#4 コンプレックスを解消する方法は? 河合俊雄さんと読む『河合隼雄』【NHK別冊100分de名著】
河合俊雄さんが伝える、河合隼雄の心理学 #4
日本人として初めてユング派分析家の資格を取得し、箱庭療法をはじめとする心理療法を取り入れた臨床心理学者・河合隼雄は、半生をかけて人々の悩みに寄り添い、「こころの問題」と向き合い続けました。
『別冊NHK100分de名著 集中講義 河合隼雄 こころの深層を探る』では、同じ心理学の道を歩む河合俊雄さんが、師であり、父である河合隼雄の著作をやさしく読み解き、その思索の歩みをたどりながら、日本人の心の奥深くに迫っていきます。
全国の書店とNHK出版ECサイトで2025年10月まで開催中の「100分de名著」フェアを記念して、『ユング心理学入門』を取り上げた本書の第1講を公開します。(第4回/全5回)
「コンプレックス」は克服できるか
ユングが考えたタイプは、「自分の性格を改変し発展させてゆくべき方向を見出そうとしたり、今まで不可解だったひとをよりよく理解しようとしたり、人間関係を改善してゆこうとするときに、よき指標となる」と河合隼雄は強調しています。同様に、コンプレックスも「努力によって自我のなかに統合されるときは、むしろ建設的な意味をもつものとなる」といいます。
このコンプレックスという言葉を、現在私たちが用いているような意味で使い始めたのがユングだということは、あまり知られていないのではないでしょうか。一九〇六年に発表した言語連想実験に関する著作の中で、ユングは「感情によって色づけられたコンプレックス」という言葉を用い、その後これを略して「コンプレックス」と呼ぶようになりました。
言語連想実験とは、ごく簡単にいうと「頭」「緑」「水」「歌う」「死」といった単語を聞いて、そこから連想されるものを素早く答えていくというものです。実験してみると、意外な答えが返ってくることがあるだけでなく、単語によっては反応にかなりの時間を要したり、ひと通り終えた後に「もう一度くり返しますので、前と同じことをいってください」と再検査すると、自分が何と答えたか覚えていなかったり、違う言葉が返ってくることもあります。
例えば「別れる」という言葉に対して、しばし考え込んで「死」と答えたり、「悲しい」に対して「別離」と答え、再検査ではそれを忘れて「死」と答えたりということが起こります。こうした反応の背景には、連想を妨害する情動的要因──つまり心の乱れがあり、心を乱す言葉が「死」「別離」「悲しい」など一つのまとまりをなしているところから、ユングはこれを複合体=コンプレックスと名づけました。
コンプレックスは「無意識内に存在して、何らかの感情によって結ばれている心的内容の集まり」であり、それは「統合性をもつ自我の働きを乱すもの」です。
自我とは何か、なぜ統合性が大切なのかについて、著者は次のように書いています。
人間が生まれてから成長するに応じて、その意識体系も複雑になるが、それが一貫した統合性をもっていることは大切なことである。この統合性をもつゆえに、われわれは一個の人格として認められ、また、いわゆる個性というものも感じられるのである。ユングは、この意識体系の中心的機能として自我(ego)を考えた。この自我の働きにより、われわれは外界を認識し、それを判断し、対処する方法を見出してゆく。これによって、われわれはその場面場面に応じた適切な行動をとってゆくわけである。
ところが無意識内のコンプレックスが強くなっていくと、意識の中心にある自我に干渉してその働きを乱し、さらには自我の存在そのものを脅かすようにもなると著者は指摘します。その最たるものが二重人格(解離性障害)の現象で、これはいわば「自我がその王座をコンプレックスに乗取られたような状態」といえます。
なぜ、そんなことが起こるのか。それは、コンプレックスが「ある程度の自律性をもち、自我の統制に服さない」からです。その意味で、コンプレックスとは自分の中にいる他人のようなものなのです。
そのようなコンプレックスから自分を守ろうとして自我は様々な防衛方法を探りますが、その中で重要なものとして、著者は「投影」を挙げています。これは自分のコンプレックスから目を背け、それを他人に投影することで自我の安全を図るというものです。つまり自分の中の他人であるコンプレックスを文字通りの他者に押しつけてしまうわけなのです。
