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野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その7⑤」

まるごと青森

野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その7⑤」

(前回:野瀬泰申の「青森しあわせ紀行 その7④」)

2024年12月10日   ⑤ニシンと塩辛

風間浦村からむつ市に戻り、ホテルで一休みした後、市の中心部に向かった。同行のYさんに案内されて入ったのは「武田屋」という店だった。新しい白木を巡らせた店内には清々しい空気が満ちている。

カウンターに腰を下ろすと、ほどなくお通しが出て来た。

「ニシンの切り込みです」

まな板の前にたつ女将兼料理人の遠藤映子さんが言った。

そのときの正直な感想は「困ったなあ」だった。というのも西日本では日常的にニシンやホッケを食べる習慣がない。スーパーの鮮魚売り場でも見たことがない。例外は京都名物の「にしんそば」くらいのもので、あれは海から遠い京の都に身欠きニシンが北前船で運ばれてきていたことに由来する。

九州生まれの私はニシンとの縁が薄く、ホッケに至ってはまだ一度も口にしたことがない。私にとっての普段の魚はアジ、サバ、イワシなのだ。

青森県を度々訪ねるようになって、何回かニシンの切り込みに遭遇した。しかし、残念なことに美味しいと思ったことはなかった。それが「困ったなあ」の理由だった。

ニシンの切り込みが盛られた小鉢を覗き込む。「おや?」と声に出さずにつぶやいた。見た目が私の知っているそれとは随分と違う。ニシンの身に白い物がまとわりついている。箸で一切れつまんでみると細かく切られたニシンが力なく垂れ下がった。柔らかいのだ。

ニシンの切り込みはニシンの塩漬けを米麹で発酵させたもの。白い物が米麹なのだが、その量が多い。口に含んだだけで、麹の甘味と風味が舌を酔わせる。ほのかな塩味が追いかけてきて、ニシンのうま味を引き立てる。気が付けば完食。私のニシン観はあっけなく覆され「ニシンはつくる人とつくり方次第で、絶妙に美味くなる」に変わった。

続いて出てきたのが「貝焼き」なのだが、卵でとじた貝焼きしか食べたことがない私は意表を突かれた。大きなホタテの貝殻に大量の大根おろしが盛られ、それをイカの塩辛が覆っている。

「卵が入らない貝焼きは珍しいでしょう」

美貌の料理人が言う。

「はい、珍しいです」

正直な答えだった。

「火にかけて、ときどきかき混ぜてください。こんなふうに」

カウンター越しに料理人がやり方を見せてくれた。

やがて貝焼きに火が回り始め、塩辛からいい香りが漂ってきた。少しつまんで味見をする。大根おろしとイカの塩辛がこんなに相性よしだったとは。しかも熱が加わることによって塩辛が別物のように美味くなっている。

教えられた通り、ときどき上下を入れ替えるようにかき回す。いい方にどんどん味が変わって、いつの間にか貝のなべ底にあたる部分が見えて来た。現れたのは煮干し。これが隠し味だったとは。

夫で店主の雄人(かつひと)さんに教えてもらった。

「卵でとじない貝焼きはお店のオリジナルですか?」

「いやいや、こちらが本来のものです。下北半島と対岸の函館辺りでは、このスタイルでした。昔は卵が高価だったので、店で出すなら卵くらい付けなければということで、卵とじの貝焼きが広まったのでしょう」

「卵なしのメニューには、ほかにどんなものが?」

「材料さえあれば、どんな組み合わせでもいいんです」

下北に伝わる昔ながらの貝焼きを味わえて、しあわせな気分になった。

「孤独のグルメ」の井ノ頭五郎ならどうするだろう。

両手を合わせ、うっとりした顔で「ごちそうさまでした」と言うんだろうな。

野瀬泰申(のせ・やすのぶ)
<略歴>
1951年、福岡県生まれ。食文化研究家。元日本経済新聞特任編集委員。著書に「天ぷらにソースをかけますか?」(ちくま文庫)、「食品サンプルの誕生」(同)、「文学ご馳走帖」(幻冬舎新書)など。

◇店舗情報◇

店舗名 武田屋 住所 青森県むつ市柳町1ー1ー7 電話 0175-23-7811 営業時間 17:45〜23:00(日曜定休日)

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