バレーボール・東レアローズ静岡、元日本代表 米山裕太が引退へ「その日にできるベストを尽くす」 ブレない姿勢貫いた19年
バレーボールSVリーグ・東レアローズ静岡の〝顔〟として19シーズン、チームを引っ張ったアウトサイドヒッター米山裕太選手(40)が今季限りで競技生活を退く。内定選手だった2006―07シーズンからスタートし、当時の矢島久徳監督(現東レアローズ株式会社取締役)に始まり5人の指揮官のもとでプレー。2度のリーグ優勝に貢献し、日本代表にも選出された。その間、日本のバレーボール界は劇的な進化を遂げた。日本代表は五輪でメダルを狙えるほどに強化が進み、昨秋には世界最高峰を目指してSVリーグが発足。185センチとバレーボール選手としては小柄な米山選手が第一線で戦い続けることができた理由は何だったのだろうか。
目の前の1本にベストを尽くす
4月6日、草薙このはなアリーナで行われた今季地元最終戦にスタメン出場した米山選手。チーム最初の得点をスパイクで決めると、会場から歓声と拍手が巻き起こった。阿部裕太監督が「コースを狙って考え過ぎることなく、思い切り振り抜いた姿を見てすがすがしい気持ちになった」と感情を高ぶらせた一方で、米山選手は「あの1本に特別な感慨はなかったですし、勝つことだけを考えていました」とあっさり。常に目の前の1試合、1本にベストを尽くす―。その姿勢が長年に渡る現役生活を支えてきた。
「30代後半になったころから、いつ終わっても後悔がないように、バレーボールをとことんやりたいという気持ちでここまで来た」
コンディション保ち続ける難しさ
今季は守備力のある藤中優斗選手らの加入で出場機会が少なくなっていた。「毎年(加齢とともに)コンディションを保ち続ける難しさがあり、でもそこが楽しさでもあった。トレーニングや食事などでこうやったら調子が上がる、というのを見つけるところに楽しさがあった。でも今シーズンはそれがなくなってきていた」。年明けに内定選手の楠本岳選手がスタメン入りすると、さらに出番は減った。「めちゃくちゃ悔しいかといったら、そこは少し薄れている自分がいた」。ポジションを奪い返すという気持ちがなくなりつつあることに気付き、「そろそろかな」と引き際を考えた。
切磋琢磨した同期、富松の存在
185センチの身長はバレーボール選手としては小柄。だが卓越した技術力と持ち前の身体能力、探究心、負けん気の強さで日本バレーボール界に確固たる地位を築いた。東レ同期入団で世代屈指のミドルブロッカー富松崇彰さん(現チームスタッフ)の存在が大きかったと言う。「中学生のころから僕らの世代のトップで、常に日本一になっていた存在。すごいなと思いながら、自分もあの舞台(日本代表)でやりたいと駆り立ててくれる存在だった。ポジションが違ったこともあり、互いに高め合ってやってこられた」
「エリートじゃなかった」
選手としても一緒にプレーした篠田歩前監督(現シニアマネジャー)は米山選手の入団当時をこう振り返る。「入ってきた時からスーパーだった富松に対して米山はエリートじゃなかった。むしろトップで通用するのかなという感じだった」。ただ、周囲の助言を素直に受け入れ、吸収していく姿勢が印象に残ったという。「真面目にコツコツ、一歩ずつ積み重ねた努力の結果でしょうね」とうなずく。監督として見た米山選手は「安定感があり、負けちゃいけない試合では米山という選択だった。チームとして7人の選手を入れて7人以上のパワーが出せる時と7人以下になってしまう時がある。大事なのは選手の組み合わせであり相性。米山は組み合わせに関係なく、誰とも相性良く使えた」という。
歴代代表の上位3人に入る身体能力
元監督の小林敦GMも「トップリーグで活躍するには物足りない身長だった」とさほど期待値が高くなかったことを覚えている。ただ、身体能力の高さは抜群だったという。「富松の陰に隠れていたが、体の強さ、スピード、パワーといった身体能力はすごかった」。最近、日本代表のトレーニングに長く携わってきた関係者から、過去20年ほどの日本代表の体力測定の結果で、米山選手が上位3人に入ると伝えられ、納得したと言う。
いい時も、悪い時もブレずに実行
「その日にできるベストを尽くす」が米山選手の信条。いい時も、悪い時もブレずにそれを実行してきた。調子が悪くて70%ほどの力しか出せないとしても、その70%を出し切ることでその日のベストを尽くしてきた。ベテランの域に入ると、1時間前には体育館に着き、その日の練習のための準備を整え、練習後もストレッチや治療を入念に行い、翌日に備えた。「常に何かを求めたり、探したりしながらここまできた。満足してしまったら、もっと早く終わっていたかも知れない」
どん底から3度目のリーグ優勝へ
どん底も味わった。2014―15シーズンは、部員の不祥事を受けて天皇杯を途中で出場辞退し、リーグ戦は入れ替え戦に回った。当時主将だった米山選手は責任を感じ、心身ともに不調に陥った。だが2017年にはそこからはい上がり、3度目のリーグ優勝を成し遂げた。当時32歳。2023年に闘病の末、亡くなったセッター藤井直伸さんらが台頭し、チームは代替わりの途上にあった。「若手に優勝を経験させたい」と、持てる力を発揮した。
ラスト2試合もベストを尽くす
SVリーグ開幕年の今季、結果が伴わずに苦しんでいる後輩たちを見てきた。「おとなしい選手が多く、点を取られだすと元気がなくなる。練習での姿、ポテンシャルを見ていると、もっとできるのではと思う。悲観的になる必要はないし、駄目だと思い続けることは健全じゃない。目の前のやるべきことに一つ一つ取り組んでいくしかない。勝ちながら自信はついていく」。シーズン残り2試合。相手はリーグ首位の大阪ブルテオン。米山選手は「最高の準備をして、今季ベストの試合をする」とチーム浮上のきっかけをつくるため、最後まで目の前の試合に集中する。
(編集局ニュースセンター・結城啓子)
【取材こぼれ話】
米山選手の背番号「5」は、笠原紀久さんから受け継いだ番号です。「次に引き継ぎたい選手はいますか?」と尋ねると、静岡県(函南町)出身で東レアローズジュニア時代から米山選手に憧れてきた山田大貴選手の名前が挙がりました。「山田は自分とタイプが違って攻撃力の高い選手だけれど、(自分のように)20年くらいプレーしたいと言っていた。受け継いでくれたら」と話していました。自身の将来の目標は「SVリーグの監督として優勝すること」だそうです。楽しみです