名著が明らかにした、世界の神話に共通する構造――佐宗邦威さんが読む、『千の顔をもつ英雄』【NHK100分de名著】
キャンベル『千の顔をもつ英雄』を、戦略デザイナー・佐宗邦威さんが読み解く
神話は古今東西の人間の精神文化に大きな影響を与えてきました。
アメリカの神話学者ジョーゼフ・キャンベルは世界各地の神話を収集・分析し、英雄が冒険に出る神話には共通するパターンがあることに気づき、1949年に『千の顔をもつ英雄』を出版します。
それは映画や小説、ゲームなど現代の物語制作にも大きな影響をもたらしました。
NHKテキスト「100分de名著」では、多摩美術大学特任准教授で戦略デザイナーの佐宗邦威さんが『千の顔をもつ英雄』を読み解き、みずからを成長させる「物語」を描くための方法を探ります。
今回は本書から、『千の顔をもつ英雄』へのイントロダクションをご紹介します。
神話を通して、「自分らしい生き方」を見つける旅に出よう
今回紹介する『千の顔をもつ英雄』は、古今東西の膨大な神話を比較・分析し、世界の神話が持つ共通の構造を明らかにした神話学の名著です。
同時に、神話に見られる共通のパターンを詳しく解説した「物語論」でもあり、またその物語に仮託された人間の普遍的な欲求に迫る、人類学的な観点からも評価の高い著作です。
私は普段、「戦略デザイン」――企業や組織などにおいて未来のビジョン作りとそのビジョンの実行のための戦略を「デザイン」の考え方や手法で作り出すこと――の提案・提供をする戦略デザインコンサルティングファームの代表として、さまざまな企業や組織のビジョン作りや、企業理念作り、ブランディング作りに伴走する仕事をしています。未来を描き出すうえでは、組織の構成員が「絵に描いた餅」になりがちな未来を、ワクワクできる物語として紡ぎ出せるかが非常に重要です。そのためにはビジョンを、イメージしやすいビジュアルや物語として伝えていくことが肝であり、物語というのは非常に重要な要素になります。とはいえ、神話の専門家ではない私が、なぜ今回、『千の顔をもつ英雄』を取り上げるのかを、まずお話ししましょう。
この本の著者である神話学者ジョーゼフ・キャンベルを知ったのは、ある外資系のメーカーでマーケティングの仕事をしていた二十代後半のことでした。その企業では、実証的な数字やデータに基づき、論理的に戦略を立て、また評価をすることを徹底していました。私自身は、新しい創造的な方法論を作り出すことに興味があり、どうやったら人と違うマーケティングや広告のアイデアを生み出すことができるだろうか、ということを模索していました。
これまでにない切り口はないだろうか――大きな壁を前に足踏みをしているような状況の中で手に取ったのが、アメリカの作家ダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト――「新しいこと」を考え出す人の時代』という本でした。
特に興味を引かれたのは「この「六つの感性」があなたの道をひらく」というパートで、そこには「これから求められる「六つの感性」とは」として「デザイン」「物語」「全体の調和(シンフォニー)」「共感」「遊び心」「生きがい」という六つのキーワードが挙げられていました。実証性・論理性をベースに思考してきた私にとってはいずれも非常に目新しく、これこそがクリエイティブな思考法だと感じられました。そして、「物語(ストーリー)」の章で紹介されていたのが、キャンベルの提唱した「英雄の旅(ヒーローズ・ジャーニー)」という概念だったのです。その後、私は、同じく『ハイ・コンセプト』で紹介されていたデザインを学ぶべく、イリノイ工科大学のデザインスクールに留学しますが、そこで再び「ストーリー・デザイン(物語作り)」の授業に出会います。後述するジョーゼフ・キャンベルの「英雄の旅」の考え方を土台として、ユーザーを主人公に見立て、その体験ストーリーをデザインするワークショップに出会い、「物語はみずから作ることができる」ことを知り、その後、「未来をデザインする」を事業とする自分の仕事でこの考え方を常に活用するようになりました。
C・G・ユングの心理学の影響を強く受けていたキャンベルは、人の夢に代表される無意識の中には、共通する「原型」があると考えていました。その共通パターンには、民族や宗教を超える普遍性があり、固有の文化を背景に成立している「神話」という物語群もまた、同様にある共通のパターンを内包しているということを、世界中の膨大な神話の比較研究を通して分析しました。
