「絨毛膜下血腫」を抱えて挑んだ私の出産! 突然の始まりは恐怖の大量出血から…
恐怖の大量出血で知った突然のトラブル
3人の子ども達とにぎやかに暮らしているライターの”あしださき”です。私が第2子の長男を妊娠中だったのは28歳のときでした。
必要な人に「絨毛膜下血腫」を知ってもらうために
妊娠中に、大量出血というトラブルに見舞われてしまいました。
原因は、「絨毛膜下血腫(じゅうもうまくかけっしゅ)」という、あまりなじみがない病名。当時、必死でこの病気の情報を集めようと検索しましたが、知りたいことを探すことは、とても難しいことでした。
もしかしたら、情報を必要としている方に病気のことを知ってもらえるかもしれない。そう考えて、私の体験を書くことにしました。
妊娠トラブルを乗り越えて、生まれたばかりの息子の顔を見た時の感謝と幸福は、今も忘れられません。
トイレの水が真っ赤に!大量出血は恐怖の体験だった
「2歳半の長女についに弟妹ができた!」と、夫婦で喜んでいた矢先の妊娠9週0日に、大量出血を起こしてしまいました。妊娠初期は順調な経過で、つわりもなく、元気に過ごしていましたので、突然のトラブルはまさに晴天の霹靂でした。
出血の前日、おなかが張っているような違和感があったのを覚えています。その晩は実家に泊まり、朝からは生理痛のような痛みを下腹部に少し感じていました。ソファで横になりながら長女の相手をしている時、不意にサーっと生温かい液体が流れ出るのを感じたので、トイレへと向かい…。
そこからは、まるで破水したように何をどう頑張っても止まらない出血。「赤ちゃんはもう絶望的かもしれない」という恐怖に襲われました。夫に抱えられて車に乗り、実家近くの産婦人科に駆け込んだ時の記憶は曖昧にしか残っていません。
そこは長女を出産した病院で、懐かしい医師の顔を見たとたんこらえていた涙が出てしまいました。奇跡のように「赤ちゃんは生きているよ!」と診断され、入院可能で、設備の整った総合病院への紹介状をすぐに書いてもらいました。
心音は力強く、母に「生きているよ」と訴えていた
総合病院で再度、詳しい検査を行いました。そして、この出血は「絨毛膜下血腫」が原因だと判明したのです。エコーで赤ちゃんの心音を聞かせてもらうと、「生きているよ!」と、私に訴えているように感じました。
エコー画像には、赤ちゃんの入っている袋よりもはるかに巨大な「血だまり」が、真っ黒な影として写っていました。この子宮内の血液は徐々に外に出ていくか、次第に子宮内に吸収されるものもある。今できる治療は、入院して子宮の収縮を抑える薬と抗生物質を点滴しながら、安静にすることだけだと医師から説明されました。
「妊娠初期は、この絨毛膜下血腫の有無に関わらず、流産の危険は誰にでもあるので、現時点では希望は半々くらいで考えていましょう」と、医師は冷静におっしゃいました。でも、子を宿した母の精神力と執念は半端ではなかったのか、「絶対この子の顔を見る!」と、この時に私の中で揺らがない決意が芽生えました。
希望に満ち、家族みんなで赤ちゃんを迎えようとしていた妊娠初期での大量出血。その日を境に生活は一変し、全く予期していなかった入院生活が待ち受けていました。長女はまだママと離れる準備もできておらず、「いつ退院して、普通の生活に戻れるか?」という先の見通しも立ちませんでした。しかし、「もうダメかも」とは、2度と考えないと決めました。
次回は、「入院生活」と「退院後から血腫の消失まで」の内容をお届けいたします。(次回へ続く)
[あしださき*プロフィール]
高校の担任からも「楽観的な性格」と評され、とにかく楽観思考の3児の母です。物事はあまり複雑に考えず、元気なわが子に会えればそれが安産だと思うタチ。主にママ業、時々在宅ライターを兼務中。
※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。