研鑽の場か? お楽しみ会か?─ピアニスト・植田良太が考えるジャムセッション “本来のあり方” 【ジャムセッション講座/第31回】
これから楽器をはじめる初心者から、ふたたび楽器を手にした再始動プレイヤー、さらには現役バンドマンまで、「もっと上手に、もっと楽しく」演奏したい皆さんに贈るジャムセッション講座シリーズ。今回は京阪神を中心に活動しているピアニストの植田良太さんが、近年のジャムセッションに一石を投じる。プロミュージシャンが感じる問題点とは一体?
【本日のゲスト】
植田良太(うえだ りょうた)
ピアニスト。神戸・甲陽音楽&ダンス専門学校(旧 甲陽音楽学院)、バークリー音楽大学卒業。ジャズ、ゴスペル、R&Bといった黒人音楽をはじめ、ラテンやブラジリアンなど幅広いコンテンポラリーミュージックを、その場に応じたサウンドで的確に表現する。自己のピアノトリオでの活動に加え、多くのバンドでも活躍。現在は京阪神を中心に、ライブ活動やアーティストのサポート、各種レコーディングなど幅広く行っている。【担当記者】
千駄木雄大(せんだぎ ゆうだい)
ライター。31歳。大学時代に軽音楽サークルに所属。基本的なコードとパワーコードしか弾けない。セッションに参加して立派に演奏できるようになるまで、この連載を終えることができないという十字架を背負っている。実は10代の頃、カントリーミュージックとブルースの聖地であるアメリカのテネシー州で過ごしていた。せっかくの機会だからと、当時はそうした音楽を積極的に聴いていたが、同級生たちは当然のようにEDMしか興味がなく、音楽仲間はできなかった。
ジャムセッションの本質を再確認せよ
──植田さんが昨年noteに投稿した「日本におけるジャムセッションのあれこれ」は一部界隈で大反響を呼んでいます。というのも、人前で言うには危険すぎるほど、ジャムセッションの問題点を理路整然と語っているためです。この記事を書かれたきっかけはなんだったのでしょうか?
植田良太(以下、植田) ジャムセッションがここ10年ほどで盛んになり、参加するハードルもかなり下がりました。それはとても良いことであり、ジャズを始める人口が増えたのも素晴らしいことです。ただ、その分、ジャムセッションそのもののレベルも低下しているように感じます。仲間内で楽しくワイワイやる、いわゆるアマチュア志向のセッションが増える一方で、高いレベルを目指すプロ志向のセッションが減ってきています。
──イキったジャズ研の大学生が言うならともかく、プロのミュージシャンがそんなこと言ってしまって大丈夫なんですか?
植田 もちろん、ハードルが下がったこと自体は悪いことではないです。ただ、そのことによって「アマチュアのセッションはお里が知れている」や「プロのセッションは閉鎖的すぎる」と、お互いが対立するような雰囲気が生まれているのが気になります。僕の「ジャムセッションのあり方が変質してきている」という指摘も、対立を激化させる要因なのかもしれませんね。
──いわゆる「クリエイティブと研鑽の場」としてのジャムセッションの意義が薄れつつある。しかし、ジャムセッションの人口が増えれば、それでいいのではないでしょうか?
植田 アマチュアがセッションホストを務めて、多くの参加者が集まるセッションもあります。それはそれで賑わっていて良いことなのですが、レベルとしては必ずしも高いわけではありません。それを「ジャムセッション」と呼べるのでしょうか?
──あの…。これ「ジャムセッション講座」という連載なのですが…。
植田 僕以外にも、似たような考え方を持っているプロ奏者も多いと思いますよ。ちろん、これは「どちらが正しいのか?」という話ではありません。
──それでは、集客という課題はどのように解決するのでしょうか?
植田 うーん…。そもそも、ジャムセッションで人を集める必要はありますかね?
──そこ! 重要な問いですね。
SNSがジャムセッションのハードルを下げた!?
植田 ジャムセッションというのは、バーやライブハウスなどのお店が、儲けを出すためにやるものではないんです。理想的なのはお店に自然と集まったミュージシャンたちが、営業後に流れで「じゃぁ、やろうか」と始まることです。
──なるほど。それが本来のあり方。
植田 集客の面で言うと、圧倒的にアマチュアが主催するセッションのほうが人は集まります。結局は「お楽しみ会」のような感覚でやるのがいいんですよ。
──そのほうがみんな楽しめますよね。
植田 しかし、「ジャムセッションとはなんなのか?」を考えてもらえば、それは単なるお楽しみ会ではなく、自分の演奏スキルを向上させていく場ということがわかるはずです。かつてのジャムセッションはもっとシビアでした。プロのミュージシャンたちが怖い顔をして、「それじゃぁダメだ」と厳しく指導するような場だったのです。
──世間がジャズに抱く「怖い」イメージはまさにそれですよね。ちなみに日本でジャムセッションのハードルが低くなって一気に広がったのはいつ頃でしょうか?
