<さらばカミナリ親父!>ただ怒るだけなら不要です!ママたちが考える「家族に求められる父親」とは?
父親の存在は子どもに大きな影響を与えますよね。父親の性格によっては子どもが父親を心強く思ったり、疎ましく思ったりと家庭における父親像が変わるものでしょう。ママスタコミュニティのある奥さんは、家族にとって怖い父親が必要だと考えています。
『家庭には怖い父親が必要だと思わない? 個人的には昔でいう父親の鶴のひと声みたいなものが大事だと思います。私は眼光鋭い父親に育てられたけど、父のことは今でも好きです』
投稿者さんの父親は子どもに対しても鋭い視線を送るようです。その視線に怖い印象を受けそうですが、家族にとっては頼りになる存在なのかもしれません。他の奥さんたちは家庭における父親像についてどう考えるのでしょうか。
怖い父親はいらない
『怖い父親は全然必要だと思わない。経済力を握って母と私を支配し、ことあるごとに教育虐待とモラハラを重ねてうん十年。父が亡くなったときに私は一滴の涙も出なかった』
『怖いから父親の前ではこうしておこうというのであれば、根本的な解決にならない。だから必要だとは思わない』
子どもにとって「父親が怖いから言うことを聞いておく」ということが当たり前になると、トラブルがあったときにもその場しのぎの対応になってしまうかもしれません。父親の指示待ちになって自分で考える習慣が身につかない可能性もあります。そうなると子どもは根本的な解決ができなくなりますよね。また父親が家族を養っているとしても、それを権力のように振りかざしていては父親が家族から嫌われてしまう場合もあるでしょう。妻や子どもを大切な家族として扱うからこそ、家族に必要とされる父親になるのかもしれません。
家族に求められる父親は?
家族を理解している父親
『ただ怖いだけの父親ならいらない。子どものこと、家庭のことを理解した寡黙なお父さんが最後に一声あげるなら欲しい。何もわかっていないのに偉そうに言う父親はいらない』
家族の考えや性格を理解していない父親に強く意見を言われても、家族には受け入れ難いものでしょう。例えば子どもが友達とちょっとしたトラブルを起こした場合、頭ごなしに子どもを怒るのと、子どもにトラブルを起こした理由を聞いた上で怒るのとでは子どもの心象が全く違いますよね。何も知らないのに! と子どもが思うような言動をする父親では威厳が保てなくなるかもしれません。でも子どもが父親は自分を理解してくれる、と感じるなら父親も子どもに必要とされるのではないでしょうか。
言動に筋が通っている父親
『うちの父親も旦那も穏やかで優しい。でも躾はきちんとする。父親に関しては私の高校受験以降、要所要所でのアドバイスや注意がものすごく的確で、身の引き締まる思いがした。怒鳴るような高圧的な親でなくても、一本芯の通った父親ならいざというときに迫力がある』
『ただ怖いだけで威張り散らす父親ならいらないかな。言葉や行動に筋が通ってないと周りは納得しない』
いくら威圧的な態度でも、言っていることやしていることが矛盾していたり、言うことがコロコロ変わったりする父親だと家族は信用できなくなってしまいます。筋の通った考えを持って行動する父親になら、何を言われても家族は納得できることが多いかもしれません。
妻を大切にする父親
『お母さん(妻)を大切にする父親なら、子どもは父親を信頼する。怖い父親よりも、妻を大切にする父親の方が必要』
父親が家族を思う気持ちは大切ですが、特に妻への思いやりや気遣いができると、子どもは父親を尊敬するのかもしれません。子どもは父親から、妻が家事や育児をするから、自分は安心して仕事や生活ができるという気持ちを感じることで、安心して父親を信頼できるのかもしれないですね。
きちんと叱れる父親
『威張ってばかりの威圧的な怖さではなく、いざというときに叱ることができる人、という意味なら父親は必要だと思う』
『きちんと叱れる、諭せる父親が必要だと思う。叱るのも自分の感情と切り離せて叱れる父親が必要かな。普段は柔和でも、叱るときはしっかり叱れる父親ならOKだと思う』
子どもが何か問題を起こしたときや、親が注意しないといけないことをしたときにしっかり叱ってくれる父親は必要になりそうです。叱るときは感情を剥き出しにして怒鳴り散らすのではなく、子どもになぜそのようなことをしたのかを問い、なぜそれをしてはいけないのかをきちんと説明することが大切でしょう。
『怒ると怖いけれど怒らなければ優しい、がいいかなと思う。その怒る理由が理不尽でなければ』
また厳しく怒る場合でも、父親の気分や自分勝手な考えをもとにしていてはいけないですよね。怒る理由が明確で子どもが納得できる話し方をすると、子どもは父親の言うことを受け入れやすくなるでしょう。
子どもや妻の考えを理解した上で、父親なりの筋の通ったことを落ち着いて話す。それが求められる父親像なのかもしれません。