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【ミリオンヒッツ1994】奥田民生「愛のために」マーケティング戦略なんてクソ食らえ!

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1994年10月21日 奥田民生のシングル「愛のために」発売日

リレー連載【ミリオンヒッツ1994】vol.23
愛のために / 奥田民生
▶ 発売:1994年10月21日
▶ 売上枚数:106.2万枚

“おっさん” がフィーチャーされたヒット曲、「愛のために」


 となりの席ではフケた男が
 さんざんからんで人生語る
 どっかで聞いた事ある話だ 
 思えばあいつは昨日も来てる

 おっさんあんたはそういうけれど 
 いろいろややこしい世の中で
 雨にも風にも夏にも負けず 
 明るい日本の見本となった

今からジャスト30年前、1994年10月21日にリリースされた奥田民生の実質的ソロデビューシングル(*註)「愛のために」は、こんな人を食った出だしで始まる曲だった。90年代半ばといえば、小室哲哉作品をはじめとする煌びやかなダンスミュージックが幅を利かせていた時代だ。そんな中、いきなり登場人物が “おっさん” である。こんなに “おっさん” がフィーチャーされたヒット曲って、笠置シヅ子の「買物ブギ」とミス花子の「河内のオッサンの唄」ぐらいじゃないか? ワレー!

この曲が世に出たとき、奥田民生は29歳


人気絶頂だったユニコーンが前年の1993年に解散。1人になった民生はいったいどんな路線を歩むのか? 当時、世間の注目度はけっこう高かった。プレッシャーも相当あったはずだが、そんなものは屁でもないとばかりに、飲み屋で他の客に絡む面倒くさい “おっさん” の歌を書いた民生。彼らしいといえば、実に彼らしい曲だ。時流に流されない世界観の歌詞。曲は重厚感のあるゴリゴリのロック。しかもタイトルは「愛のために」と来たもんだ。

 ここらへんで そろそろ僕が 
 その花を咲かせましょう
 愛のために あなたのために 
 引き受けましょう

この曲が世に出たとき、民生は29歳。もうすぐ“イージュー”(音楽業界用語で “30” )だった。自身が “おっさん” になりつつあるのを自覚しつつ、自分にはいったい何ができるのか? 自問自答した末に、“そうだ、愛を歌おう” という極めてシンプルな解答を導き出した民生。「愛のために」は、男女間の愛にとどまらず、広く “人間愛” を歌っている。「♪あなたのために」の “あなた” は “おっさん” を含むすべての人であり、この曲はいわば、民生流「All You Need Is Love」なのだ。

ソロデビュー30周年を迎える奥田民生


思えば、この曲が出た3ヵ月後、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、5ヵ月後の3月20日には地下鉄サリン事件が起こった。いったい日本ってこの先どうなっていくんだろう、と不安に思った人が多かったのではないか。そんなときに「♪陸海空 いろんなところから どこでも駆けつけましょう」と民生が宣言し(自衛隊かよ!)寄り添ってくれるんだから、こんなに心強い曲はない。そんな未曾有の大惨事が相次いで起こるとは民生も予想していなかっただろうが、メガヒットを狙ったとは思えない本曲がミリオンセラーになったのは、きっとそんな時代背景もあったように思う。

で、「愛のために」がリリースから30年経ったということは、民生がソロデビュー30周年を迎えたということでもある。ホント早いよなあ。民生は『スポーツ報知』のインタビュー(8月21日配信)に応じ、この曲を書いたときの自身の状況について、こんな風に語っている。

「本当はもうちょっと休んでいようと思ったけど、なんか作り始めたら、できて。バンドを解散して、心細い気持ちを奮い立たせてるんですよ、たぶん。名刺代わりみたいな。テンポは緩いけど派手目の曲ですよね。バンドだとテンポは速目で、とかレコード会社の人は必ず言うんですよ、当時。そんな中であの感じっていうのも俺としては大事でした」

