【葉山 イベントレポ】若江漢字とヨーゼフ・ボイス - 若江作品から見えるボイスの思想。ボイスの未公開写真も
神奈川県立近代美術館 葉山では、2025年11月15日から企画展「若江漢字とヨーゼフ・ボイス –撮影されたボイスの記録、そして共振–」が始まっています。
若江漢字の作品と、ヨーゼフ・ボイスの作品、そして若江漢字が撮影したヨーゼフ・ボイスのスナップ写真、この3つの要素を軸に構成された展示です。若江の大規模な個展としては、2004年の神奈川県立近代美術館 鎌倉での「時の光の下に」以来となるそうです。
若江漢字の作品を見るのは、実は今回が初めてでした。ヨーゼフ・ボイスも名前だけは知っていたものの、作品を実際に見たことはありません。そんな"はじめまして"のふたりの美術家に出会える展示だと思うとわくわくします。
観覧料(1,200円/税込)を払うと、黄色のかわいいチケットを手渡されました。
展示の3つのパート
会場を訪れるまでは、そのネームバリューの高さから、ヨーゼフ・ボイスの展覧会だと思っていましたが、実際は若江漢字という美術家の世界を軸にした企画展でした。ヨーゼフ・ボイスその人を見るというより、若江の目を通したボイスの姿を見ることで、ふたりの美術家の共通するところや違いが感じられるような展示構成になっていました。
「ヨーゼフ・ボイスの足型を取る若江漢字 デュッセルドルフ、ボイスのアトリエの庭 1983年7月16日」撮影:若江栄戽
展示は大きく3つのパートで構成されていました。
1つめは、若江漢字の作品展示。初期作品から現在の活動まで一望できるような作品数の多さでした。
2つめは、ヨーゼフ・ボイスの作品展示。チラシに載っていたレモンに電球を繋いだ《カプリ・バッテリー》も展示されていました。
3つめは、若江が撮影したボイスのスナップショット。大量の未公開写真が展示されていました。
この3つのパートを行き来することで、観客は若江作品のなかに、ボイスの影響や思想の共鳴を自然と見つけることができるようになっています。
若江漢字作品–作品の内側への広がり
若江漢字《様態(小石)-70》1970年
若江漢字の作品をはじめて見ましたが、絵画にしても立体にしても、パッと見ただけでコンセプトを理解できるような、分かりやすいものではありませんでした。これはなんだろう、なにを表しているんだろうと思ってオブジェに近づいても、さらに謎をかけてくるような細部が目に入ります。気づくと、ずいぶん長く作品の前で立ち止まっている自分がいます。(今回は取材で特別に撮影を許可していただきました)
若江漢字《見る事と視える事-釘》1974年
若江漢字《水に関する3つの設問(から)》2016年
たとえば《動勢+2°》(1983-89)という立体作品。人の背丈を超えるほどの大きな黒塗りの木箱が、立てられたり横倒しにされたりしていました。横倒しになった木箱の上部には溝があり、その中には、押し麦、米、大豆、どんぐり、くるみなどが並べられています。リスやタヌキが食べそうな穀物です。これはなんだろう、なぜこのタイトルがついているんだろう、+2°ってなんだろうと、疑問が湧いて止まりません。しかし不思議とこの作品を好ましく思う自分がいます。
天井の高い部屋では《現れ出る時》というインスタレーション(=空間作品)が展示されていました。
タライの中には石炭が入っており、乗せられた鋭利なスコップが揃って前を向いています。向けられた先にはふたつの閉ざされたトンネルの姿が。なんとなくぞくっとするような作品です。
展示室に入ってすぐ目の前には、額装された写真にヒビが入っているように見える《9.11+11.9連鎖》という作品がありました。
天井からは、長い持ち手のハンマーが吊り下げられていて、その先端が当たったかのようにガラスが割れています。しかしよく近づいてみると、実際に割れているわけではなく、割れたガラスごと写真をスキャンした画像であることがわかります。
立体的に見えるのに、実は平面。この視覚のトリックは、若江漢字の作品にたびたび見られる特徴だと感じました。また、派手なトリックに目を奪われるだけでなく、写真に写っている内容に目を向けると、作品の奥行きがさらに感じられます。
横に6枚並んだ写真に描かれているのは、ベルリンの壁、アメリカ同時多発テロのニュース(9.11)、イスラエルの街並みなど、人間が築いたものの崩壊や、争いの痕跡を思わせる風景ばかりです。
このように、若江漢字の作品は、意味の込められたモチーフが何層にも重なってそこにあります。タイトルから始まり、ハンマーや、ガラスのヒビ、燭台、平面と立体をつなぐような展示の仕方、そして写真の中身。見るひとを作品の内側へと誘い込むような仕掛けが丁寧に作られています。
若江漢字の作品の前で立ち止まったら、ぜひそのモチーフや、素材、写真の内容まで目を向けてみてください。
ヨーゼフ・ボイスの芸術観
若江漢字撮影「ヨーゼフ・ボイス デュッセルドルフのアトリエで 1983年7月16日」
