マティスが切り紙絵で手に入れたもの。癌からたどり着いた自由な創作
色彩の魔術師 ─ そう称されたアンリ・マティスは、晩年において筆を手放し、代わりにハサミを握った。その行為は、闘病生活の物理的な制約のなかで生まれた、最後の、そしてもっとも自由な創造だった。 老いと病に直面した彼が「切り紙絵(gouaches découpées)」という新たな手法を確立し、そこに人生の最後の情熱を注いだことは、芸術史におけるひとつの奇跡と言っても過言ではない。
アンリ・マティスの作品
マティスは、色紙を切って構成するというこの新しい表現のなかで、かつて成しえなかった自由、精神の解放、そして“生”の再発見を手に入れたのだ。
この記事では、彼の人生の文脈とともに、なぜ切り紙絵が芸術家マティスにとって最終的な到達点となったのかを探っていく。
若きマティスと色彩との出会い
1869年に北フランスに生まれたマティスは、法律家を目指す平凡な青年だった。病床で絵筆を取ったことがきっかけで画家を志し、30歳を過ぎてようやく注目されるようになる。
彼の初期作品には、当時の印象派やポスト印象派の影響が色濃く見られるが、すぐに彼は色彩そのものを解放する方向へと進む。1905年、パリのサロン・ドートンヌで発表した《帽子の女性》は、鮮やかな色彩を大胆に使ったその表現によって観衆の物議をかもし、展示室は「野獣の檻」と揶揄された。これがきっかけで、マティスとその仲間たちは「フォーヴ(野獣)」と呼ばれるようになった。
Woman with a Hat (Femme au chapeau)
しかしマティスにとって、色彩は単なる装飾ではなかった。それは感情や内的な秩序を伝える“構成の力”そのものであり、彼は常に「色は私の言葉だ」と語っていた。
その後、マティスは幾度となくスタイルを変えながらも、色と形の関係を追い続けた。南仏の光の中で色彩はますます鮮やかさを増し、作品は次第に平面的で装飾的なものになっていく。
創作を断たれる危機 ─ 十二指腸癌の手術
そんなマティスが、72歳で十二指腸癌の手術を受ける。1941年のことである。手術は成功したが、長期の闘病生活を余儀なくされ、立つこともままならなくなった。
絵を描くという行為は、絵筆だけでなく、視点を移動させ、距離を取って見るという肉体的な動作を伴う。そうしたことが一切できなくなったマティスにとって、これはまさに“創作の終焉”を意味していた。
アンリ・マティスのポートレート 1951年
だが、彼は違った。
自らの老いと向き合うなかで、マティスはかつての表現を捨て、まったく新しい手法にたどり着く。ハサミを使って色紙を切り取り、それらを組み合わせて画面を構成するという、非常に原始的な技法──「切り紙絵」である。
“ハサミで描く”という革命 ─ drawing with scissors
マティスの切り紙絵は、単なるコラージュとは異なる。あらかじめガッシュで彩色した紙を、ハサミで切り、助手がそれを壁やキャンバスに仮固定していく。マティスはその配置を指示し、必要があれば何度も貼り直し、最終的な構成が決まるまで繰り返す。
彼はこの制作方法を「drawing with scissors(ハサミで描く)」と表現した。色を塗ってから切るのではなく、最初から色が塗られた紙を切ることで、“色そのもの”が形になり、画面に直接的な印象を与える。
この制作方法にはスピードと即興性があり、同時に構成力と視覚的なバランス感覚も求められる。マティスのこれまでの経験すべてがこの手法に集約されたとも言える。
彼はこう語っている。
「私は病の中で、以前よりも生き生きと創作している。私はいま、色彩の中で呼吸している。」
《ジャズ》と《イカロス》─ 色彩の即興詩
1947年に発表された《ジャズ》は、マティスの切り紙絵を代表する作品であり、最初の本格的な連作でもある。
《ジャズ》は20点からなる作品集で、サーカス、ダンス、神話などがテーマとなっている。色彩は強烈で、形はシンプル。しかしそこには、緻密な構成と、即興的なリズムが共存している。
アンリ・マティスの作品
とくに有名なのが《イカロス》である。黒く切り抜かれた人物像が星に囲まれて青い空に浮かぶこの作品は、マティス自身の生の象徴ともいえる。
彼は病と老いに苦しみながらも、創造することによってなお“飛ぶ”ことができた。それは、神話に登場するイカロスとは違い、決して堕ちない飛翔だった。
マティスが切り紙絵で手に入れたもの
マティスの切り紙絵は、次第により洗練され、より抽象度を増していく。
なかでも《ブルー・ヌード》シリーズ(1952年)は、彼の表現の到達点のひとつとされている。濃いコバルトブルーで構成された女性像は、線も陰影も持たない。ただ色面と空白だけで形が表現されている。
