カンニング竹山が「エンタメ仕事の大切さ」痛感した2つの出来事
野村邦丸アナウンサーがパーソナリティを務めるラジオ番組『くにまる食堂』(文化放送・月曜日~金曜日9〜13時) 6月17日の放送では、月曜レギュラーのカンニング竹山が、改めて仕事に一生懸命打ち込もうと思ったエピソードについて語った。
竹山「この間、エンタメというか、自分のこういう仕事はやっぱり大切で、一生懸命やらなきゃいけないなって、当たり前のことを改めて思ったことがありました。僕はNHKのEテレで『今君電話』っていう番組やってるんです。電話でずっと人の話を聞く番組で、3月に放送した時に出てくれた『さなちゃん』って女性の方がいました。年は僕と同じぐらい。その当時、乳がんを患って、東北にお住まいで、3人のお子さんと旦那さんがいて、もう余命宣告をされていて、あと二ヶ月、三ヶ月っておっしゃってたかな。病気の具合とか治療で北陸から関東に1人で通っていて、それが結構つらくなってきたと。それで、まだ一生懸命やるべきなんでしょうか、話を聞いてくださいって電話をしてこられたんですよ。そしたら電話をしてるだけでこっちも元気になるような、すごく明るい方だったんです」
邦丸「うん」
竹山「じゃあ、年末とか1年後、死ななかったらまた話そうよって言ったら、「私も頑張ります」って言ってたんですよ。そうしたら先週水曜日に『さなちゃん』の旦那さんの妹さんという方からインスタグラムのDMが来て。見たら、実は今日お姉さんが亡くなりましたと。予想より早かったです、というのでビックリして、スタッフともいろいろ話して、花だけ送らせてもらったり色々して。すると、またお返事が来まして。亡くなる直前にNHKのVTRを本人と家族で見て、カンニング竹山と喋ったテレビだよ、みたいな感じでみんなで大笑いして、すごくいい時間になった、ということが書いてあったんですね。それを見た時、その番組をやってよかったなってのもありますし、間接的ですけど人を笑顔にしたり楽しませたりとか、そういうことがこの仕事にはあるんだなって改めて思ったんですよね。番組で関わった人が亡くなったのは非常に残念なんですけど、そういうことがあるわけだから、僕もなんていうかな、真面目にちゃんと真摯に向き合って一生懸命やってれば、喜んでくれる人もいるんだなって、改めて思ったんです。
実は、以前も同じようなことがありましてね。あるとき、ちょっと有名な焼肉屋で、妻と後輩とご飯を食ってたんですよ。そしたらその横に、奥さんみたいな人と、若い女の人と、ご飯を食べてる反社みたいな人がいて、僕はその時、冗談半分で梅宮辰夫さんって言ってたんですよ。見た目があんな感じだったから」
邦丸(笑)
竹山「そしたらその人がこっちに来て「ちょっと話が…」って言うわけですよ。もう話なんかないです、やめてくださいと僕が言ったら、「これを受け取ってくれ」ってまた来たんですよ。なんかメモみたいなの持って。いやもう無理ですと。メモなんか貰っちゃったらもうダメじゃないですか。そういうことは事務所でもダメだということになってますから、って断ったんですよ。そしたら、奥さんと娘と梅宮辰夫さんが帰る時にまた来て、どうしても受け取ってくれって言うんですよ。もう本当にやめてください。うーん、1回もらいますから、やめてくださいねって言って別れたんですよ。メモ2枚でした。それ開けたら手紙が書かれていたんですよ。私は山梨県のナニナニと申します。実は3、4年前に事業を失敗して、どうしようもなくなって、自分から命を絶とうと思ってました。そんなときに、テレビをぱっと見たら、僕がしょうもないことで他の芸人からわんわん言われてて、1人で「うるせえな!」とか叫んで戦ってたと。それを見たとき、こいつはなんでここまで戦うのかと。こんなしょうもないことで、こいつが頑張っているのなら俺もやれる! と思って、死ぬのをやめたんですって。それからまた頑張って生活できるようになって、事業を失敗してから初めて家族で焼肉を食べに行った時、たまたま横に僕が来たっていうんです。その人を僕は反社だと思い込んで(笑)」
邦丸「梅宮辰夫さんだと言ってね」
竹山「でもその手紙をもらったときに、やっぱりどこかでいろんな人が見てくれてるし、エンタメは大切なんだということを学んだんです。そして『今君電話』では、『さなちゃん』は残念ながらお亡くなりになってしまったんだけども、ご家族と最後に見れたことはよかったなと。実は、電話で話した時は家族には言わないとおっしゃってたんです。私が亡くなった後、お母さんはこんな電話してたんだよって子供達に見てほしいとおっしゃってたんだけど、実際にご家族みんなで見て楽しく過ごしたというのを聞いて、やっぱりこういう仕事はちゃんとしなきゃなと思ったのが今週僕の中ですごく響いたことなんです」