親の「よかれと思って」は迷惑?子どもを非行に走らせる親の行動【出口保行×竹内由恵 前編】
1万人の非行少年・犯罪者の心理分析を行ってきた犯罪心理学者の出口保行さんに、誰もが陥る可能性のある「子育ての落とし穴」についてお話を伺いました。聞き手は、2児の母でタレントの竹内由恵さん。前編は、4つに分類される「危ない子育て」の解説から。
親の「よかれと思って」が子どもの非行を招くことも
竹内:出口さんは1万人の非行少年・犯罪者の心理分析をされてきたということですが、親の育て方や家庭環境は、子どもの犯罪に結びつく部分があるのでしょうか?
出口:親がどう子どもにかかわったかというのは、非常に大きな影響を与えます。当然のことですよね。これまで1万人を超える犯罪者を分析してきたなかで、保護者がまったく関係なかったなんてことはまずありません。最も身近な人間である親の影響を受けてきたことが、いまの問題行動にどうつながっているのか。それをどうやって分析することができるのか。これが私たちの仕事です。家庭環境や親の養育態度は非常に重要なポイントになりますね。
竹内:一見すると「普通の家庭」で育って非行に走る子どももいますか?
出口:おっしゃる通りで、一見何の問題もないように見える家庭はいくらでもあります。少年鑑別所での心理分析には、親御さんも必ず来ます。本人だけではなく親御さんにも面接をしますが、親御さんが社会的な尺度では立派な人、素晴らしい子育ての感覚を持ってる人に見えることも多い。ところが、ここがもっとも大事なポイントですが、親がよかれと思ってやっていることが、本当に子どもにとってよかれになっているのか。子どもにとってみたらそれがいい迷惑だったりする。そうやって少しずつボタンがかけ違ってきたとき、非行に繋がってしまうことはあります。
竹内:非行に走った子どもや犯罪者たちの心理分析をする中で、危ない子育てには4つのタイプがあるとおっしゃっていますね。それぞれ解説をお願いできますか?
出口:基本的に縦軸になるのが、子どもを支配する、あるいは、子どもに服従してしまうという部分です。横軸は、子どもは嫌だと拒否をするのか、あるいは保護していくのかという部分です。この2つのベクトルの中で、どの象限に入るのかによって、子育てのタイプが変わってきます。
支配的で保護的であると、過保護型タイプです。親がとにかく何でも先回りをしながら子どもを助けてしまう。助けるために子どもを監視をする。あるいは、親が子どもの代わりにやってしまう。こういうのは過保護型と言われています。
その下は、甘やかし型です。過保護型と甘やかし方は似ていますが、過保護型の方は親が子どもを支配する一方、甘やかし側の方は子どもが親を支配しています。たとえば、いろいろなものを買ってあげたり、子どもの要求にどんどん応えてしまうところが一つのポイントになります。
反対側にあるのが、支配的で拒否的なのは、高圧型です。「〇〇しなさい」「〇〇してはいけない」、または「私はこう思っているんだから、あなたはそれに従いなさい」と親が命令をしていく。これを高圧型と言います。
最後に残るのが無関心型。子どもの養育への興味がそもそもないんですね。一応ご飯も食べさせてあげているんだから文句ないでしょう、あなたは好きにやりなさいよ、と。親は親、子は子で、基本的な生活はちゃんと保障してあげるからあとは自由に、というようなタイプです。
過保護、甘やかし、高圧、無関心という4つのタイプの中のどこに当てはまっていくのかと考えながら、自分の子育てを振り返っていくことがすごく重要です。
竹内:どれもグサッと来る説明なので、認めたくない気持ちになる保護者の方も多いのでは、と思いました。これは必ずどこかに当てはまるということでしょうか?
出口:そうですね。必ずどこかに必ず当てはまるし、時によってはいくつかに当てはまることもあると思います。竹内さんはお二人のお子さんを育てていると聞いていますが、この4タイプの中だとどれに当てはまりそうですか?
