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殿堂入りも果たした世界的ロックトリオ「ラッシュ」なぜ日本では過小評価されたままなのか

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2025年03月28日 ラッシュのアンソロジーボックスセット「ラッシュ50」発売日

栄光のキャリアを凝縮した決定盤「ラッシュ50」


ラッシュのデビューから半世紀余り、フェアウェルツアーとなった『​​R40ツアー』から10年、そしてニール・パートが亡くなってから5年。まさに節目といえるタイミングに、CD4枚組のアンソロジーボックスセット『ラッシュ50』がリリースされた。

収録音源はデビューシングルから最終公演のラスト曲のライブまで、タイトルに刻まれた “50" 通りに厳選された “全50曲”。定番曲に加え貴重な未発表ライブや初の公式CD化楽曲もセレクトされている。豪華ボックスに100ページ超のブックレットなどファン垂涎の決定盤的な内容で、栄光のキャリアを総括するに相応しいアンソロジーといえよう。ここでは『ラッシュ50』リリースにちなんで、音源を中心とした足跡を振り返ってみたい。

ニール・パート加入で最強のトライアングルが完成


カナダ・トロントでのラッシュの始まりは1968年、アレックス・ライフソン(G)、ジョン・ラトジー(Dr)らが結成した前身バンドに遡る。メンバーチェンジを経て程なくしてゲディ・リー(Vo、B)が加入。結成5年後の1973年に自主のムーンレコードからデビューシングル「ノット・フェイド・アウェイ / ユー・キャント・ファイト・イット」をリリース。この幻の2曲は『ラッシュ50』の目玉として収録されている。

翌年にはストレートなハードロックのデビューアルバム『閃光のラッシュ』(Rush)をリリース。ラジオで注目を集めた結果、マーキュリーとの契約を得た。1974年にはジョンが脱退し、新ドラマーとしてニール・パートが加入。以降、不動にして最強のトリオが固まった。

手数の多い複雑なドラミングと、文学に精通し大半の作詞も担うニールの加入は、ラッシュに革命をもたらす。1975年の『夜間飛行』(Fly by Night)には初の組曲を収録、短いスパンで同年リリースの『鋼の抱擁』(Caress of Steel)では、プログレッシブロック風の大作要素を強めた。

音楽的な進化に比してセールスでは振るわなかったものの、ひるまずに実験を重ね、1976年の『西暦2112年』(2112)ではシンセサイザーを導入し、LPのA面全てを使った大組曲「2112」を完成させた。アルバムは高評価でセールス面も成功を収め、バンドの方向性を確立。同年、初の2枚組ライブ盤『ラッシュ・ライブ 世界を翔けるロック』(All The World's A Stage)をリリースする。

プログレ路線での音楽的な深化は続き、1977年の『フェアウェル・トゥ・キングス』、その続編的な翌年リリースの『神々の戦い』(Hemispheres)では、いっそう技巧的な演奏と壮大なコンセプトを展開。一方でコンパクトかつキャッチーな名曲「クローサー・トゥ・ザ・ハート」を生み出すなど、曲調の幅も広げた。

大胆なサウンドの変革!1980年代を駆け抜けた黄金期


1980年代を迎えてすぐにリリースされた『永遠の波』(Permanent Waves)では、ラジオを意識して曲の尺も短くなり「ザ・スピリット・オブ・レイディオ」がシングルヒット。さらに翌1981年には「トム・ソーヤ」を始め、人気曲を多く収録した代表作『ムービング・ピクチャーズ』をリリース。遂に全米3位、カナダ1位の大ヒットを記録した。同年には『ラッシュ・ライヴ〜神話大全』(Exit…Stage Left)で黄金期を総括した。

煌びやかな​​エイティーズの音楽シーンに呼応するように、1982年の『シグナルズ』では、シンセを大胆かつ全面にフィーチャー。唯一の来日記念盤となった1984年の『グレイス・アンダー・プレッシャー』では、プロデューサーを盟友テリー・ブラウンからピーター・ヘンダーソンに交代して新機軸を展開した。翌年の『パワー・ウィンドウズ』、さらに1987年『ホールド・ユア・ファイアー』では、当時最先端の電子ドラムや打ち込みエフェクトを駆使し、トリオ編成の枠を超えた新境地のサウンドを追求するなど、時代を捉えた音楽性で新たなファン層を獲得。1988年には『ラッシュ・ライヴ〜新約・神話大全』(A Show Of Hands)をリリースした。

