ポストコロナ世代を代表するイラストレーター・佐藤 薫のルーツとその世界。
ビジュアルで魅了する各界のクリエイターに迫る連載企画。今回は雑誌やミュージシャンとのクライアントワークなど様々なメディアで活躍し、ポストコロナ世代を代表するイラストレーターとなった佐藤薫さんが登場。先日、東京と愛知で開催されたソロエキシビション『SUNDANCE』での作品を中心に日本のマンガやアメリカントイに影響を受けた自身のルーツから今後の展望までを語る。
「単に明るいだけではなく、“怖さ”や“不気味さ”も同時に描く」
本誌2023年3月号『古着の未来予想図』のカバーアートをはじめ、本誌ともつながりの深いイラストレーター、佐藤薫さん。先日開催された彼のソロエキシビション『SUNDANCE』を訪ねながら、これまでのこと、そしてこれからを訊いた。
── 身のまわりにあるものに、お父さんから受け継いだ道具類を挙げてくれましたが、お父さんも芸術家だったのでしょうか?
普通のサラリーマンでしたが、手先が器用な方だったとは思います。休日は納屋に籠もって竹細工をし、僕が小さな頃はトンボやカマキリを作ってくれたり。このメタル定規やカッターは父がその時に使っていたものです。
── 佐藤さんご自身は美大卒とのことですが、イラストを専攻していたのですか?
いえ、大学では工芸学科で陶芸を専攻していました。陶芸家を目指していた時期も当然ありましたが、両親にこれ以上の負担をかけられないと思い、デザイナー志望で就職活動をはじめ、割と早めに制作会社に内定をもらっていました。でも、卒業制作を続けるうち『やっぱり手を動かして、ものづくりをしたい』という思いが日に日に強くなり、不躾ながら内定を辞退させていただき、大学院に進もうと進路変更したのです。
── それはイラストで?
いえ、陶芸です。でも、残念ながら受験には落ちてしまい、結局は再度就活し直して別のデザイン事務所に内定をいただきました。その会社は電車内の広告動画などを制作するところだったのですが、業務を続けながらもずっと言い表せない違和感みたいなものを感じていて、数カ月に一度のミーティングの際、自分が描いたキャラクターをどうにか仕事に繋げられないか相談したところ、そういった思いや情熱は理解してもらったものの、会社の方向性とは異なると、独立することを勧められました。
── それでイラストレーターとして歩みはじめたのですか?
陶芸を専攻していたものの、学生時代の課題だった100枚ドローイングがとても楽しく、それ以来、時間を見つけてはイラストを描くようになっていました。会社に務めながらも描くことは続けていて、インスタグラムに1日1投稿するよう自分にノルマを課していて。フォロワーが増えるにつれて、徐々にイラストに対する思いが強くなり、やりたいことや将来的なビジョンが明確になったため、会社を辞め、フリーランスの名刺とポートフォリオを作り、ひたすら売り込みに行きました。
── 出版社などに作品を持ち込む昔ながらの売り込みですか?
はい。今となってはレジェンド級の漫画家さんたちも、ブレイク前には出版社に自ら原稿を持ち込んでいたと以前読んだマンガから刷り込まれていたのか、他の方法を考えることもなく、出版社やパルコなど複合商業施設を含め、100件以上電話をかけ、部署をたらい回しされながらも何件かアポイントまで漕ぎ着けたという感じです。
── 雑誌含め出版メディアに何か特別な思いがあったのですか?
もともとファッション雑誌が好きでいろいろ買ってはいたのですが、ある時まではそこに使われている挿絵やイラストに対して、じつは何の感情も持ち合わせていませんでした。でも、自分が描くようになると急に目に留まるようになり、そこに記されているクレジットを意識するようになっていき、次第に雑誌にクレジット掲載されることが、最初の目標みたいになっていきました。
── 親御さんや友人たちの反応はいかがでしたか?
親にはまだ会社員を辞めたことを伝えられていませんでしたね(笑)、友人の反応も正直なところ良好とは言えませんでした。背中を押してもらえると思い相談したところ、猛反対されたり、突き放されたりもしました。そんな折、コロナ禍も重なり、自分が目標に据えた雑誌にクレジットが載るまで親類含め誰にも会わないと決め、取り柄は家賃の安さと広さだけというボロアパートに引っ越し、毎日ひたすら描き続け、インスタグラムにアップする日々を過ごしました。ようやくコロナが落ち着いた頃、また売り込みを再開し、徐々にプロのイラストレーターとしてお仕事をいただけるようになっていったのです。
── かつては陶芸を専攻していたワケですが、イラストを生業にするにあたり、影響を受けたコンテンツなどはありますか?