竹内:圧倒的に過保護ですね。それ以外にも高圧型と甘やかし型が少しずつありました。
いまうちの子は下が0歳、上が3歳なのですが、3歳の子の方が本当にマイペースで……。「靴を履きなさい」と言ってもなかなか履かないし、「片付けしなさい」と言ってもしない。するとしても一苦労なので、私が先回りしてやってしまうのですが、その辺もよくないのかな? ちゃんと時間をとってやるべきなのかな? と思ったりするのですが……。
3歳になってイヤイヤ期に入り、自我が芽生えて反抗することも多くなって、それが激しくなるにつれて、高圧型の対応をしてしまいます。たとえば昨日のご飯の話で、息子のために大好きなハンバーグを作ったのですが、なぜか「食べない」と言うんです。ハンバーグが大好きなので、それ以外のおかずをあまり用意してなかったから、「ほら、頑張ろう」「3口食べたら一緒に遊ぶから」と言いながら、頑張って食べてもらったんですけど、しばらくしてちょっと自分で食べてみたら、めちゃくちゃまずくて……(笑)。
出口:(笑)。
竹内:すごく高圧的に無理やり食べさせてしまったから、その後すごく反省しました。
出口:お子さんの年齢が上がってきて、そうしなければいけないというような、「ねばならない」ことがきちっと増えてくる。かつ、それを子どもがある程度理解できる年齢になってきた時には、やはりそういう言い方をしなければいけない時ってありますよね。子どもの生命を守る行動、たとえばご飯を食べる、危ないことをしない。そう言ったことに関しては言わないといけない。小さいうちはよくても、大きくなって行動力が出てきたときのためにも、教えないと危ないことをしますよね。
それから子どもが道を、歩道を歩いていて車道に出ようとしたら、これは何をやったって止めなきゃいけないし、「なにやってんのあんた!」って言うのが当たり前だし、これはもう高圧的になって当たり前。
お子さんの成長と、それからいま目の前で展開されることの重要さ、それが生命にどうやって関わっていくのか。その辺りを自分の中で按分しながら、どうやって考えることができるのか。それがすごく重要なポイントだろうと思いますね。
親の社会的地位と子どもの非行の関係は?
竹内:4つのタイプのうち、非行少年に多い親はどのタイプでしょうか?
出口:それはないんですね。はっきり言って。どのタイプも行き過ぎれば非行少年にもなるし、行き過ぎていることに親が気付けば子どもは回復します。だからその偏りがそのまんま行ってしまったら、ということですよね。
子どもがいくつになっても育て方を変えないとしたら、それが犯罪につながることはありえます。たとえば、さっきも話した過保護型ですが、最近よく話題になっているのは、去年札幌で起きた事件ですよね。
竹内:札幌すすきの頭部切断事件の犯人が女性で、その方の家庭環境がかなり複雑だったと報道されていました。
出口:あの事件は典型的な例だろうと思っています。こちらの家庭が過保護型だったことは、まず間違いないと思います。娘がある程度の年齢になっても、まだ親が付いて回っていた。そして娘に隷従するようになっていく。そこまで極端な例はそうそうあるわけではないけれども、この過保護型の中で一番難しいのは、ヘリコプターペアレントという親です。こうなってしまうと、なかなか抜けられません。
ヘリコプターペアレントとは何かというと、ヘリコプターは空中でホバリングして止まっていられますよね。親がヘリコプターになってしまうと、子どもの上でいつもホバリングするようになります。上からずっと見ていて、子どもがやばい状況に陥ったとき、すっと降りていって助ける。監視状態に入っていくようなパターンになる。これになっていくと、親は安心なんですよね。
子どもも安心なので、いざという時に助けてくれる。しかし、自分で判断することができなくなってしまいます。子どもは自分でそれが危険なのかどうなのかの判断ができなくなるし、親はいつまでたっても子どもの判断能力を育てないようにしてしまう。自分に依存させるようにしてしまう。
今回の札幌の事件で、子どもがクラブで被害者と思われる男性と親密な様子でいるのですが、それを4~5メートルの距離から父親が見ているんですよ。何をするわけじゃなく、ただ見ている。これはまさにヘリコプターペアレントの典型です。そうなってしまうと、子ども自体に支配されていってしまうようなことになります。
竹内:親御さんもしっかりした経歴の持ち主で、なぜそうなってしまったのか不思議です。
出口:親子関係において、お父さんの仕事や社会的な地位みたいなところはほとんどあまり関係ないんですね。少年鑑別所で勤務していたころ、親御さんにも会ってきましたが、本当にいろんな職業の人がいるし、ありとあらゆる社会的な地位の人がいます。普段どういう人だと非行少年になりやすいという類型は全然ないんですね。だから札幌の事件でもお父さんには社会的な地位があったことが言われていますが、だから大丈夫だ、にはなりません。
育て方を自分たちの中で軌道修正ができなかったことを、親子間、夫婦間で共有する、話し合っていくことも多分ほぼなかったんじゃないかなというふうに思いますよね。
子どもは大人のことを意外なほどわかっている
竹内:4タイプのいずれかに極端に偏ることがないように、私たちが気をつけるべきことはありますか?
