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「常位胎盤早期剥離」で、母子ともに命の危機に…!退院後は帯状疱疹&産後うつまで

たまひよONLINE

男児3人を育てる駆け出しのママライター、‟mikoどうぶつえん”です。私が第3子を妊娠したのは、34歳の時でした。そのころ我が家は新居が決まり、引っ越し準備の真っ最中。今思えば、大きなおなかで上の子たちの幼稚園の送迎や引っ越しの準備など、ぎりぎりまで予定を詰め込み過ぎていたのでしょう。
第3子も上の子たちのように順調に生まれるものだと思っていましたが、まさかの「常位胎盤早期剥離」に…。私は出産は命がけなのだと、3人目で思い知ることになったのです。

妊婦の直感! やはり予定日より早かった陣痛


私に陣痛が来たのは、予定日より16日前の夜中のことでした。産院へ電話すると「まだ余裕がありそうだね。一晩待っても良いけれど、経産婦さんだからどうする?」と言われました。

私は、迷うことなく「入院させてください」とお願いしていました。妊婦の直感というのは不思議なもので、私は生まれそうな予感がしていたのです。深夜2時でしたが、上の子たちを両親にまかせて、夫と産院へ向かいました。

産後は実家にお世話になることが決まっており、「まだ早いよ」とのんびり構える親に、準備を急いでほしいとせかしていた矢先のことでした。

突然の出血! 赤ちゃんの心拍が50に低下…


夜中に入院したものの、微弱陣痛のまま一晩が過ぎました。しかし、目が覚めてトイレに行くと、レバーのような大きなかたまりが! 慌ててナースコールをし、そこからはドラマのような緊迫した展開になりました。

ずらりと並んだ看護師と助産師、そして医師。長男のときからお世話になっているはずなのに、いつもとまったく違う様子が伝わってきました。分娩台に移り、バタバタと準備が進むなか、赤ちゃんの心拍が50まで下がってしまいました。

あわや緊急帝王切開か!? そう思った次の瞬間、奇跡的に心拍が戻ってくれたのです。子宮口も開いていたので、そこからするすると出てきてくれました。トイレから生まれるまで約30分。短いけれど、私にはとても長く感じた時間でした。

「泣いて…! 」赤ちゃんは無事? 私は大量出血に…


「無事に出てきた!」と、感動したのもつかの間。赤ちゃんは顔面蒼白で泣きません。「泣いて、泣いて…、泣いて!! 」心の中で何度も叫んでいました。

しばらくして、かすかに聞こえた赤ちゃんのか細い鳴き声に、ホッとしたのを覚えています。赤ちゃんは呼吸が早く、保育器で様子を見ることになりました。後で先生から「あと5分遅かったら危なかった。間一髪だった」と聞かされて驚きました。

一方の私は、弛緩出血で2170mlの大量出血。幸いにも止血処置で輸血には至らずに済みました。その後、分娩台に横になったまま過ごした4時間。動けない私に、先生はカンガルーケアを施してくれて、それは最高に幸せな瞬間でした。

母子ともに無事退院するも、産後うつに!


こうして、ベテラン先生や病院のスタッフのおかげで、赤ちゃんは無事に生まれることができました。しかし、これまでの出産と桁違いだった出血量に、私のダメージは重過ぎました。

顔は青白く、食事を取るだけで疲れてしまい、横にならないと体がもちませんでした。体が思い通りにならない自分に苛立ち、自然と涙がこぼれていました。家に引きこもり、ついには家族以外の人と会うのを怖いと感じるうつの症状に。

ストレスから帯状疱疹も患い、心だけでなく体にも異常が現れてしまったのです。それでもなんとか、通院して帯状疱疹が治まったころ、徐々に体調も回復。さらに出産から4ヶ月を経て、ようやくうつ状態からも回復できました。

私が第3子の出産で経験したのは、「常位胎盤早期剥離」という疾患でした。母子ともに命の危険をともない、赤ちゃんの死亡率は高く、母体死亡率も決して低くはないそうです。そんな危険な状態を乗り越え、赤ちゃんは妊娠37週5日に身長46.7cm、体重2630gで奇跡的に生まれてきてくれました。赤ちゃんの生命力の強さに驚くとともに、感謝の気持ちでいっぱいです。そんな第3子の息子も現在5歳。わがままを言えるのも生きている証と、おおらかに受け止めようと努力しています。

[mikoどうぶつえん*プロフィール]
病院の調剤補助業務をするかたわら、在宅でママライターを始めました。夫とまじめな長男、ひょうきんな次男、わがままでかわいい3男の5人家族。毎日が動物園のように賑やかです。パン教室通いが目下の楽しみ。

※この記事は個人の体験記です。記事に掲載の画像はイメージです。

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