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41歳の高齢初産はわずか2時間!「急激すぎて危険」と言われた私の出産

たまひよONLINE

夫と子どもの3人暮らしをしているライターの”はなまる”です。初産は41歳で、今回の妊娠は2度目です。1度目の妊娠は38歳のときでした。

2度目の妊娠で初の出産、つながりを感じる予定日


7ヶ月目で受けた定期健診で赤ちゃんの心音が聞こえず、後に手術となりました。当時はアメリカに住んでいたのですが、自覚症状がまったくなく、お医者さんの言葉が信じられません。日本に帰国して1年たったころ、2度目の妊娠がわかりました。2度目の予定日は、なんと最初の妊娠と同じ3月31日。予定日に強いつながりを感じ、今度は産まれてくると信じながら妊娠期間を過ごしました。それでも、妊娠初期は夜中に腹痛で病院へ運ばれ、妊娠後期は逆子の措置をするなど、その都度、小さな山を乗りこえて出産予定日までこぎつけました。

病院で検診をした日の夜、おりものと痛みが


3月31日の予定日を過ぎても陣痛がなく、4月5日の朝に病院で診てもらいました。このときは子宮口が1センチしか開いておらず、時間がかかりそうということで1週間後に帝王切開の予約をとって帰宅しました。ところが、その日の夜11時30分ごろ、突然レバーをすりつぶしたような“おりもの”が。“おしるし”にしては量が多すぎるのでは?と不安になり、病院に電話すると、「今日、子宮口は1センチだったので、家で様子をみてください」と言われ、様子をみていました。それから30分ほどすると痛みを感じるようになりました。

深夜、車で病院へ。入院を強く希望


深夜1時すぎ、車で病院へ向かいました。実家から病院まで20分。車中では痛くて、寒くて、まっすぐに座っていられず、ななめ座りになりながら必死の我慢で病院に到着しました。ところが、看護師さんに「いま状態をみましたが、子宮口が1センチしか開いていないので、時間がかかります。今日は帰ってもいいですよ」と言われてしまったのです。私はまっすぐに立っていられず、前かがみで痛みを我慢しながら、心のなかで、「いや、ちがう、ちがう」とつぶやきながらも、言葉で説明ができません。必死に「わがままでも病院にいさせてください!」と入院を強く希望しました。やっとカーテンで仕切られたベッドのある場所へ通されました。

急激なお産のはじまりから赤ちゃん誕生まで


そこからが急激なお産のはじまりでした。息もできない速さでした。破水が起こり、陣痛の痛みというより、体からザァザァと出てくる水の速度に驚き、気がつくと息ができません。気が遠くなりそうな中、どこかで、「子宮口8センチ!」という声が聞こえたのを覚えています。何らかの処置のおかげで、分娩室に向かうころには自分で呼吸ができる状態になっていました。分娩室でいきむこと数回。赤ちゃんがなかなか出てきません。「力が入らない!」と言うと、最後はお医者さんが吸引して、やっと元気に赤ちゃんが出てきました。あぁ、良かった!赤ちゃんを守れてよかったという気持ちでいっぱいになりました。

出産の数日後、看護師長さんから「病院到着から2時間のお産は安産とは言えません、急激で危険だったと言ってよいと思います。無事で本当によかったです。お産はそれぞれ違うので、経験があっても予測のつかないことが多くあります。看護師の対応については今後よく指導いたします」と言っていただきました。病院に対するモヤモヤした思いと緊張感がとけて涙があふれ出ました。危険なお産にもかかわらず、対応していただいた病院に心から感謝しています。

[はなまる * プロフィール]
夫と子どもの3人暮らし。晩婚で高齢出産しました。結婚してから8回引越し、海外生活も2度ありましたが、やっぱり日本が一番好きです。子どもは小学6年生。私も仕事を見つけたいと思っているところです。

※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。

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