「仕事のルールを変えてしまう人」の話。
つい先日、会食にて。
仕事はゲームみたいなもの、と言っている人がいた。
なるほど、と思ったのだが、ちょっと考えて、「いや……ちがう」という結論に達した。
というのも、仕事とゲームとは、根本的な違いがあるからだ。
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例えば、こういう話だ。
ある広告会社では、新人たちに対して、配属を決めるための競争を課した。
3か月以内に、あらゆる手段で、新しいお客さんを開拓する。
受注のトップ層には、人気のある「クリエイティブ」の部署に回すことも含めて、希望の部署に配属してやる、というものだ。
この会社では、クリエイティブ職にも営業力を求めており、
「最も仕事を取れる奴が、最もクリエイティブである」
という認識をしていた。
真の仕事の能力というのは、中室牧子氏が述べる「主体性」「コミュニケーション能力」「やり抜く力」だ。
そして、それは「仕事のやり方がわからないとき」にこそ、発揮される。
「クリエイティブ職」は人気だったため、さっそく、競争が始まった。
毎日、電話をまじめにかける者。
先輩の営業のしかたを学んで、効率的に仕事を取ろうとする者。
縁故を使って仕事を獲得する者。
資料作りに時間をかける者。
マーケティングの勉強を始める者。
これは確かに、一種の「ゲーム」のようなものだった。
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しかし、最も成果をあげた人間は、次のような仕事のやりかたをした。
まず、学校の後輩に片っ端から声をかけた。
そして、その中で、テレアポに協力してくれる人を見つけた。
そして彼は、彼らに少々、自腹で金を渡し、毎日テレアポをかけさせた。
自分はアポを取れたところに、営業に行く。
優秀な先輩のやり方を真似たのだ。
そして彼は見事に、圧倒的な成果を出し、トップを勝ち取った。
人を使う力と、機転が認められたのだ。
他の新人たちは、文句を言った。
「自分の力ではない。おかしいのではないか」と。
しかし、上層部は彼らに言った。
「そんなルールはない」と。
ただし翌年から、新人に負担がかからないように「自腹」は禁止になった。
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ゲームと仕事は、大きく違う。
ゲームとは「ルール」があり、その枠の中で勝ち負けや、条件の達成を目指す行為だ。
ルールを変えることはできないし、ルール通りやらなければゲームそのものが成立しない。
それに対して、仕事には事実上、ルールがない。
いや、ないというと言いすぎか。
正確に言えば、ルールはあるのだが、事実上、ルールの再設定が認められている。
米国のコングロマリットの総帥である、ハロルド・ジェニーンは
「仕事のルールには従う必要があるが、ルールに従って考える必要はない」と言った。
実際、現場では仕事のルールというのは、その場の権力者によって付け替えが自由だし、上手くやれば「ルールを決める側」にもなれる。
これがゲームとの大きな違いだ。
実際、スポーツにおいても「卓越した選手と戦略」が、ルールそのものを変えてしまうことがある。
米国のプロバスケットボールなどは良い事例で、圧倒的な選手が出るたびに、ルールが変更されている。
例えば、かつて、「3ポイントシュート」は主流ではなかったが、ステファン・カリーらの活躍によって、3ポイントのラインの位置まで変わってしまった。
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仕事は「ルールに従うヤツ」ではなく「考えたやつ」が成功する。
むしろ「ゲーム」と似ているのは、仕事ではなく「学校」だ。
ルールがあり、正解が用意されている世界。
ルールを変えてはいけない世界。
「ルールの中で、いかに効率よくやるか」
が求められれる静的平衡の世界だ。
そこは単純で、直線的な思考しか要求されない。
頭の良さというより、要領の良さが重要になる。
そういう意味で「学校」に最適化されてしまった人。ルールにならされてる人。効率よくルールをなぞろうとする人、「効率のいいやり方を教えてくれ」というような人たちは、仕事のそういう「複雑さ」に耐えられない。
「機転が利かないよね」
「学歴はいいみたいだけど、仕事は微妙だよね」
「主体性がないよね」
と言われる人の、出来上がりだ。
本質的には、ビジネスは、ほかがやらないこと、正解がないことをリスクを取ってやるものだ。
真の「能力」というのは、そういう時にあらわになる。
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【著者プロフィール】
安達裕哉
生成AI活用支援のワークワンダースCEO(https://workwonders.jp)|元Deloitteのコンサルタント|オウンドメディア支援のティネクト代表(http://tinect.jp)|著書「頭のいい人が話す前に考えていること」88万部(https://amzn.to/49Tivyi)|
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