植田 僕の感覚としては、2008年ですね。当時、mixiというSNSのハシリがあり、そのサイト内で「ジャムセッションやろうぜ!」といったコミュニティがたくさんできました。そこから、趣味で演奏する人たちが集まり、セッション会を開くようになったんです。
──同好会やサークル活動と同じですね。
植田 ジャムセッションというのは、もともと閉鎖的なものです。腕に覚えがある者たちだけが参加して、先輩ミュージシャンに厳しく指導される…。そのような現場だったんです。それがmixiをきっかけに、「ちょっとやってみようよ」と気軽にセッションをする流れが生まれ、時代が進むにつれて、お互いが合流したのではないかと思います。
──その延長線上にこの連載の読者層である「巣ごもり期間中に久々に楽器を触った経験者たち」がいます。
植田 結局、楽器というのはある程度のレベルに達していないと、セッションそのものが成立しないんですよね。音楽は会話と同じで、最低限のやりとりができるレベルに達していないと、まともな演奏になりません。
──だんだんレベルの高い話になってきましたね…。
植田 「最低限の会話」というのは、単に「ドレミ」が読めるということではなく、音楽的なやりとりができる状態のことです。それができて、ようやくセッションが成立するものなんです。そこをすっ飛ばして、「とりあえず、やってみましょうか」といったレベルの人たちが集まる現場は、正直「ジャムセッション」とは呼べないでしょう。
「叱らない教育」の弊害
──植田さんの主張は徐々にわかってきましたが、それでもジャムセッションに参加したいアマチュアはたくさんいます。
植田 ジャムセッションの形が、一種類である必要はないんですよね。ビギナーが集まるセッションがあったり、譜面を絶対に見ないというルールのセッションがあったり、ボーカル限定のセッションがあったりと、目的ごとに種類を分けていくのがいいと思います。自分に合ったセッションに参加することが大切で、もう少し上を目指したいなら、次のランクのセッションに挑戦してみる…。そうやって段階を踏んでいけば、無理なく成長できるのではないでしょうか。
──現状のピラミッド式は理想的ということですね。
植田 そうですね。最近はジャムセッションも多様化しているので、どれが良いとか悪いという話ではなく、自分のレベルに合わせて選べばいいと思います。そこで満足できなかったら、次のレベルのセッションに挑戦するということを繰り返せばいいのです。ただ、中には「満足のいく演奏ができなかったのは、ホストの責任だ!」という人もいますよね。それはお門違いな批判です。
──そんな人います!?
植田 そうなんですよ(笑)。もちろん、お金を払ってセッションに参加している「お客様」ですから、単に楽しむのが目的なのか、それとも高みを目指したいのかはホストも見極める必要もあります。ただ、ビギナーでも上達したいと思うのであれば、厳しいことを言われる覚悟を持って参加するべきです。
──そうえいば「怒らない・叱らない」というのも、時代の流れですよね。
植田 「叱らない教育」が推奨されていますからね。私も「生徒を叱らないようにしてください」と学校側から言われています。褒めて伸ばすという考え方が、主流になってきたのでしょう。ただ、ジャムセッションに関して言えば、怒らない人が増えたことで、「これでいいのかな?」という感覚が蔓延している印象です。「こんなもんじゃない?」といったノリでなんとなく集まり続けた結果、今の問題のあるセッションができあがったような気がします。
ホストは参加者を無闇に褒めない
──大人になったからもう人に怒られたくないので、その風潮はむしろ歓迎です。その一方で「お客様」として扱われてしまうのも、なんだか寂しいですね。
植田 僕がやっているセッションでも、基本的に怒ることはありませんが、たまに、見合わないレベルの人が来ることがあります。彼らには演奏後、適当に「良かったですよ」とは言いません。
──直接「今のレベルで、ここに来るのはまだ早いですよ」なんて言ったりもするのですか?