時代の変化を予見したトリオロックサウンドに回帰


アトランティックへ移籍後、1989年にリリースされた『プレスト』では、1990年代のグランジブーム到来を予見したように、ギター主体のオーガニックでハードなロック路線に回帰。1991年の『ロール・ザ・ボーンズ』ではシンプルさを追求し、1993年の『カウンターパーツ』、1996年の『テスト・フォー・エコー』ではヘヴィなロック色を強化していった。順調にキャリアを重ねたラッシュだが、1997年にニールが家族の不幸に相次いで見舞われ活動を休止。1999年に『ディファレント・ステージズ・ライヴ』(Different Stages)を発表したものの、暫し沈黙を守った。

新世紀に入った2001年に、ニールが苦境を乗り越え活動を再開。2002年の『ヴェイパー・トレイルズ』では、シンセを排した原点回帰のハードなロックを轟かせた。2004年にはルーツを示すカバー集『フィードバック』を発表し、『R30ツアー』を敢行。2007年の意欲作『スネークス・アンド・アローズ』でも人気と健在ぶりを証明した。2012年には19枚目にして最後のスタジオコンセプト作『クロックワーク・エンジェルズ』をリリース。全米2位、カナダ1位を達成した。

そして、2015年の『R40ツアー』を最後にツアー活動終了を宣言。2020年1月7日、ニールが脳腫瘍のため逝去。ゲディが2021年のインタビューで “ラッシュが終わった” ことを認め、50年以上に渡る栄光の歴史が幕を閉じたのだった。

日本のロックファンから遠い存在だったのはなぜ?


ラッシュは全米で2,500万枚以上、全世界で約4,500万枚ものセールスを記録。2013年にはロックの殿堂入りも果たした。名実ともに世界最高峰のロックトリオにもかかわらず、日本でのセールスは決して芳しくなく、人気や認知度とも低いままだったのはなぜだろう。

ラッシュは初期のハードロック路線からプログレへと進化し、1980年代にはニューウェイヴの影響や、ポリスやU2などにも通ずるスタイルを披露。さらにはエレクトロなアレンジやレゲエの導入、90年代以降はヘヴィでオルタナティブな要素と、時代の中で柔軟に変化する音楽性を身にまとった。

根底にあるラッシュとしての強固なアイデンティティは、いささかも揺るがなかったが、カテゴライズしがちな日本のロックファンにとっては、何ものにも縛られずに変わりゆくラッシュ特有の音楽性やスタンスが、バンドの本質を見えづらくしたのかもしれない。変拍子を多用したテクニカルな演奏や難解な歌詞、ややもすればヒステリックに聴こえるゲディのハイトーンボイスなどに対し、とっつきにくい印象を抱いたロックファンも少なからずいただろう。また、ラッシュがカナダのバンドだったという点も見逃せないポイントだ。1970年代、1980年代当時の洋楽ロックでは英米勢がもてはやされ、上に見られがちだった点も否定できないところだ。

たった1度しか実現しなかった来日公演


何より究極のライブを体験できる機会が、あまりに少なすぎたのが大きな要因だ。ラッシュの来日は1984年の1度、日本武道館を含む4公演のみだった。海外ではアルバムごとに相当数のツアーが行われ、ライブパフォーマンスの凄さがメディアのみならず口コミでも伝聞され、人気の礎を形作ったのは想像に難くない。

筆者は福岡での公演を観たが、ラッシュが海外でなぜあれほど受けるのか、その理由をはっきり理解できたし、いっそうのめり込むきっかけとなった。後方スクリーンに映像を流してのシンクロ演奏やニールの360度ドラムセットなど、当時は斬新そのもので、40年以上も経過した今でも脳裏に焼き付いている。再来日が何度か実現していたなら、日本での状況も違ったのではないか。

海外ではすでにビッグネームでステージ規模も桁違いに大きく、来日公演がビジネスとして成立しなかったのは想像できる。ライブが実現しないから人気も広がらない、そんな悪循環に陥ってラッシュの再来日は夢物語となってしまった。

今こそ触れてほしい!叡智が生み出した結晶の入口


30周年、40周年の節目と異なり、デビューから約50年の今回は、残念ながらすでにラッシュは存在しない。それでも『ラッシュ50』は、深遠に広がる彼らの音世界を知る絶好の糸口になるはず。

今回リリースされるCDボックスは限定盤だが、配信や各種音楽ストリーミングサービスでも音源にアクセス可能だ。難しい理屈は抜きで全50曲、順を追って聴いてみてほしい。ラッシュが長年かけて成し得た “進化と深化” の過程がそこから見えてくるに違いない。1曲でも何か感じるものがあれば、それぞれのアルバムを辿るのも良いだろう。

比類なきミュージシャンシップが生み出す叡智の結晶といえる楽曲の数々と、他の追随を許さぬ究極のライブパフォーマンス。世界的に評価された偉大なるロックトリオが、残された音源や映像から “永遠の波" として伝承され続けることを願いたい。

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