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野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その7③」

まるごと青森

野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その7③」

(前回:野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その7②」)

2024年12月9日(月)――③コーヒーと道具鍋

「わいどの木」から、むつ市内に戻る途中、コーヒーが飲みたくなった。というのも青森県内を車で巡っていると昔懐かしい喫茶店をときどき見かけ、昭和のノスタルジーに浸ってみたい気持ちになるからだ。同行のYさんにそのことを伝えると、Yさんは「わかりました」と答えるなり、スマホをいじり始めた。ほどなく「ありました。行きましょう」。

スマホのナビ機能を使ってむつ市の中心部に向かった。

「あっ、行き過ぎました」

Yさんの声で車が止まり、下車してみると「ブルーマウンテン」という置き看板が目に飛び込んできた。

ドアを引いて中に入る。テレビの横のカウンター席に男性客が一人、カウンターの向こうに女性が一人。テーブル席に腰を下ろして店内を見渡すと、壁の柄杓が目に留まった。

カウンターから水を運んで来た女性(喫茶店なのでママと呼ぶべきだろうか)に店名でもあるブルーマウンテンを注文する。値段は400円だ。

「どうしてこんなに安いんですか?」

「うちは生豆で仕入れているから。焼いた(焙煎した)豆を買っていたら、こんな値段では出せません」

壁のメニューにはキリマンジャロやコロンビアなどの銘柄が並んでいるが、どれも350円で、ブルーマウンテンが一番高い。それでも400円なのだから、値段が昭和そのものだ。

この店は通路を挟んで店が並ぶ市場のような建物の、最も道路側にある。かつては「むつ名店街」という名で賑わっていたが、今はどの店もとっくの昔に閉めたようで、照明が消えた建物は暗闇に包まれている。

「営業を続けているのは、うちと奥の居酒屋だけになりました」

「いつ開店したんですか?」

「昭和46年です。そのころは焙煎した豆の小売りもやっていました。入口の所に名残があります」

見るとコーヒー豆別に仕切られた縦長のケースがあった。

昭和46年は西暦で1971年。私は大学の2年生だった。当時、学生が出入りする喫茶店にはブルーマウンテンのような高級なコーヒー豆は置いていなかった。時代を考えれば、開店当初のこの店は時代の先端をいっていた。

「ところで、あの壁の柄杓は何ですか? 喫茶店に柄杓というのが、さっきからどうも気になって」

「ああ、あれは田名部まつりのとき、店の前を行く山車(やま)を引く人たちに酒を振舞うための柄杓です。でもコロナ禍を経て酒の回し飲みはだめということで、紙コップに変わりました。だからもういらないんですが、こうして飾っています」

田名部まつりは、この店からほど近い田名部神社の例大祭のことだ。毎年8月18日から20日まで執り行われ、5台の山車が市内を練り歩く。その山車は北前船の影響か、近江商人の知恵なのか、京の祇園祭の山車を思わせる豪華絢爛たる装飾だそうだ。

喫茶店の前を山車が行く。若き日のママが、恐らく客も一緒に外に出て、酒が入った柄杓を差し出すと、汗にまみれた男衆が柄杓を受け取り、祭囃子と掛け声の中で酒を回し飲む。下北の夏の盛りの絵巻物だ。真冬の下北で物言わぬ柄杓を眺めていると、そんな情景が浮かんで来た。

夕方になった。下北半島最大の飲食店街「神社横丁」に向かう。何年か前に、ここを訪れたことがあるが、どの店も入り口が狭く、どうも一見では入りづらくて素通りした。今回は地元の人が一緒なので、安心して戸をくぐる。

店の名は「三宝」。後に知ったのだが、この店は漁師の店として名高く、店名は所有する漁船に由来するのだという。予備知識ゼロで店の座敷に腰を下ろしたものだから、何を注文したらいいかわからない。若い男性のグループが何組かいるものの、離れているのでどんなものを食べているのか覗き見もできない。

お通しは豚汁ときんぴらだった。お通しに豚汁とは珍しいが、私の好物なので大歓迎だ。これが実に美味い。野菜や豚肉の味が馴染んでいて、文句なしの出来栄えだった。壁にお勧めメニューが貼ってある。要するに鶏皮ギョウザで、種類も豊富だ。それをいくつか頼んで酒をちびちびやっているうちに、女将さんの手があいたようだ。

「神社横丁って何軒くらいあるんですか?」

「田名部神社の境内で営業している神社横丁だけで30軒とちょっと。この一帯と裏のアーケードの所ね。それ以外を含めると200軒くらいかなあ」

調べると界隈には親不孝通り、レンガ通り、天きん通り、桐半通りなどがあって、多くの飲食店が立ち並んでいる。人口5万人の町に200軒の飲食店街というのは、恐るべき密集度だ。

恐らく、ここには下北半島中から人が集まった歴史があるのだろう。まだ時間が早いので、見渡しても暗がりが広がるばかりだが、夜も更ければ突如、新宿ゴールデン街が現れたかのように、看板や提灯の明かりに包まれるのではないか。女将さんは言う。

「お客の7割が観光客。あと、自衛隊ね」

地元の海上自衛隊大湊地方隊の自衛官が来るのはわかるとして、観光客が7割とはどういうことだろう。

「NHKの『ドキュメント72時間』で取り上げられたら、急に観光客が増えて。ユーチューブの影響もあるみたい」

下北半島に観光客が来るには本数の少ない大湊線を除けばレンタカーしかない。時間とお金をかけてまで、ここを訪ねる動機は何か。テレビやネットをきっかけに、多くの人々が下北の知られざる魅力を発見したのだろうと思う。NHKの番組が放送されたのは2020年1月17日のこと。4年もたっているのに観光客が客の過半を占めているのだから、一過性のブームではない。

昼間の疲れが出た。腰を浮かせようとしたとき、女将さんが鍋を持ってきた。

「あなたたちから、今晩のおススメを聞かれたら出そうと思っていたのよ」

「何ですか?」

「タコの道具鍋。タコの内臓よ。食べたことある?」

「八戸だったか、人が食べているのを見たことがあります」

「何が入っていた?」

「ええーと、ゴボウ……」

「ゴボウ? ゴボウなんて入れないよ。道具鍋は刻んだ道具と味噌とネギ。それだけ」

タコはミズダコで11月に漁が解禁される。いまが旬だ。なのに、お腹はいっぱい。せっかくの心配りに応えられず申し訳ない。

次回を期す。

野瀬泰申(のせ・やすのぶ)
<略歴>
1951年、福岡県生まれ。食文化研究家。元日本経済新聞特任編集委員。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。

◇店舗情報◇

店舗名 ブルーマウンテン 住所 青森県むつ市本町1−8 電話 0175-22−4195 営業時間 正午〜17時30分(日曜定休) 店舗名 居酒屋三宝 住所 青森県むつ市田名部町1−10 電話 0175-22−1018 営業時間 18時〜23時

あわせて読みたい記事
野瀬泰申の「青森しあわせ紀行」シリーズ(①〜⑤)

野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その2」シリーズ(①〜③)

野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その3」シリーズ(①〜③)

野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その4」シリーズ(①〜④)

野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その5」シリーズ(①〜②)

野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その6」シリーズ(①〜④)

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