一番影響を受けたのは漫画家の鳥山明さんです。以前、週刊少年ジャンプで活躍する漫画家さんが自身の創作術を紐解く『ジャンプ流』という別冊があったのですが、それに付録として付いてきた鳥山先生のサインをiPadケースに挟んで、今も肌身離さず持っていますし、彼の描くクリーチャーなどを子どもの頃から何度も何度も模写しました。僕にとってはまさに神のような存在です。くわえて映画『トイ・ストーリー』からの影響も大きいと思います。当時録画したVHSを擦り切れるほど観ましたし、僕がアメリカントイに興味を持ったきっかけにして、今の作風にも繋がる極めて重要なコンテンツだと考えています。
── それは世界観などですか?
『トイ・ストーリー』では子どもたちが寝静まった後の世界、おもちゃたちの争いや冒険が描かれていて、今回の個展はもちろん、僕が描くキャラクターたちも、単に明るくポップなだけではない、秘めたる不気味さや影のような側面を意識しています。子どもの頃には純粋な気持ちで観ていましたが、実際に寝静まった夜中に動き出すおもちゃなんて大人からすれば怖いじゃないですか。なので、あの頃だけでなく、大人になってからの視点も踏まえた世界観を意識しています。この個展が終わったら各キャラクターごとの設定や役回りをもっと掘り下げていくつもりでいます。
── ご自身のキャリアにおいて最もブレイクスルーとなったクライアントワークとは?
当初の目標だった雑誌に掲載されたのはもちろんながら、大阪から上京して初めてライブに行ったバンドでもあるnever young beach(以下ネバヤン)のアルバムジャケットを手掛けたことは、やっぱり何よりの自信に繋がったと思いますね。
── どういった経緯で?
ネバヤンの関係者さんとたまたまお会いする機会があり、自分がプロを目指してイラストを描いているとお伝えしたのを、その方が覚えてくれていて、数年後に連絡をいただき、5枚目のアルバムのアートワーク全般を任せてもらえることになりました。こんな偶然と幸運が重なることなんて、もう一生ないと言い切れるほど、僕にとっては本当にかけがいのない出会いだったと思います。
── アート以外ではどんなことにインスピレーションを受けていますか?
ファッションや音楽はもちろん、3歳までオーストラリアに住んでいたので、両親が買ってくれた海外の雑貨やおもちゃには親近感がありますし、ふと立ち寄ったアンティークショップなどで海外のレトロな雑貨やおもちゃを見つけると、つい手に取ってしまいます。そういったものからの影響も当然あるとは思いますね。
「好きなことをしている作家は、必ず丁寧な仕事をしている」
── 長年におよぶ陶芸の経験が、イラストに生きている部分って何かありますか?
ゆくゆくは陶芸とイラストを繋ぐ立体作品も作りたいと考えていますし、100%とは言えないものの、ものづくりをする際には何となく立体への起こしやすさを意識していると思います。とはいえ、陶芸はイラストのように自分の小さな部屋だけではできませんし、環境を整えるまでの時間も必要です。そのタイミングが来年になるのか、10年後になるのかはまだわかりませんが陶芸も必ずやるつもりでいますね。
── 他の作家さんの作品を見る際、あるいは作家として心がけていることは?
『バムとケロ』という絵本を描いている島田ゆかさんという作家さんの姿勢や向き合い方を参考にしています。もちろん、直接、島田さんにお会いしたこともないですし、これはあくまで僕個人の見解でしかないのですが、彼女の丁寧さから好きさが見えてくるんですね。本当に好きなことを描いている作家さんは、皆必ず丁寧な仕事をしている。僕もそういった丁寧さを心がけるべきだと考えますし、この先も描くことをずっと好きでいたいとは思いますね。
── この先の目標とは?
30歳を機にグローバルブランドとコラボレーションできたら嬉しいですね。特に学生時代からずっと憧れのブランドでもあるアディダスとコラボできたらイイなと。また、ゆくゆくは海外での活動なども視野に入れています。