アンリ・マティス《青いヌード III》1952年
女性の身体という、古今東西の画家たちが挑んできた主題を、マティスはついに色だけで描ききってしまった。官能的でありながらも、どこか宗教画のような神聖さすら漂わせるこのシリーズは、切り紙絵が単なる装飾芸術ではなく、精神的な深みを持つことを証明している。
色彩で空間を満たす ─ ロザリオ礼拝堂
切り紙絵によって色彩と形を“空間”として構成する感性を得たマティスは、建築家イヴ・ナヴァールと協働し、南仏ヴァンスに「ロザリオ礼拝堂(Chapelle du Rosaire)」を完成させた。
建物自体の設計は建築家に委ねられたが、ステンドグラス、陶板画、祭服、聖具など、空間を彩るすべての装飾要素はマティス自身の手によるものである。
ロザリオ礼拝堂(ヴァンス)
この礼拝堂のステンドグラスから差し込む光は、昼の時間とともに空間を染め変え、色のリズムで満たしていく。壁の線画や黒の陶板も、すべてが切り紙絵の美学を基礎として設計されている。
ステンドグラスの再現。ヴァチカン美術館の近代・現代美術コレクション、14号室「マティス」
マティスはこの礼拝堂を「私の人生で最も重要な仕事」と語っている。
ミッフィーにも通じる ─ 色とかたちが残した種
切り紙絵に込められた、色彩と形の純粋な構成力は、美術の枠を超えて視覚表現の分野にまで広く影響を与えた。
たとえば、絵本『ミッフィー』で知られるオランダのグラフィック・デザイナー、ディック・ブルーナも、マティスの作品に深い感銘を受けたひとりである。彼のシンプルな輪郭と鮮やかな色彩には、マティスの“色面の言語”がづいている。
ディック・ブルーナ。ミッフィーの世界より
また、教育や医療の現場でも、マティスの切り紙絵は“創作の喜び”を伝えるツールとして用いられている。紙を切るという行為のシンプルさと即興性は、誰もが“自分なりの表現”に向かうきっかけとなる。
マティスが切り紙絵で手に入れたもの
アンリ・マティスは、老いや病という避けがたい現実と向き合いながら、そこで創作の喜びを失わなかった。
むしろ彼は、それによってかえって自由になった。「色彩が私を解放してくれた」と彼は語った。
アンリ・マティス《ラ・ネグレス》1952-1953年
切り紙絵とは、筆ではなく、ハサミという最も直接的な道具を通して描かれた“色の詩”であり、“形のダンス”である。そこに描かれているのは、病に倒れた老人の残照などではない。むしろ、人生をすべて肯定し、最後まで“創造すること”を選び抜いた芸術家の、生の輝きなのだ。
マティスが切り紙絵で手に入れたもの──
それは、肉体の限界の先に咲いた、無限の自由。
色彩によって呼吸し、形によって祈り、芸術によって再び“生きた”彼の証である。
参考文献
・Centre Pompidou – Focus on Blue Nude II by Henri Matisse
https://www.centrepompidou.fr/en/pompidou-plus/magazine/article/focus-on-blue-nude-ii-nu-bleu-ii-by-henri-matisse
・Tate Modern – Henri Matisse: The Cut-Outs
https://www.tate.org.uk/whats-on/tate-modern/henri-matisse-cut-outs
・MoMA – Henri Matisse: The Cut-Outs
https://www.moma.org/calendar/exhibitions/1429
・Top Paintings, Drawings, and Cut-Outs From Henri Matisse – The Colour of Ideas at the Museum of Fine Arts, Budapest
https://magazine.artland.com/henri-matisse-paintings/
・Wikipedia – Blue Nudes (Matisse)
https://en.wikipedia.org/wiki/Blue_Nudes
・Wikipedia – Henri Matisse
https://en.wikipedia.org/wiki/Henri_Matisse
・How Matisse & Mondrian Inspired Dick Bruna – Miffy Shop
https://miffyshop.co.uk/blogs/news/how-matisse-mondrian-inspired-dick-bruna