐ街と捉えた門氏。この場所で暮らす人々を結びつける“繋ぎ目”と“コミュニケーション”を、壁画に表しました。
また、ワークショップ参加者が描いた“自由なラクガキ”も共存しており、自由な表現を受け入れ合う天王洲の空気感が息づいています。
それぞれの考え方を認め合い、アートを通じてつながる街を体現した作品を目の前にすると、この街との距離がぐっと近づいたように感じられるでしょう。
③宇宙船地球号[加集 陽 /市川 凜 ]《smile cruise》
同じく、「アイルしながわ」のホッパーステージに描かれた《smile cruise》は、ポップな雰囲気の作品です。加集陽氏、市川凜氏によるユニット「宇宙船地球号」が制作した壁画で、多様な人々が集まる東京を、複数の絵柄で描いた人物で表しました。
一番右のキャラクターに注目すると、赤いマーカーでスマイルを描いていることに気づきます。スマイルの口をヨットに見立て、同じ船に乗る仲間であることを示しているのです。
誰もが自由に好きなものを楽しむことを大切にしている加集氏は、「その人の魅力に性別は関係ない」という想いから、性別を持たない子どもを中心に描いてきました。
一方、市川氏は、「人魚」を擬人化に近い形で表現するなど、一風変わったファンタジックな世界を創り出しています。
未来への希望と、誰もが笑顔になれる光景をイメージしたこの壁画を見ていると、自然と心が軽くなり、一歩を踏み出したくなるはずです。
④ARYZ(アリス)《“The Shamisen” Shinagawa 2019》
東京モノレール「天王洲アイル駅」から徒歩4分の場所にある、東横INNの立体駐車場を見上げると、圧巻のスケールで描かれた壁画に出会えます。
この作品を手がけたのは、カリフォルニア州パロアルト出身のアーティスト・ARYZ(アリス)氏。15年の間、世界中の公共空間で活動を展開し、グローバルなアートワークに各国から注目が集まっています。
ARYZ氏は、日本について考えた時、木版画(浮世絵)を題材にするアイデアを思い浮かべました。リサーチする中で、鈴木春信の浮世絵「見立芥川」の存在を知り、この絵をもとにスケッチを制作したそうです。
「見立芥川」には、川辺で三味線を弾く二人の女性の姿が描かれており、水辺のすぐ近くにある東横INNの環境とぴったりと調和しています。
日本の文化に着想を得た現代アートを、天王洲運河の風を感じながら、ぜひ体感してみてください。
⑤コイン パーキング デリバリー《This is Mr. Shirai》
最後にご紹介するのは、天王洲オーシャンスクエアの公開空地に設置されている立体作品。りんかい線「天王洲アイル駅」から歩いて4分の場所にあります。
ベンチの上部に佇む青い像の「白井さん」は、古代の象徴である「恐竜」と、未来を示す「宇宙人」を融合させた、「現在」を表す存在です。その手に包まれている松の木の種には、「同情・哀れみ・不老長寿」という日本特有の解釈があります。
作者のコイン パーキング デリバリー氏は、松の木の属名の学名Pinusが「Hope(希望)」を意味することに着目しました。
東京を「輸入によって過去を上書きし続ける街」と捉えつつ、天王洲を「保存と生成の集合地点」と位置付けた本作。「白井さん」は、「希望」を輸入し、独自の変化を経て「不老長寿」を創り上げた日本を表現しています。
アートめぐりの休憩場所としても立ち寄れるスポットで、街の文化の重なりや変化に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
歩くだけでアートに出会える街・天王洲アイルへ
この記事では、まちなかにアートが溢れる天王洲アイルの魅力を、アーティストの淺井裕介氏と、天王洲アイルの景観づくりに尽力している和田本聡氏へのインタビューを通して、お伝えしました。
お二人のお話から、街との対話を丁寧に重ねてアートを展開し、天王洲アイルの景観を維持していることが分かりました。
歩くだけでアートに出会えるこの街で、ほかでは見られない独自の風景とともに、気軽にアートを楽しんでみてくださいね。
《イベント情報》
「TENNOZ ART FESTIVAL 2025」
本プロジェクトは、「アートの島=天王洲アイル」を舞台に、TENNOZ ART FESTIVAL 2019からの継続作品を含めた計18箇所、22組のアーティストによる壁画や立体アート展示による国内最大級のMURAL PROJECTです。水辺とアートをキーワードに賑わいと魅力あるまちづくりを推進する天王洲アイルにおいて、運河沿い建築物への大型壁面アート、品川区の公共桟橋待合所や公園施設への壁面アート、公共空間における立体アートの展示、駅通路での壁面アートなどの展示により「アートの島=天王洲アイル」を印象付けるシンボリックな展示を行います。
このプロジェクトを通じて、屋外アートと屋内アートの活用による天王洲アイルの魅力あるまちづくりを創造し、水辺で出会う日本文化とアートのコミュニケーションを図ります。
公式ホームページ:TENNOZ ART FESTIVAL 2025