若江漢字の展示をひととおり見終えたあたりの展示室に、ヨーゼフ・ボイスの作品のコーナーがありました。
チラシにもある《カプリ・バッテリー》や、ポスター類、琺瑯の洗面器にボイスがサインをした《洗足のために》といった作品が並びます。
《洗足のために》のタイトルは、聖書のマグダラのマリアがイエスの足を洗ったように、ボイス自身が観客の足を洗ったアクションに由来するそうです。洗面器の上を見上げると、壁には等身大のヨーゼフ・ボイスを写したポスターの作品が掛けられてありました。配置したのは若江漢字だと学芸員さんからお聞きし、若江のボイスへの親愛が伝わってきました。
ヨーゼフ・ボイスはその作品ももちろんですが、それ以上に美術家としての活動や思想に魅力があるように感じました。展示室の壁に貼られている解説パネルに目を向けると、ボイスは「芸術概念の拡張」といって、芸術という意味を美術作品だけにとどめるのではなく、人間社会のさまざまな活動にまで広げようとしたひとであることがわかりました。
ボイスの有名な言葉「すべての人は芸術家である」は、みんなが絵画や音楽の才能を持つ美術家であるという意味ではなくて、自分の仕事をしっかりと果たすことが表現であるという意味なのだそうです。頭の中で考えを形作り、それを発話すること、その対話がもたらす社会の変容を「人間の創造的な彫刻」ととらえたボイスの考えに、観客ながら共感してしまいました。
ヨーゼフ・ボイスの偉大さは、作品を作ったり人前に出たり、自分の身をもって芸術の概念を問い直す行動的な面にあったのだなと感じました。「作品は拡張された芸術概念を載せるヴィークル(=乗り物)」という発言があるように、美術作品のユニークさや美しさは、作家の思想を誰かに渡すための媒体なのかもしれないと思いました。
それを考えると、若江漢字の作品のいわゆる「分かりにくさ」の所以も理解できるような気がします。ぱっと見ではむずかしく、じっくり見るとさまざまなモチーフから構成されていることが分かり、説明パネルを見るとすっと腑に落ちる、この一連の流れ。若江漢字がボイスと共振した部分とは、表面的な作品の姿ではなく、行動や思想といった作品の向こう側の部分だったのではないでしょうか。
若江漢字のまなざしから見るヨーゼフ・ボイス
若江漢字撮影「ヨーゼフ・ボイス ドクメンタ7でのアクション 1982年6月30日」
3つめのパート、若江漢字が撮影したボイスのスナップショットは、企画の大きな見どころになっています。
展示室に入ると、壁の端から端までを繋ぐように、モノクロの写真が整然と並んでいました。若江漢字がドイツの現代美術の祭典「ドクメンタ7」で初めてボイスに遭遇したときの写真から、ダライラマ14世との対話を待つラウンジで取られた写真、ボイスのアトリエを訪れたときの写真、ボイスが来日した際に同行したときの写真など、貴重なボイスの姿が展示されていました。
展示室を抜けると、ひっそりとした薄暗い小部屋があり、そこでも若江が撮影したボイスの未公開写真が流れていました。
プロジェクターからスクリーンに投影される写真を見ていると、若江の視線を追体験しているような感覚になりました。学芸員さんのお話によると、若江が撮影したボイス関連の記録写真はまだまだたくさんあり、全部合わせると約1400点にものぼるそうです。展示されているものだけでもボリュームがあるなと思ったのに、選定されたものの一部だというのには驚かされました。
若江とボイスの共振の中を歩く
若江漢字の作品、ヨーゼフ・ボイスの作品と思想、若江撮影のボイスの写真。この3つの展示を交互に見ることで、ゆっくりと自分の中で展示の意味が立ち上がってくるような企画でした。若江漢字とヨーゼフ・ボイスがお互いを指差し合うようにしているこの企画展、歩いているだけで両者の共振を感じることができます。
訪れた際は、一巡するだけではなく、ぜひもう一巡することをおすすめします。そして作品だけなく、解説パネルも見てみてください。会場を出た時に、なんだかいろんなものを持ち帰ることができたな、と思うことができるでしょう。
また、今回の神奈川県立近代美術館の企画と足を揃えるように、同じく11月15日から「カスヤの森現代美術館」でも若江漢字の展覧会「若江漢字 絵画という問い-Ⅰ」が開催されています。
こちらにもぜひ足をお運びください。
若江漢字とヨーゼフ・ボイス
開催期間
2025年11月15日〜2026年2月23日 9:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日
月曜日(祝日の場合を除く)、2025年12月29日〜2026年1月3日
開催場所
神奈川県立近代美術館 葉山
住所:〒240-0111 神奈川県三浦郡葉山町一色2208-1
駐車場:あり
観覧料
一般 1,200円(税込)
20歳未満・学生 1,050円(税込)
65歳以上 600円(税込)
高校生 100円(税込)
主催
神奈川県立近代美術館
協力
カスヤの森現代美術館/株式会社フレームマン