近江鉄道再生の道のりを明かす新刊 著者が語る「目標は『残すこと』でなく 、『残して利活用すること』」【コラム】
多くの地方鉄道や地方ローカル線が経営に苦戦する中、再スタートからやがて1年を迎える鉄道が滋賀県にあります。本サイトにもたびたび登場する近江鉄道は2024年4月、施設や車両を県と沿線10市町でつくる近江鉄道線管理機構に移管。近江鉄道は列車運行に専念する、いわゆる「経営の上下分離」に踏み切りました。
近江鉄道が県に、「民間企業の経営努力だけでは、鉄道の維持・存続は困難」とSOSを発したのは2016年。以来、初期の勉強会に続く2019年発足の「近江鉄道沿線地域公共交通再生協議会」に、民間有識者として参加したのが、グローカル交流推進機構(GLeX)の土井勉理事長です。
土井さんの著書「ガチャコン電車血風録~地方ローカル鉄道再生の物語」は、2025年1月17日に刊行されたばかり。土井さんを講師に迎えたセミナー「近江鉄道:存続への道とこれから」でのエッセンスをお届けします。
(セミナーは、人と環境にやさしい交通をめざす協議会が主催して2025年1月11日、大阪市の関西大学梅田キャンパスとオンラインで開催。筆者はリモート取材しました)
「鉄道存続は困難」近江鉄道がSOS!
まずは近江鉄道のプロフィール。開業は明治年間、1898年6月の彦根~愛知川間。鉄道のほか、自動車運送(バス)、観光、不動産の4分野を手掛けます。西武グループというのは、本サイトをご覧の皆さまならご存じでしょう。
鉄道は本線、多賀線、八日市線の3線で、59.5キロのネットワーク(33駅)。沿線は彦根、近江八幡の両市など10市町にまたがり、沿線人口49万7000人です(2020年4月時点)。鉄道の売り上げ年間8億円、2020年度は8億1000万円の営業損失を計上しました。
経営危機は2016年6月、近江鉄道が滋賀県に「今後、民間企業の経営努力では鉄道の継続は困難」と訴えたことで表面化しました。
県などは翌2017年1月から、任意の「近江鉄道に関する勉強会」を継続開催。問題の本質が判明しました。
鉄道と自治体、最初は相互不信
勉強会などの場で、沿線自治体から飛び出したのはこんな声です。
「親会社の西武に助けてもらえば」、「赤字は企業努力不足の結果」、「近江鉄道の現状を知らなかった」、「そもそも減価償却の意味が分からない」……。
いうまでもなく、鉄道と沿線のコミュニケーション不足。当初はお互いに反発、不信感のかたまりでした。
最後の減価償却は少々の説明が必要かも。近江鉄道のような歴史ある鉄道は設備の老朽化が目立ち、設備更新に一定の支出を強いられます。一般家庭に例えれば貯金が必要で、全国の地方鉄道に共通する点です。
鉄道のありなし、どっちが得か
勉強会や協議会の議論を「鉄道存続」に向かわせたのは、2020年3月に公表された「クロスセクター効果」の算出です。
もしも鉄道をバス転換すると、今より支出が増えるかも。「どっちが得か、よ~く考えてみよう」(欽ちゃん〈萩本欽一さん〉の1970年代のテレビCM名キャッチコピーから)なのです。
クロスセクター効果のポイント。近江鉄道利用客の3分の1は通学生です。鉄道がなくなると通学が不便になります(早起きしなければならない)。マイカーを持たない住民のため、自治体は買い物・通院バス(タクシー)を走らせる必要もあります。
近江鉄道のクロスセクター効果(鉄道廃止で新たに増える費用)は年間ざっと12億円。土井さんは「ノスタルジーやロマンでなく、データとファクト(事実)を積み上げて、鉄道存続は説得力を持った」と振り返ります。
乗って分かった鉄道の存在価値
沿線自治体関係者も、実をいえば日常の移動はほぼ公用車。法定協議会は2020年7~8月、2回の「沿線フィールドワーク」を開催しました。
現地視察でいろいろなことが分かりました。近江鉄道利用客の3分の1は通勤客。沿線には工場などが点在し、電車のダイヤに出勤時間を合わせる企業もあります。若者のクルマ離れでも従業員を確保するには、鉄道がなくなっては困ります。
全線無料デイに3万8000人乗車
インパクトある鉄道の利用促進作戦で編み出されたのが、2022年10月16日「近江鉄道線全線無料デイ」です。当日の推定利用客数約3万8000人。通常の12倍、当初想定の3.8倍の衝撃は、本サイトでも詳報されました。
上下分離で自治体による〝下部〟の負担割合は県と沿線10市町が折半します。近江鉄道は2021~2023年度の運営改善期間を経て、2024年度から上下分離に移行しました。
上下分離で近江鉄道はどう変わった。2024年4~9月の同年度上期決算の営業損益は9500万円の黒字。前年同期2億700万円の赤字から黒字復帰しました。近江鉄道の上期黒字は1993年度以来31年ぶりです。
注目したいのは輸送実績。決算より1ヵ月長い、2024年4~10月の利用客数は延べ約289万人で、前年度の約276万人に比べおよそ5%増加しました。
土井さんは、「鉄道と自治体の溝を埋め、自治体首長と一緒に現場を見て回ったことが鉄道存続の機運を盛り上げた。大切なのは『残すこと』でなく、『残して利活用すること』」と言葉に力を込めました。
著者は阪急にも在籍
ラストは土井さんと著書をご紹介。1950年京都市生まれで、京都市役所、阪急電鉄、神戸国際大学経済学部教授、京都大学大学院工学研究科特定教授を経て2019年4月、GLeXの理事長に就任しました。専門は「交通まちづくり」。
新刊の「ガチャコン電車血風録」は、各地で存続の危機にひんするローカル鉄道再生に頑張る人たちにエールを送る中身。ガチャコン電車は列車走行音に由来する近江鉄道の愛称名です。鉄道に興味を持つ方なら、多くの示唆を得られるでしょう。
出版元は岩波書店、「岩波ジュニア新書」の新刊。新書判、204ページ。
記事:上里夏生