日本に古来より伝わる合成獣の伝承 〜「夢を食べる獏、市場で買ってしまった禍い」
合成獣とは、複数の生物の特徴を組み合わせた架空の生物を指し、神話や物語において頻繁に登場する存在である。
創作や伝承において人気が高く、その多くが文化や宗教と深く結びついている。
今回は、日本に伝わる合成獣について解説する。
1. 獏(ばく)
獏(バク)は本来、中国に伝わる幻獣であり、象の鼻、サイの目、牛の尾、トラの足を持つとされる。
その最大の特徴は、人間の「夢」を食べる能力であり、古代中国では災厄を避けるために獏の絵を描いた屏風が作られた。
日本にこの伝承が伝わると、獏は「悪夢を食べる生物」とされ、魔除けのシンボルとして広まった。
室町時代から江戸時代にかけて、獏は庶民の間で縁起物として人気を博した。
獏を描いたお札や、獏の姿を模した「獏枕」が販売され、悪夢から守るものとして親しまれたのである。
一説には、豊臣秀吉が獏枕を使用したともいわれるが、その信憑性には議論がある。
2. 鯱(しゃちほこ)
鯱(しゃちほこ)といえば、日本では屋根の上にある装飾としてお馴染みの存在だ。
一見、魚に見える鯱だが、実はその顔はトラのものであり、鯱はいわば魚+トラの合成獣だといえる。
明時代の中国の学術書「本草綱目」において、鯱は「魚虎」の名で言及されている。
同書において魚虎は南海に生息する怪魚とされ、その頭はトラであり、背中にはハリネズミのような棘が生えているとされる。
この棘は有毒であり、軽く触るだけでも蛇に噛まれたかのように腫れあがるため、大変危険だという。
鯱の起源には諸説があり、そのうちの一つとして挙げられるのがインドの大怪魚、マカラ(Makara)である。
マカラは、魚・象・ワニなどが混ぜこぜになった姿をしており、神々が騎乗する神秘的な生物だとされている。
もう一つ、鯱の元ネタと考えられているのが、中国の「螭吻(ちふん)」という生物である。
螭吻は竜生九子(竜が生んだ九匹の子だが、竜にはなれない哀れな存在)の一匹であり、元々はハイタカという鷹の尾を持つ獣の姿をしていたそうだ。
唐の時代には、魚の姿で表されるようになったという。
螭吻は遠くを見ることを好む他に、物を咥える・飲み込むことを好むとされる。
その伝承になぞらえ、屋根の端を咥える螭吻の装飾が流行したのだという。
これらの要素が日本へと伝わり、やがて鯱へと変化したのではないかと考えられている。
3. 石距(てながだこ)
手長蛸とは、その名の通り手(触手)が長いタコである。
生で食べるには柔らかすぎて食感がイマイチだが、火を通すことで歯ごたえが良くなり、美味しく食べられるという。
それとは別に、石距(てながだこ)という妖怪の伝承があるのをご存知だろうか。
石距の見た目は普通のタコと何ら変わりないが、その正体はなんと蛇が変化したものだという。
蛇が海中に入ることで、この石距に変化するとされる。
いわば蛇+タコの合成獣だといっても過言ではないだろう。
古来よりタコは蛇が変化したものと考えられていたようで、日本各地に様々な伝承が残されている。
江戸時代の旅人・百井塘雨が執筆した旅行記「笈埃随筆」には、以下のようなエピソードが記されている。
(意訳・要約)
ある商人が語ったところによれば、越前(現在の福井県)の人々は、蛇がタコになる瞬間を弁当持参で見物しに行くという。
山から現れた蛇は一直線に海へと向かい、尾で水面を数回叩く。
すると、尾の先端が八つに裂け、だんだんと触手のように変化していく。
やがて蛇の全身は完全にタコと化し、そのまま沖へ沖へと泳いでいくのである。
他にも、江戸時代の医師・寺島良安が執筆した百科事典「和漢三才図会」にて、石距は言及されている。
それによると、このタコを塩で味付けして焼けば美味いが、その正体は海に入って変化した蛇なので、食べすぎるとお腹を壊す、とのことだ。
蛇の毒がタコになった後も残っていると仮定すれば、頷ける話である。
4. 禍(わざわい)
禍(わざわい)とは、その名の通り災いを振り撒く怪生物である。
その姿はイノシシとも、角の生えた狼とも、牛の胴体にトラの頭を持つともいわれる。
元々は仏教の伝承に登場する生物であり、以下のような話が伝わっている。
(意訳・要約)
とある平和な国の王様が、平和過ぎて退屈になったのか「禍いが欲しい」などとふざけたことを言いだした。仕方なく部下が捜索すると、市場で「禍」と呼ばれる奇妙な生き物が売られていたので、買って持って帰ることにした。
禍は鉄を食べる不思議な生き物であり、針を与えるとすくすくと成長した。
しかし遂には国中の鉄を食い尽くし、禍は異常なほど巨大化してしまった。「これはマズイ」と思った王様は、部下に禍を殺すように命じる。(誠に勝手な王様である)
しかし禍の体は鉄のように硬く、あらゆる武器が通用しない。そこで今度は火をつけて焼き殺そうとするが、禍は炎を上げながら走り回り、やがて国中が火の海となった。
「私が軽率に禍いが欲しいと言ったばかりに…」
全てを失った王様は深く後悔したが、何もかもが手遅れであった。
この説話は日本にも伝わり、身勝手な行動が災いを招く「市に禍を買う」という諺の語源になった。
禍は中近世の創作においても人気の怪物であり、室町時代の御伽草子「鶴の草紙」や、江戸時代の作家・曲亭馬琴の小説「椿説弓張月」、万亭応賀の「釈迦八相倭文庫」などの作品に登場している。
参考 : 参考 : 『幻獣辞典』『神魔精妖名辞典』他
文 / 草の実堂編集部
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