共通のパターンとは、「主人公が日常から非日常へと旅立ち、そこでいくつもの試練を乗り越え、宝を手に再び日常へと帰還する」という物語の構造で、キャンベルはこれを「単一神話論=モノミス(monomyth)」と名づけました。その「単一神話論」に基づいて、英雄神話の一連の流れを整理したのが「英雄の旅」の理論です。後で詳しく見るように、この理論は、現在に至るまで映画や小説といった「物語」のクリエイターに幅広く影響を与えたと言われています。
私自身、学生の頃からユングが好きでその著作をよく読んでいたこともあり、キャンベルの理論を興味深く受け止め、「物語を作るための方法論がある」ということに大いに惹かれました。例えば、CMを作る場合を考えてみましょう。「この商品は、こういう思想から作られていて、こんなかたちであなたの生活に寄り添うことができます」ということを消費者に示すには、「プロット(筋書き)」が必要です。人に納得感を与えることのできるプロットは、ある種の「物語」だと言えるでしょう。
「英雄の旅」という概念は、新しい製品のコンセプトや、企業の理想の姿であるビジョンを「物語」として伝えていく、という私の現在の仕事のあり方の土台となりました。
現代は、「大きな物語がなくなった時代」と言われます。世界各地に神話は伝承されていますが、そこにリアリティを感じている人はほとんどいないでしょう。欧米諸国であれば、かつてはキリスト教が絶対的な生きる指針として存在し、日本でも神仏が心の拠りどころとなっていた時代がありました。しかし資本主義の時代からグローバル化の時代を経て、さらにインターネットが普及していくなかで、誰にとっても拠りどころとなる「大きな物語」は、分化・多極化し、あるいは失われてしまった――そう言ってよいでしょう。
しかし、それでも私たちは、物語がなくては生きていけません。それは誰かが用意した「大きな物語」ではなく、私たち一人ひとりの、あるいは家族、学校や会社といったつながりとの間で生まれる「小さな物語」です。
物語という枠組みを一切持たずに漠然と生きるのは、人生を目的なしに生きるようなもので、ともすれば迷子になりかねません。「自分自身の物語を生きている」と感じられることで、人は自分の日々に意義を実感することができます。結果として、生きることの手応えが得られ、人生の充実度・満足度は確実に高まるでしょう。
「英雄の旅」のモチーフは、神話に登場する英雄が直面する(異世界も含む)遠い世界の冒険ですが、それは実は、人間の「内面的な成長」の過程と捉えることができるのです。『千の顔をもつ英雄』を読み進めながら、あなたの人生の物語を描いてみる――これまでの人生を振り返る、あるいは理想の未来を想像する――ことによって、自分が人生において大切にしていることや、そこに向かっての自身の内面的な成長を実感していただければと思います。
冒険の旅へと出かける準備はできましたか? それでは、出発しましょう。
「100分de名著 キャンベル『千の顔をもつ英雄』」では、第1回「神話の基本構造「行きて帰りし物語」」、第2回「出立――冒険への合図にどう気づくか」、第3回「イニシエーション――試練をどう乗り越えるか」、第4回「帰還――社会への還元」という全4回を通して、私たちの人生の物語を創り出すという視点から「神話」を見つめ直します。
講師
佐宗邦威(さそう・くにたけ)
戦略デザイナー、多摩美術大学特任准教授
東京大学法学部卒業、イリノイ工科大学デザイン研究科(Master of Design Methods)修了。P&G、ソニーを経て、戦略デザインファーム「BIOTOPE」を創業。著書に『直感と論理をつなぐ思考法』『理念経営2.0』(ともにダイヤモンド社)、『世界のトップデザインスクールが教える デザイン思考の授業』(日経ビジネス人文庫)、『模倣と創造』(PHP研究所)、『じぶん時間を生きる』(あさま社)ほか。※刊行時の情報です
◆「NHK100分de名著 キャンベル『千の顔をもつ英雄』 2024年7月」より
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