石川佐波神社 祭囃子復活50周年 時代の変遷発起人語る
石川佐波神社の祭囃子を演奏・保存する「石川佐波大明神太鼓保存会」(藤方貴夫会長)が設立50周年を迎えた。創立から初代会長として携わり、地域の子どもらを指導したのが藤方久雄さん(96)。半世紀を振り返って「長いような短いような…創立当初とは顔ぶれが異なる。そう考えると、50年経ったんだなと感じる」と話す。
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同神社の祭囃子は、毎年秋の例大祭や元日に境内で演奏されるほか、市民まつりや近隣の公民館の祭で披露される。練習期間は毎夏、月曜から土曜の夜7時半から境内に集まる。保存会は現在25人の子どもと9人の指導員、OB20人ほどが関わる。
地域つなぐ音
戦前までは秋になると地元の青年が演奏していた。当時十代の久雄さんもその一人で、主に笛を担当していた。太平洋戦争が始まり、地域から囃子の音は途絶えた。
終戦から30年が経過し、石川で造園業を営んでいた久雄さん。時代は高度経済成長期、開発が進み人口流入も増え、どの学区も子どもであふれかえる一方、地域住民同士の交流は薄れていった。その状況に「この子らが大人になった時、町内は円満にいくだろうか」と不安を感じたという。
町内がつながる機会を作るため、囃子を復活させた。復活を主導したメンバー5人は久雄さんと同世代で、戦前の石川を知る人たち。時代に合った指導方法を模索し続けた。「いつの時代も子どもは覚えるのが早い」と久雄さん。基礎練習に廃タイヤを用いてバチの振り方を覚える方法は変わらない。
当初、子どもは80人ほどいたとされる。「公民館のイベントの際に全員分の食べ物を確保するのが大変だった」と振り返る。主婦の参加者も多く、「ママさん太鼓」は話題となり、メディアに取り上げられるなど、地域を活気づけた。
みんなの「先生」
久雄さんは会長職を退いたのちも、88歳まで練習に顔を出していた。そのため地域の大多数は「弟子」だ。「復活当時の子らは今や50歳以上。道で『先生』と呼び掛けられても一瞬誰だか分からない」と笑う。
新型コロナ禍で一時期休止となった時「夏に囃子の音が聞こえてこないのはさみしい」と感じたという久雄さん。「神社のお祭りにはやはりお囃子がつきもの。これからも長く存続してほしい」と願った。