墨田区京島の長屋を活用した街づくりとは?「目指すのは、文化的価値の見える化」
京島エリアにいてその名を見聞きしないことはないほどの人物がいる。街に惚(ほ)れ込んで移り住み、長屋を文化として捉え、その保存・活用に奔走する後藤大輝さんだ。彼はどのように長屋と向き合い、何を目指しているのだろうか。
お話を伺った人……後藤大輝さん
愛知県名古屋市出身。日本映画学校卒業後、フリーランスで映画制作業を行う中、2008年から京島の長屋に移住。「暇と梅爺」代表、すみだ向島EXPO実行委員長、一般財団法人八島花文化財団の代表理事などを務める。
なぜそこまで長屋を大切にするのか
約束の時間、建設現場の職人かのように脚立を担ぎ自転車で颯爽(さっそう)と現れた。きっと大工仕事でもするのだろう。差し出された名刺には肩書きがいくつも。多忙さが見て取れる後藤大輝さんは現在、京島界隈で長屋や普通の古民家、空き地を約30カ所借りて運営している。
この京島にやって来たのは2008年。「東京に、空が広くて戦前の民家が残っている街がある、そこにアーティストたちが実験的に住み始めている」と噂を聞き、先輩の建築アーティストが文花1丁目の『長屋茶房 天真庵』を改装する機会に訪ねた。「近所の職人さんから『古いけどお前らだったら直せるんじゃないか』と京島にある空き長屋を紹介され、気に入って住みました(後の「爬虫類館分館」)」。
後藤さんいわく、京島エリアの長屋は、大正末期や昭和初期に十坪規制されていた時代の“十坪長屋”が多く、二軒長屋~十軒長屋まであったという。大通りに面し上質な材料で造られた表長屋、路地に立つ裏長屋、後から2階が増築された“後2階”など、長屋の種類もいくつかあるのも特徴だ。
ところがそんな長屋に危機が訪れる。2018年、30軒もの長屋群の建て替えが決まったのだ。後藤さんは大家さんに許可を得て、建て替え前の約3カ月間、長屋を使った展示やシンポジウムを行った。
「長屋を壊す理由は、老朽化や莫大(ばくだい)な改装費、賃料や相続問題などさまざまですが、この時期から長屋の文化的価値の継承方法を真剣に模索しだしました」
同時に後藤さんはその保存と活用を始める。大家さんから長屋を借り、改修して、生かせる人を探してマッチング。そして「暇と梅爺」なる、企画・施工・運営・管理を担う空き家再生事業会社を興す。2020年からは文化芸術プロジェクト「すみだ向島EXPO」を開催。その実行委員会の任意団体を法人化するかたちで、非営利法人の「八島花文化財団」を立ち上げた。土地建物を共同所有することで長屋文化を継承するのだとか。さらに2025年春には、街づくりの資金調達会社「八島花」を設立した。
しかしなぜ後藤さんは長屋をそこまで大事にするのか。
「それは歴史と景観の貴重さです。100年前、戦前の東京の下町で暮らしに使われた建物がそのままあって、触れたり住めたりできるなんてなかなかない。利便性とは違う、今の時代に必要な豊かな暮らし方をこの建物から学ぶこともできると思うんです」
最近の調査では、京島2~3丁目を中心に89棟の長屋と14軒の元長屋(長屋の一部)、住戸数でいうなら281戸が現存するという。では、目下の課題は?
「長屋の消失が加速する今、借りるだけでなく共同購入も進めています。長屋の大家さんと地主さんの経済的負担も避けられないので、協業スキームも考えなければいけない。目指すのは、文化的価値の見える化。当たり前の存在の長屋に価値を見出し、街の人と認識を共有することが必要です。ハード面では耐震性。直せないと諦めている大家さんは多いのですが、今の技術・工法なら耐震補強はかなうので、しっかり伝えて直していきたい。両方クリアした先には、東京都の中で戦前から庶民の生活文化が続く歴史文化地区として、アピールできるのではないでしょうか」
取材・文=下里康子 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2025年8月号より