デザインの編み方―― 廣川玉枝と古田雅彦の挑戦
デザインディレクター古田雅彦氏が訪ねたのは、一緒に東京オリンピック・パラリンピックのプロジェクトに携わった廣川玉枝さんのプレスルーム。デザインでかなえる機能と美しさの融合とは?他にはないデザインで注目を集めたポディウムジャケットの誕生秘話から、廣川氏のブランド「SOMARTA」のエピソードまで、多岐にわたるトークをお届けする。
オリンピックウェア誕生の裏側
古田:廣川さんとは同じ企業に勤めていたご縁もあり、私がアシックスでオリンピックウェアを手掛けていた時、一緒に何かできないか廣川さんへお声がけしました。
廣川:プロジェクトにお誘いいただいた時、開会式や表彰台で着用するポディウムジャケットについて「選手にとって正装、つまりタキシードスーツのようなもの」と語っていたことが、とても印象に残っています。オリンピックという大きな舞台で着用するスポーツウェアをアシックスと共同開発できることは大変やりがいを感じる挑戦でした。
古田:オリンピックウェアというのは、選手たちのパフォーマンスはもちろん、テレビや新聞に映った時の見た目の美しさも意識しなければなりません。ですから、機能性だけでなく美しさも備えた「機能美」をいつか形にしたいと思っていました。廣川さんが手掛けるブランドでは、まさにその機能美が体現されていたので、プロジェクトにお誘いしたのです。これまで27ヵ国に及ぶオリンピックウェアを手掛けてきましたが、東京オリンピックのプロジェクトは特に思い入れがあります。その集大成とも言えるポディウムジャケットは、メッシュの編み地が模様にも見える美しいグラフィックと、袖を通したときの涼しさが話題を呼び、競合他社からも注目を集めました。スポーツブランドにはとても真似できないデザインでしたから。
廣川:日本の高温多湿な夏の気候は、日差しも強く選手の体温が上昇する懸念もあり、体力の消耗負荷を少しでも軽減する必要がありました。暑さをしのげるウェアを作るのは、私たちにとって一つの課題でしたね。
古田:ポディウムジャケットは、ランニングシューズを着られたら良いなという発想から生まれました。ランニングシューズは穴がたくさん空いている設計で、通気性にすぐれています。シューズの素材は固い化学繊維でできているため穴を空けやすいのですが、スポーツウェアは生地が非常に薄く、穴を空けると破れやすくなってしまいます。ですから、穴を空けた時の生地の張りや開き方を研究しました。さらには、この穴を利用して、美しい模様をデザインしたいという発想にもたどり着いたのです。
廣川:アシックスのスポーツ工学研究所は身体に関する研究を行っていて、体温が上昇しやすく、汗をかきやすい部位など細かく調べてデータ化しています。長年蓄積されたデータを活用し、人間の身体機能に応じた皮膚そのものをデザインするような感覚で汗をかきやすいところ、かきにくいところで、編み地の穴(通気孔)の大きさを変え、紫外線からの保護を意識するべき部位は穴を開けずに編み地を詰めて設計しました。それにより、今までにない高い通気性と、身体を美しくみせる審美性の融合を実現しています。
古田:この編地のパターンは、コンピューターのプログラミングで設計しているのですが、廣川さんが長年、取り組んでいる分野でもあるので、一緒に作れることを楽しみにしていました。
ファッションとスポーツの融合
廣川:私は、2006年のブランド立ち上げ当初から無縫製ニット「スキン」シリーズの研究開発を続けています。ニットは糸を編むと同時に服の形を作り身体に合わせて設計ができるので、その技術はスポーツウェアに応用できると以前から考えていました。プログラミングのおかげで、編地をひと目ごとに細かく設定することができ、皮膚そのものをデザインするように身体に合わせて編み地を思いのままに作ることができます。位置だけでなく、穴の大きさも自由自在に調整できるのです。
古田:白紙の状態から生地を作り上げるので、廣川さんはクリエイターと呼んだ方がしっくりくるかもしれません。
廣川:自分のブランドで蓄積した経験と、スポーツブランドならではの知見が融合したことで、今までにない一着を形にすることができました。
古田:廣川さんのブランド「SOMARTA」を象徴する「スキン」シリーズは、別名「第二の皮膚」と呼ばれています。
廣川:肌に寄り添い皮膚そのもののように伸縮し、身体の伸びやかな動きを妨げない「スキン」シリーズは、バレエダンサーやコンテンポラリーダンサーなど身体の動きで魅せる人に好まれています。アスリートやダンサーは日々、自身の身体に向き合い仕事をされているので「第二の皮膚」をコンセプトにした「スキン」シリーズは親和性があるのだと思います。
古田:「スキン」シリーズが生まれたきっかけについて教えてください。