自分のずるさは棚に上げて、「あの人はずるい」と非難したり、「人間なんて、みんなずるいものですよ」などと嘯いたりするのがこれにあたります。困ったことに、投影された人が、投影した人に対して自分のコンプレックスを“逆投影”することもあり、そうなると、ずるい二人が互いに「ずるいのはあいつだ」と火花を散らして周囲をうんざりさせる、ということも起こります。
コンプレックスとの「対決」
厄介なものではありますが、投影はコンプレックスを解消するチャンスでもあります。「あいつは──」と思っていたことが、実は他人の中に見出した自分自身のコンプレックスであると気づき、それと対峙することができれば、コンプレックスとうまく付き合っていく方法を会得し、それまで敵対していた人と、良きライバルとして建設的な関係を築いていくことも可能だと著者は説いています。これが「投影のひきもどし」と呼ばれるものです。
コンプレックスの解消を目ざすならば、それと対決してゆくより他ないということである。これは心理療法によって悩みを解消するという場合、このよい方法によって、積年の悩みがすっと消え去るというような望みをもっているひとも多いが、心理療法によってまずなされることは、実のところ悩みとの対決であり、悩みを深めることであるといわねばならない。
悩んでいる時より、悩みを解消していく過程のほうがつらい──といわれると、ひるむ人もあるかもしれません。しかしそこを乗り越え、コンプレックスを自我の中に統合していくことができれば、コンプレックスに鬱積していた心のエネルギーは建設的な方向へと向けられることになります。
大切なのは、具体的にどのようにコンプレックスと対決していくかでしょう。著者は、現実の人間関係の中で、時に他者と火花を散らし、つらい思いもしながら「コンプレックスを生きてみる」ことが肝要だと指摘しています。
コンプレックスとの対決などというと、内向的な日本人の陥りやすい欠点として、「自分の内部を見つめて」苦行しなければならないと思い、自分の欠点について検討したり反省したり、「孤独を求め」て旅に出たりすることが多すぎるように思われる。そのような孤独な修行をするよりは、(略)嫌いな同僚と争い、あるいはライバル同志のなかに芽生える友情に驚きなどしてゆくほうがはるかにコンプレックスの解消につながる場合が多いのである。
コンプレックスは自我の統制下にはないので、ひとり悶々と考えていても変化を起こすことはありません。人間は、誰しも無意識内に無数のコンプレックスをもっています。そのうちのどれかが悩みや問題として顕在化する誘因も、それを克服する機会も〝外界〟との関わりの中にあります。これがコンプレックスとは「自分の中の他人」であり、また否定的にみなしている「他人の中に見出される自分」自身でもあることのおもしろさだと思います。
外的なものと、心の内的なものとが呼応することで初めて変化が起きる──これは心理療法についてもいえることです。だからこそ、セラピストは覚悟をもって主体的に関わり、クライエントと呼応していかなければならないということを、著者はここで言外に指摘しているのではないかと思います。
■『別冊NHK100分de名著 集中講義 河合隼雄 こころの深層を探る』(河合俊雄 著)より抜粋
■脚注、図版、写真、ルビは権利などの関係上、記事から割愛しております。詳しくは書籍をご覧ください。
著者
河合俊雄(かわい・としお)
1957年、奈良県生まれ。臨床心理学者、ユング派分析家。京都大学大学院教育学研究科修士課程修了。チューリッヒ大学にて博士号取得。心理療法家としてスイス・ルガーノのクリニックに2年間勤め、帰国後、京都大学大学院教育学研究科教授等を経て2007年より京都大学こころの未来研究センター教授。2018年4月より同センター長を務める。IAAP(国際分析心理学会)会長。おもな著書に『概念の心理療法』(日本評論社)、『ユング派心理療法』『心理療法家がみた日本のこころ』(ともにミネルヴァ書房)、『村上春樹の「物語」』(新潮社)、『心理臨床の理論』(岩波書店)などがある。
※全て刊行時の情報です。