出口:そもそも子どもがかわいくて大好きであれば、過保護型から始まるのは当たり前ですよね。大好きだよと思いながら、「でも、こんなに甘やかしちゃだめだ」と思って、ちいさい子に対していきなり「あっち行って!」なんてやらないですよね。
だから、年齢に見合う形で何を子どもに提供することができるのか。心理学で言うところの発達段階に見合った子育てをどういうふうにするのか。だから、誰だってこの4つの類型の中のどれかに当てはまるし、その時々によっては当てはまることがいくらでもあるんですよね。
竹内:では、自分の子育てで反省すべき点はどのように導き出せばいいのでしょうか?
出口:最も大切なのは、やはり夫婦間で話し合うことです。
少年院に入っている子どもの親御さんに調査をすると、母と父の思いが全然違うということがよくあります。そうなると子どもは、「両親のどちらに従えばいいの?」と戸惑いますよね。話し合っても考えが全然違うことはもちろんありますが、それでも相手がいまどんな価値観で考えているのか知ることが大事です。
出口:それを丁寧にやっていくことによって、子どもも納得するんです。いまお母さんお父さんはこういう考えのもとにこう言っている、と。子どもたちは大人からわかってないように見えても、実はすごくよくわかっています。
竹内:本当にそう思いますね。ちょっとした話なのですが、夫がバナナを手で半分に折ることが、私はすごく嫌で……。息子には「バナナは手で折っちゃだめだよ、ママが切るから」と言うのですが、そうすると息子は「だって、パパが手で折っていいって言ってたよ」と。子どもの中では「パパはいいのに、なんでママはダメなの?」と思っているみたいです。
出口:バナナだったらまだ傷は浅いけど、そうじゃないことで親の価値観が分かれちゃうこともありますよね。たとえば進学や就職に関すること、地域の不良少年と付き合う/付き合わない、といった人生のわかれ道になるようなところで、両親の言うことが全然違うとすると、子どもは何に従えばいいかわからない。
そうなると、子どもには家庭に帰属しようという気持ちがなくなります。人生の岐路になる部分で、親がきちんとした話し合いをせずにそれぞれがいろいろな指示を与えてしまう。それだと子どもが混乱するだけですよね。
口だけの反省をさせないために
竹内:人生の岐路で言うと、今後多分起こるであろう壁があって。たとえば子どもがいじめに遭ってしまうとか、子ども自身が人を傷つける行為をしたとか、そういうときに親はどういう対応をすればいいのでしょうか?
出口:とても大事なのは、まずお子さんをどうやって受け入れてあげられるかです。もちろん悪いことは悪い、非は非として認めさせる。それは当たり前のことです。でも重要なポイントとしては、反省させることを求めるのは間違っているということ。反省というのは、いくらでも口で言うことができるようになってしまいます。
「悪いことをしました」「申し訳ございません」「二度とこういうことをしません」と口で言うのはとっても上手になる。反省の言葉を自分ですらすら言えるようになってくると、「ああ、危ないな」と私たちは思うんですよ。反省ではなくて必要なのは内省ですよね。内側で省みる。これは、自分の問題点はどこかというようなことを子どもに探らせることなんですね。
反省と内省は似ているけれども、意味が全然違います。であって、させるべきなのは内省の方です。でも親はついつい叱って、その中で反省を求めてしまう。それは子どもにとっても都合がいいんですよね。そう言えば親は納得してくれる。「すみません」「もうお母さんの言うとおりにします」「二度とやりません」と言いながら、うしろ向いて舌をペッと出している。
竹内:3歳の子どもに何か叱った時も、「わかった?」「ごめんなさいは?」ととりあえず言わせるけど、実際には反省していないんですよね。
出口:3歳で内省は無理かも(笑)。
竹内:でも、心から反省してもらうには、どうしたらいいんだろうって。
出口:「これで本当にこの子はわかったかな?」と疑問を持つことが大事なんですよ。さっき言った例だと、「はい、謝ったからこの件は終わり」となってしまうのがダメなんです。「本当にわかったのかな」と思うことが、子どもに対する次の指導にも繋がります。