廣川:基本的に衣服のデザインは、土地の気候や風土に左右され、文化に根ざした民族服が存在し、例えば日本の着物、インドはサリー、ヨーロッパは西洋服など、それぞれに違いが表れます。しかし、人類すべてが纏っている「皮膚」は、国や地域、性別や年齢、民族、文化をも超えて誰もが共通で持っているものです。
皮膚の装飾に関して言えば、古代から祈りや儀式などのために身体に模様を入れるという風習があり、日本の刺青や世界各地で見られるタトゥーやボディーペイントのように、言語や文化に関係なく人間が自己表現をするメディアでもあります。特別な願いや想いを身体に刻む行為が人類普遍の共通美意識であるならば、タトゥーなど模様が刻まれた皮膚を着脱可能な衣服という道具で実現すれば、人類の願いが叶えられる「世界服」、つまり民族を超えて繋がれる人類共通の普遍性がある衣服ができるのではないかと考えたのです。人種や言葉の壁も超えて人類の夢を叶えられる衣服を実現したい——「第二の皮膚」をコンセプトにした世界服、「スキン」シリーズはそんな考えから生まれました。
普遍的な美しさを目指して
古田:ブランドを立ち上げた20年前と比べて、今の世の中の流れをどのように感じていますか。
廣川:ブランドを始めた頃から、時代を超えて長く愛されるものづくりを目指そうという想いを抱いていました。既にファッション界には特有のビジネスサイクルがあり、ブランドは年2〜4回展示会を行って最新のファッションを発表し、1シーズン前のものは古いものとしてセール品になるという形態が主流でした。過剰にものが溢れている時代ですので、流行と消費というファッション産業のサイクルに飲まれたくないという想いがあり、自分なりの適切なものづくりのあり方を模索しようと考えたのです。
現在はインターネットが発展したことによって、情報が容易に得られる時代になりました。価値観も多様化し、コロナ禍のような未曾有の事態を皆が経験し、改めて社会的にものが過剰にあふれていることにフォーカスされ、適切なものづくりのあり方を皆が考え始めている時期なのだと感じます。
古田:一つのものを追求し続けることで、改めて感じることはありますか。
廣川:長年「スキン」シリーズを研究開発した結果ニューヨークの近代美術館MoMAに収蔵されたことや、その後アシックスと協業の経験を得たりと、継続は力なりと感じることが多くありました。1200年ほど前に造られた神社仏閣や小さな器に至るまで、現代の私たちが見ても、今もなお新鮮さや美しいと感じる普遍的な美やコンセプトをもち、時代を超えて人々に愛されているものがあります。本当に美しいものは、人間の直感的な本能に響き、古いや新しいといった時間軸を超えて存在できるのです。「スキン」シリーズも同じように、色褪せることなく生き続けられるものにしたいと考えています。そのためには、研究と開発を続け小さな革新を繰り返し、絶えず進化を重ねていくことが必要だと思います。いつの時代も変わらない本質的な美しさを「SOMARTA」のプロダクトを通して体現していきたいと考えています。
廣川玉枝/SOMA DESIGN クリエイティブディレクター・デザイナー
2006年「SOMA DESIGN」を設立。同時にブランド「SOMARTA」を立ち上げ東京コレクションに参加。第25回毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞受賞。単独個展「廣川玉枝展 身体の系譜」の他Canon[NEOREAL]展/ TOYOTA [iQ×SOMARTA MICROCOSMOS]展/ YAMAHA MOTOR DESIGN [02Gen-Taurs]など企業コラボレーション作品を多数手がける。2017年SOMARTAのシグニチャーアイテム”Skin Series”がMoMAに収蔵され話題を呼ぶ。2018年WIRED Audi INNOVATION AWARDを受賞。2021年東京オリンピック・パラリンピックの表彰台ジャケットをアシックスと共同開発。同年、大分県別府市の招聘アーティストとして芸術祭『廣川玉枝 in BEPPU』を開催、市民とともに新たな祭を発表。
http://www.somarta.jp/
古田雅彦/クリエイティブディレクター・デザイナー
ファイナルホーム、イッセイミヤケを経て、アディダスに入社。ドイツ本社にて多岐にわたるプロジェクトを統括。2012年ロンドン夏季大会を皮切りに、14年ソチ冬季の各国選手団のウェアを手がける。帰国後アシックスにて、16年リオ、18年平昌、20年東京五輪に従事。19年ユニクロに入社し、22年北京大会、24年パリ大会のオリンピックプロジェクトを歴任。2023年に「MILD LLC」を設立。
馬渡 菫
エディター・ライター。