植田 いやいや、本人が自分で気付ける雰囲気を作るようにしています。たとえば、演奏が終わったあとや、セッションの途中の休憩時間に話をすることがありますよね。そんなときに参加者から「どうでしたか?」と聞かれると、僕はまず「ここがこうで…」とは言わずに、逆に「ご自身はどう感じましたか?」と聞くようにしています。
──なるほど。まずは自己分析を促す。
植田 そうすると、たいてい「あれがダメだった」「ここが良くなかった」と、自分から言ってもらえます。そこで、「そういうことです」と一言返して「だったら、その部分に取り組む必要がありますよね」とアドバイスするようにしています。
──聞くほうも多少は褒めてもらいたくて聞いている気もしますよ。
植田 でも、これはある意味、親切なのではないかと思います。もちろん、頭ごなしに「ダメ!」なんてことは絶対に言いませんよ。お店との関係もありますし。そもそも私はセッションに参加する演奏者に対して、どんなレベルであろうと誠実に接したいと思っていますから。
──ベテラン奏者に聞くと「昔のジャムセッションは怖かった」みたいな話がよく挙がるんですが、さらに大昔のジャムセッションってどんな感じだったんですかね。アマチュア奏者が参加できるような催しもあったのでしょうか?
植田 文献によると、かつてニューヨークのハーレムにあったミントンズ・プレイハウスという有名な店で、お客さんが演奏に参加できるような日が設けられていたそうです。それが、集客を目的としていたのかどうかは分かりません。ただ、当時の状況を考えると、アマチュアが気軽に参加できるようなものではなかったと思います。
──そもそも、楽器を持つこと自体難しく、演奏する機会も限られていいたはずですよね。
植田 それが、今は誰でも気軽に楽器を始められる時代になりました。そのような変化も含めて、いろいろな問題が出てきているのではないかと感じます。つまり、今はジャムセッションの転換期であり、過渡期でもあるのでしょう。
アフターセッションのあり方を考えよう
──この機会なのでプロのミュージシャンに聞きたかったのですが、アフターセッションについてはどのように考えますか?
植田 自分のライブではアフターセッションはやりません。というのも、セッションを目的に来る人が多く、「ライブには無理ですが、セッションなら行きます」という流れになってしまうと、結局ライブの集客ができなくなるからです。もし、「セッションをするためにライブをやる」という考え方が罷り通るならば、最初からセッションだけをやればいい。つまり、ライブに来てもらうにはどうしたらいいのかを真剣に考えるべきであり、安易にセッションを同時開催するのはナンセンスでしょう。
たとえば有名ミュージシャンが来てライブの後にそのミュージシャンと一緒に演奏できる機会などのアフターセッションは大いにありだと思います。
──ライブを見ずにセッションだけ参加するのは、さすがに失礼すぎると思いますが、そういう人もいるんですね。
植田 アフターセッションはライブよりも遅い時間に開催されるため、仕事や学校帰りの人も参加しやすいのは間違いありません。それと、別にアフターセッション自体がダメというわけではないですよ。ただ、最初から「アフターセッションもあります」と告知するのはどうなのかなと思っています。「アンコールもあります」と最初から宣言しているのと同じです。予定調和になっている現状を疑うべきでしょう。
──今はアンコールは当然あるものだと思われていますよね。ちなみに、セッションというのはライブ前にやってはいけないのでしょうか?
植田 結局、目玉が2つあると、どちらかのイベントの存在意義が薄れてしまいます。ライブをやるならライブに集中すればいいし、セッションをやるならセッションとしてやればいい。「ライブの集客目的のためのセッション」というのは、成り立ちからしておかしいと思います。
──ただ、アフターセッションがあるから、ライブを見にくるお客さんもいるはずです。
植田 ライブにお客さんが来ないというのは、また別の問題。それはジャズのライブに参加する人口の減少など、要因はさまざまです。その一方で「ライブ人口が減っているけど、ジャズの人口も減っているのか?」と言ったら、そうではない。
──実際、ジャムセッションに参加したい人は増えているわけですからね。
植田 つまり、「自分も演奏したい」という人は増えているということです。それは非常に喜ばしいことですが、そういった人たちに向けて「セッションを餌にしてライブを開催する」という考え方には、ずっと違和感を感じています。あの…。これ、続けていいですか?
*
近年のジャムセッションのあり方に疑問を感じている植田さん。まだまだ話し足りない彼に翌月公開の後編では、もっと踏み込んだ意見を語ってもらった。問題点は山積みだ!
取材・文/千駄木雄大
ライター千駄木が今回の取材で学んだこと
1 ジャムセッションは技術を高め合う場所
2 利益優先のセッションは成立しにくい
3 ホストに演奏の不満をぶつけない
4 身の丈にあったセッションに参加しよう
5 もっとジャズのライブを楽しもう