「今しかないな」気持ちに火がついた有馬隼人さん、 アナウンサー生活からアメフト選手に転身!
個性豊かな様々なゲストをお迎えして、幼少期のターニングポイントや、やる気スイッチの入った瞬間を深掘りしていきます。
メインパーソナリティの佐藤隆太さんと佐々木舞音アナウンサーの2人でお送りします。
11月25日(月)放送のゲストには、元TBSでフリーアナウンサーの有馬隼人さんが登場。佐々木さんとは先輩後輩の関係ながら初対面。安住アナとの懐かしい青春の日々、様々なスポーツに明け暮れた学生時代のお話をお伺いしました!
佐々木:有馬さんって人見知りとかするんですか?
有馬:人見知りの塊ですよ。(笑)頑張って人と話せるようにしますけど、基本的には警戒心が強くて。
佐藤:全く見えないですけど!
佐々木:勝手なイメージで人見知りしなさそうと思ってたのと、安住さんが今日色んなエピソードを教えてくださって……
安住アナと深夜にボウリングを10ゲームこなした過去も!今も生放送の為に平日は3時起きのパワフルな毎日
佐々木:何か、安住さんがボウリングを2人で70ゲームぐらいやったって…。
有馬:正確には、夜の番組が終わって安住さんが「ちょっとボウリング行きたい」って言い出して。もう今すぐ行こうってなって、2人で新宿のボウリング屋さんに行って朝まで投げたんですよ。
佐藤:それすごいですね!
有馬:10ゲームでしたね。ホントは。
佐藤:盛りすぎ!ちょっと反則ですよ。
有馬:朝方、10ゲーム目に2人ともベストが出たんです。それでやっぱり「やり続けるって大事だな!」って言いながら2人で抱き合ってたんです。
佐藤:青春ですね!(笑)
佐々木:今は平日のラジオもされてますよね。
有馬:平日、月火水木は朝6時からの生放送、3時間ですね。もう5年目に入ります。
佐藤:もう体は慣れてきましたか。
有馬:慣れてきましたけど、やっぱり朝3時ぐらいに起きて支度してすぐ出るんですけど、それ以外の曜日は普通のサイクルだったりもするんですよ、別の仕事もありますから。なので、戻したりするのが大変ですね。
佐々木:冬が大変ですよね、寒くて。
有馬:いやそうですよね。ずっと真っ暗だからテンションも上がらないし、仕事に行く途中もなんかテンションが全然上がらなくて暗~いまま入っちゃうんですよ。
佐藤:そこからちょっとスイッチ入れるの、大変そうですね。
佐々木:どうやって入れるんですか。無理やりにでも入れるみたいな。
有馬:仕事のスイッチですか。そうですね、無理やり入れますね。でも生放送なんで、試合開始と一緒で、プレイボールで始まったらもう走り切らなきゃいけないから「やるしかない!」っていうか。だから自然と生放送直前にはスイッチ入りますけどね。
アメフト日本一からアナウンサーに、そしてカムバック…現場の取材と後輩の奮闘が復帰の材料に
佐藤:すごいシンプルな質問ですけどアナウンサーのお2人ですけど、きっかけは何なんですか?その…「アナウンサーになりたい」って、僕らみたいなその役者だったりとかは「表現の仕事がしたい」っていう方がいらっしゃいますけど、ピンポイントで「アナウンサーさんになりたい」っていうのは、どういうところがきっかけだったんですか?
有馬:僕は大学で就職活動をしてるときにスポーツをずっとやってきてですね。スポーツを見るのもやるのも大好きだったんですよ。テレビとラジオでよく見てたし、これより面白くスポーツを伝える役割を将来は担いたいなと思って、アナウンサーもそのうちの一つかなと思ってアナウンサー受験をしていたら合格させてもらったんです。
佐藤:なるほど。元々そんなに意外な進路変更とかでは全くないわけですね。
有馬:そうですね。
佐々木:でも3年後に(アメリカンフットボールの)選手に戻ったわけじゃないですか?それは何か出来事があったんですか?
佐藤:気になる!だって、かなりレアなケースですよね。
有馬:大学時代に現役選手をやり切って、もうスポーツはやるのはいいや、と思ってたんですよ。なんですけど、TBSに就職して取材に行くと、あらゆる競技で精一杯頑張ってるアスリートに出会うわけですね。ゴルフとか野球とかはプロの選手はいいんですけど、アマチュアでもうボロボロになるまでやり切るみたいな選手がいっぱいいらっしゃって。「あれ、ちょっと僕は最後までやりきってないんじゃないかな」っていう思いが積もっていったんですよ。
佐藤:なるほど、ちょっとずつそういう思いが。
有馬:その一つと、もう一つは僕の大学、大学日本一にはなったんですけど、社会人の日本一と試合をするゲームで“負けて終わった”んですね。でも3年後ぐらいに自分たちの後輩が社会人を倒したんですよ。僕ができなかったことを後輩がやってのけたっていうのを見たときに、ちょっと火がついちゃったんですね。
佐藤:へぇ~!すごい!
有馬:もっと強くなれるんじゃないかとか、もっと上手くなれるんじゃないかっていう気持ちにちょっと火がついちゃって、25~26歳で決断してもう1回アスリートをやるんであれば、「もう今しかないな」と思いましてちょっとご迷惑をおかけしたんですけど、TBSは3年間で退職させていただいたんです。
佐藤:それはすぐ理解していただけたんですか?
有馬:全然理解されてなかったね。例えばやっぱりうちの母は、せっかく就職して入ったんだから「考え直した方がいいよ」って言いましたしでも父と電話で話したときに、「そういうことを言い出すと思ってた」って第一声を言ってくれて。父は父で一つの会社に40年勤めたんですけど、途中にいろんなところに行きたくなったし誘われたし、だけど決断はせずに一つの会社で勤め上げたと。そういうのがあるんで、息子には「お前にはいろいろな道を自由に選べ」っていうことをやってほしいと。
佐藤:お父様が進まれた道もそれはすごいかっこいいですよ!立派ですけど、一方でそういった思いがすごく共感できたってことですよね。でもお父様の一言ってのはすごく大きいし、背中を押してもらった言葉ですよね。
有馬:かなり大きかったですね。
佐藤:とはいえですよ、アナウンサー時代の3年間はもちろん現役時代みたいな練習はしてないわけじゃないですか。
有馬:細くなってましたし、それを戻すのは結構大変ですよ。ブランクがあったんで
最初の半年間ぐらいで、もう死ぬほどトレーニング積んで戻しました。
佐藤:すごいな!そうやって仕上げられるものなんですね。
有馬:相当無理しましたけど。(笑)
(TBSラジオ『やる気スイッチラヂオ アストルム』より抜粋)