生涯独身の上杉謙信に妻!? 上越市で研究者が講演 市民ら170人が参加
新潟県上越市の郷土の戦国武将、上杉謙信には妻がいた――。生涯独身だったとされている謙信の妻の存在など、新たな謙信の姿に迫る講演会が2025年11月15日、同市春日山町1の上越市埋蔵文化財センターで開催された。市民のほか県外の謙信ファンなど約170人が詰めかけ、最新研究の成果に耳を傾けた。
講演会は主催した「春日山城跡保存整備促進協議会」(折橋修会長)の予想を大きく上回る参加者で、改めて謙信に対する関心の高さがうかがえた。
《画像:謙信の妻の存在について講演した上越市公文書センターの福原圭一所長》
講師は戦国時代を専門とする同市公文書センターの福原圭一所長。福原さんは「研究している歴史学は歴史小説と違い、証拠となる古文書などの史料に基づく」とした上で、近年歴史学者が謙信の妻の可能性があるとしている史料を紹介した。
古文書に武家の妻女指す「御新造」「新さう」
和歌山県の高野山清浄心院所蔵の「越後過去名簿」や「上杉政虎(謙信)書状」には武家の妻女を指す「御新造」「新さう」が登場し、当時の謙信の状況や前後の文脈、他の史料の記述などから「御新造と新さうは、十中八九、謙信の妻だろう」と指摘。「これだけ出てくると、生涯独身だったというのは資料的にはなかなか難しい」と話した。
《画像:会場が満員となり謙信に対する関心の高さがうかがえた講演会》
妻は謙信の義兄の親類か?
加えて、自身の最近の研究から、御新造は謙信の姉、仙桃院の夫である長尾政景(越後国坂戸城城主)に近い親類と推測できる古文書も紹介した。これまでに見つかっている御新造の記述が最も古いのは1549年(天文18年)で、謙信は前年末に家督を相続して春日山城入城後に政景と関係が悪化していることから、「もしかすると、謙信が春日山城に入った時には妻がいた可能性が高いと考える。(それより前の)両者の仲が良かった時期に、何らかの同盟の人質として妻が渡されたのではないか」と解説した。
「義の武将だけでない面知って」
福原さんは「謙信は『義の武将』と言われるが、あくまでも一つの顔。義の武将を否定するわけではないが、妻の存在などさまざまな面があることを知ってほしい」と述べた。