神話や伝説に登場する「乗り物の怪異」 ~朧車からフライング・ダッチマンまで
車・船・飛行機…乗り物は文明の利器である。
乗り物の発展とともに、人類は広大な土地を行き来できるようになり、他国との交易や文化交流がより活発となった。
しかし神話や幻想の世界においては、人間を運搬するどころか無惨にも轢き殺すような、凶悪極まりない「乗り物の怪物」の伝承が語られることがある。
今回はそんな道路交通法違反上等な、げに恐ろしき妖怪たちについて紹介していきたい。
1. 朧車
朧車(おぼろぐるま)は、江戸時代の妖怪画家・鳥山石燕(1712~1788年)の画集『今昔百鬼拾遺』に見られる妖怪である。
その姿は、牛車の前面に巨大な顔が貼りついた異形のもので、石燕が描いた妖怪の中でも特に強いインパクトを持つ。
また、「朧」の名が示すように、ぼんやりとかすんだ作画が特徴となっている。
石燕の解説文を意訳・要約すると、次のような内容になる。
「これは、賀茂の大路での出来事だ。おぼろ月の夜、牛車の軋む音が聞こえたので外へ出てみると、そこには異形の化け物がいた。かつて行われた”車争い”の怨念が化けて出たものなのだろうか」
「車争い」とは、平安時代に貴族たちの間で勃発した、牛車の置き場所の取り合いのことを指す。
この争いに敗れた貴族の恨みつらみが、朧車という妖怪になったのではないかと、現在では解釈されている。
2. 文車妖妃
文車妖妃(ふぐるまようひ)とは、これまた鳥山石燕によって生み出された妖怪である。
画集『百器徒然袋』では、手紙を読み散らかす鬼婆のような姿で描かれている。
文車(ふぐるま)とは、書物を運ぶための車であり、火事などの災害時に貴重な本を即座に持ち出せるよう、公家の屋敷などでは常に備えられていたという。
日本三大随筆の一つ『徒然草』には、「多くて見苦しからぬは、文車の文」という一節があり、この文言から着想を得て創作された妖怪だと考えられている。
3. 飛乗物
「駕籠」とは座席を棒で吊るし、二人掛かりで運ぶ乗り物である
特に装飾の施されたタイプは「乗物(のりもの)」と呼ばれ、公家や大名などの高貴な身分の者が乗り込んでいた。
そんな乗物にまつわる妖怪が、飛乗物(とびのりもの)である。
この妖怪は、江戸時代の作家・井原西鶴(1642~1693年)が記した『西鶴諸国ばなし』で言及されている。
(意訳・要約)
これは、寛永二年(1625年)の冬頃の話である。
摂津国(現在の大阪・兵庫)のとある場所にて、女性用の煌びやかな駕籠、すなわち乗物が放置されていたという。
物珍しさから人が集まり、やがてその中の一人が乗物の戸を開けてみると、そこには数々の高級品を身に着けた美しい女性の姿があった。ところが女性は何を聞かれても返事をせず、その目つきも妖しげだったため、人々は恐れをなし、一人また一人と家に帰って行った。
その夜、乗物と女は忽然と姿を消し、次に見つかったのは、そこから一里(約3.9km)ほど離れた場所だった。
今度は馬方(馬で運送する人)の男衆がこれを見つけ、女の美しさに骨抜きとなり、矢継ぎ早に口説きだした。
しかし、やはりというか女は口を利かず、男たちは我慢の限界に達し、女を手籠めにしようと襲い掛かった。だがその瞬間、なんと籠の左右から2匹の蛇が飛び出し、男たちに食らいついた。
男たちは悶絶し、年が明けるまで苦痛に苛まれたとされる。さて、それからもこの不思議な乗物は、さまざまな場所で目撃され続けた。
奇妙にも乗物の中の人物は女だけでなく、おかっぱ頭の幼女、お爺さん、顔が二つの怪物、目と鼻のない老婆など、見るたびに違う者が乗っていた。
乗物は、慶安の時代(1648~1651年)頃まで目撃されたという。
4. フライング・ダッチマン
フライング・ダッチマン(Flying Dutchman)とは、イギリスの伝承に登場する「幽霊船」である。
1751年、オランダのアムステルダムから、一隻の船が出航したという。
船は南アフリカのケープタウンに向かっていたが、途中で強烈な向かい風に遭遇し、立ち往生してしまう。
船長は激怒し、風に向かって侮蔑の言葉を吐いた。
しかしこれが災いし、船は神の怒りを買うことになってしまった。
そして船は呪われて幽霊船と化し、世界の終焉まで海の上を漂い続けるハメになったそうだ。
ドイツの作曲家・ヴィルヘルム=リヒャルト=ワーグナー(1813~1883年)が、フライング・ダッチマンの伝承をもとに、かの名作オペラ『さまよえるオランダ人』を書き上げたという逸話は、よく知られている。
5. オンネチプカムイ
「チプ」とは北海道のアイヌ民族に伝わる、丸木をくり抜いてこしらえた、伝統的な小舟のことを指す。
アイヌの人々は万物全てにカムイ(精霊)が宿ると考えており、このチプに宿るとされたカムイが、オンネチプカムイである。
作りたてのチプを初めて川に下ろす際に、アイヌの人々は「チプサンケ」という儀式を行い、乗員が無事に川を渡れるよう、オンネチプカムイに祈願をする。
また、チプが壊れた時は「イワㇰテ」という儀式を行うことで、オンネチプカムイをカムイモシリ(カムイたちが住む世界)に送り届けるのだという。
参考 : 『妖怪図鑑』『十勝のアイヌ文化と川』他
文 / 草の実堂編集部