そう、民生もユニコーンという拠り所を失って、不安で不安でたまらなかったのだ。そんな状況で、自分を励ますだけでなく、みんなをあまねく “愛” で励まそう、という発想が素晴らしい。そしてテンポはスローに。じっくり曲を聴いてほしい、という思いがそこにある。奥田民生という人は、そういうとこがカッコいいし、一切ブレてないんだよなあ。

マーケティング戦略なんてクソ食らえ!の30年


そんな独自の道を行く生き方は、まんまあの唯一無二の “声” に表れている。民生の弾き語りって、ホントに “語り” を聴いてるみたいだもんね(同じ広島県人で広島皆実高校の先輩・吉田拓郎に通じるところがあるが)。だから『奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール』(原作:渋谷直角)なんてマンガも生まれ、映画化もされたわけで。

その後の民生の活躍ぶりは、皆さんご存じの通り。「イージュー★ライダー」(1996年)、「さすらい」(1998年)もビッグヒットとなり、井上陽水とユニット “井上陽水奥田民生” を結成。「ありがとう」(1997年)というヒット曲も生まれた。そして忘れちゃいけない、PUFFYもプロデュース。陽水と共作したデビュー曲「アジアの純真」(1996年)もこれまたバカ売れした。

2009年にはユニコーンを再始動。他にもカーリングシトーンズとかいろいろあるけれど、何をしようが常にマイペース。民生の民生らしさは変わらない。自分らしくあれ… それで30年ですよ。マーケティング戦略なんてクソ食らえ!だ。

奥田民生と小泉今日子の仰天プランとは?


ところで、私は今年7月に『小泉今日子の音楽』(辰巳出版)という本を出版したのだが、ここで興味深い話を1つ。陽水と民生とキョンキョンが3人で詞を共作して話題になった小泉のヒット曲「月ひとしずく」(1994年)について、長年ビクターで小泉担当ディレクターを務めた田村充義氏にインタビューした際に、こんなエピソードを伺った。

“実は、奥田民生さんの「愛のために」を小泉さんがカバーして、本家と同時にリリースする話があったんです”

この話は、以前資料でチラッと目にしたことがあったのだが、やはり事実だった。正確にはこういうことだ。小泉今日子に独自の路線を歩ませ、トップアイドルに導いた田村氏の手腕を、当時SMA(ソニー・ミュージックアーティスツ、民生の所属事務所)の社長を務めていた若松宗雄氏が高く評価。若松氏はCBS・ソニー時代に松田聖子を発掘、ディレクターを務めた方で、レコード会社の枠を超えて田村氏とは以前から交流があった。そんなご両人の関係もあって、この仰天プランが持ち上がったのである。

もともとキョンキョンのファンだった民生は、この話に大乗り気だったそうで、あとは小泉が歌うだけだったのだが、諸事情あって実現しなかった。その代わりに “陽水と民生が一緒に曲を作っているらしい”(1994年当時、2人が共作を始めたことはまだ公にされていなかった)という噂を聞きつけた田村氏が “その曲、小泉今日子に歌わせてくれませんか?” と直談判。陽水サイドのOKがなかなか出なかったが、最終的に田村氏の熱意に折れて「月ひとしずく」が完成したとのこと。

もし小泉版「愛のために」が出ていたら、おそらくそちらも大ヒットしていたはずで、ぜひ聴いてみたかったが、その代わり別な名曲が誕生したというわけだ。ちなみに民生とキョンキョンは同学年。民生は10月26、27日に両国国技館でソロ30周年記念ライブ『59−60』を行い(2日間それぞれ別内容)、小泉も同じく10月26日からバラード曲を中心とした全国ツアーを行う予定だ。

お互い還暦間近になっても変わらず独自の道を行き、ユニークな活動を続けているのは、同じアラ還世代の私にとって嬉しい限りだ。2人とも、その根底にあるのは「♪人のために 自分のために 引き受けましょう」という思想である。… キョンキョン、今回のツアーで「愛のために」も歌ってくれないかな?(笑)

(*註)民生はユニコーン在籍時の1992年に、メンバーが連続でソロシングルを出す、という企画の一環として「休日」という曲をリリースしている。正確にはそれが初のソロシングル。

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