災害時に外国人にも安心を 外国出身の消防団
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今日は新しい消防団の話題です。
外国籍のメンバーでつくる「多言語機能別消防団」
消防と言ってもメンバーは全員、外国出身なんです。「多言語機能別消防団」という名前で、神奈川県愛川町で今年7月に誕生しました。どんな消防団なのか、立ち上げの背景や、活動内容について、愛川町消防本部 消防課 波多野裕樹さんのお話です。
愛川町消防本部 消防課 波多野裕樹さん
愛川町の人口が3万9000人ちょっとで、そのうち外国籍の方が3392人。外国籍の方が住んでいる割合が、県内でも高い水準にありまして、何かあったときに困るのではないかと創設しました。今7名の方が活動しています。災害時に避難所などに避難してきた外国籍の方が言語に困って、不安に思ったりすることが多々あると思うんですね。食料の関係とかトイレとか、通訳していただいて、避難生活なので快適というのは適切ではないかもしれませんが、私たち日本人と一緒に同じように過ごしていただければというところですね。
愛川町には、大きな工業団地があることなどもあって、外国籍の方が町の人口の8.6%を占めています。ペルー、ベトナム、フィリピン、ブラジルなど、さまざまな国籍の方が住んでいます。
今回誕生した「多言語機能別消防団」は、20代~50代の外国籍の男女7人が団員となっていて、災害発生時に避難の呼びかけや、避難所での通訳、生活のサポートなどを行います。団員はポルトガル語、英語、ベトナム語、スペイン語など6つの言語に対応できます。
愛川町消防本部の波多野さんによると、これまでも台風で川の近くに住む方に避難を促す際に、外国籍の方だと言葉が通じなかったり、危機感を伝えられなかったりしたそう。今後はそういった面で「機能別消防団」に期待しているとのことでした。
東日本大震災で災害への意識の違いを実感
多言語機能別消防団のリーダーはブラジル国籍の山下ジューリア真由美さん(54)。今は神奈川県内で通訳などをして働いています。1990年に家族で来日しましたが、災害の怖さや備えの大切さを日本で、身をもって感じたそうです。山下さんのお話です。
多言語機能別消防団リーダー 山下ジューリア真由美さん
ブラジル人向けの幼稚園があって、そこで副園長をやっていたんですけど、小学校を見学することがあって、その見学したときが3.11、東日本大震災でした。見学をして終わったときに揺れ始めて、私の子たちは10人くらいでパニック状態で、その10人の子を保護者に渡すときに、やっぱりすごく時間がかかった。携帯も繋がらないし、最後に渡した子が夜の9時ごろでした。私たちもいろんな不安があって、日本語が分かっても、地震の怖さが分からない。それを私たちが伝えることができるということがすごく幸せだと思います。「多言語共生」まさにそれで、みんな共に生活ができるということで、外国人も日本人も一緒に。外国人だけを助けるんじゃなくて、日本人も助けられるようになりたいですね。
山下さん自身も来日当初は日本語が話せず「たくさんの方に助けてもらったので、私ができることはしたいんです」と話していました。東日本大震災の話もありましたが、日本人と外国籍の自分たちの対応・意識の違いも実感して、避難訓練の大切さを知り、その後実際に訓練をするようになったそうです。
「若い世代が苦労しなくて済む」消防団結成に喜び
そして団員の中には「今後の若い世代が私たちのような苦労をしなくて済む」と「多言語機能別消防団」の結成を人一倍、喜んでいる女性もいます。 来日しておよそ30年、ブラジル出身の三輪アンナさん、32歳のお話です。
多言語機能別消防団のメンバー 三輪アンナさん
私一番は母が日本語をほとんど喋れないんですよ。日本で受けられる支援だったりコミュニティを何も知らない状態で、ずっと日本で生活していたので、もどかしいなと常に感じていました。日本の方はどれくらいの食料を貯めているの?とか、日本の方はどういうふうにその情報を知っているの?というのを、外国籍の方は悩んでいたみたいで、自分たちの命を守るための手段を知らないというのが一番の壁、大変さなんだなと思ったりもしましたね。愛川町に「多言語機能別消防団」という人たちがいるよ、というのをまず知ってもらうのが一番だと思う。広まっていったら「愛川町に移住しよう!」と思ってくれる人も出てくるかもしれないので、それは大事だなと思います。
三輪さんはいま、中小企業の事務員のほか、日本語講師などの仕事をしています。 お子さんが2人いますが、「学校やイベントなどで積極的にPRして、まずはこの活動を知ってもらい、広げていきたい」「災害時だけでなく、私生活でもサポートできたら」と話していました。
(TBSラジオ『森本毅郎・スタンバイ!』取材・レポート:西村志野)