大谷翔平と同世代、“永遠のドラフト候補”が現役引退 甲子園3度出場、大学と社会人で首位打者の輝かしい経歴
高校日本代表で大谷翔平や藤浪晋太郎らとプレー
11月も終わりが近づき、2024年も残りわずか。野球界も国際大会『プレミア12』や高校・大学の秋の大一番『明治神宮野球大会』が幕を閉じ、本格的なオフシーズンの到来を迎えている。
この1年を振り返った時に、欠かすことができないのが大谷翔平の話題だろう。ドジャース移籍初年度から史上初となる「50-50」(50本塁打・50盗塁)の偉業を成し遂げ、同じく史上初の「指名打者専念でのリーグMVP」を達成しただけでなく、2023年のWBC制覇に続いて悲願だったワールドシリーズ制覇の夢も叶えてみせた。名実ともに“世界No.1”の称号を手にしたと言っていい。
一方、その大谷と同世代にあたる1994年生まれで、かつて大谷と同じユニフォームを着て戦ったこともある野球人が、この秋に現役引退という決断を下した。社会人野球・東京ガスでプレーしていた笹川晃平だ。
1994年4月21日生まれ、右投右打の外野手。浦和学院高時代には2年春と3年春・夏の3度にわたり甲子園出場を果たし、3年夏の甲子園では打率.538、2本塁打の大暴れ。9月に行われた『第25回 IBAF 18U世界選手権』の日本代表メンバーにも選出された。
▼ 『第25回IBAF18U世界選手権』日本代表
<投手>
大谷翔平(2012年・日本ハムD1位)
岡野祐一郎(2019年・中日D3位)
佐藤拓也
神原友
濱田達郎(2012年・中日D2位)
藤浪晋太郎(2012年・阪神D1位)
大塚尚仁(2012年・楽天D3位)
<捕手>
田村龍弘(2012年・ロッテD3位)
中道勝士
森友哉(2013年・西武D1位)
<内野手>
菅原拓那
田端良基
城間竜兵
伊与田一起
北條史也(2012年・阪神D2位)
金子凌也
<外野手>
呉屋良拓
笹川晃平
高橋大樹(2012年・広島D1位)
水本弦
今になって振り返ってみると、20人中9人が後にプロ入りを果たしている超豪華メンバー。大会の結果は6位で、それ以上に当時高校2年生だった森友哉がアメリカ戦で受けたラフプレーが大きな注目を浴びるなど、後味の悪い結末に終わっている。
この日本代表からは8人がプロ志望届を提出したが、笹川は志望届を出さずに進学を決断。4年後のプロ入りを目指し、新たな舞台へ踏み出した。
大学時代はプロアマ混合の侍ジャパン入り
2013年春、笹川は東洋大に入学する。前年秋に2部降格となったチームの救世主として1年春から中軸を任され、2年春には2部で首位打者を獲得するなど早くから活躍を見せた。
その後は股関節の故障もあり、チームが1部に戻った4年の春まで不振に苦しんだが、4年秋に打率.417、3本塁打でリーグ二冠王に。華麗な復活を遂げ、ベストナインにも選出されている。
また、2年時には『第1回 IBAF 21Uワールドカップ』の侍ジャパンに抜擢されている。この時のメンバーも今一度振り返っておきたい。
▼ 『第1回 IBAF 21Uワールドカップ』侍ジャパン
<投手>
中村勝(日本ハム)
戸田隆矢(広島)
森雄大(楽天)
野村亮介(三菱日立パワーシステムズ横浜)
田口麗斗(巨人)
上沢直之(日本ハム)
山岡泰輔(東京ガス)
桜井俊貴(立命館大)
横山雄哉(新日鉄住金鹿島)
熊原健人(仙台大)
平良拳太郎(巨人)
<捕手>
近藤健介(日本ハム)
高城俊人(DeNA)
若月健矢(オリックス)
<内野手>
三好匠(楽天)
北條史也(阪神)
辻東倫(巨人)
牧原大成(ソフトバンク)
柴田竜拓(国学院大)
<外野手>
鈴木誠也(広島)
武田健吾(オリックス)
笹川晃平(東洋大)
畔上翔(法政大)
榎本葵(楽天)
※所属は大会当時
プロアマ混合編成となったなか、大学生でメンバー入りを果たしたのは笹川を含めて5人しかいない。ここには同世代であり、すでにプロの舞台で頭角を現しつつあった鈴木誠也もいた。節目節目で世代を牽引する選手たちの実力を肌で感じることで、プロへの想いを強くしていった。
しかし、上述した通りこの年のオフに股関節の手術を受けた影響から、以降は思うような活躍ができず。4年春までの結果を受け、大卒でのプロ志望届の提出は見送ることに。それでも、プロへの想いを封印して挑んだ秋は見事な復活劇を見せ、次のステップへ弾みをつけた。
都市対抗で首位打者、チームを初優勝に導く
東洋大を卒業した笹川は、社会人野球の強豪・東京ガスに入社した。1年目から4番を任されるなどチームからの期待も大きく、すぐに外野のレギュラーに定着する。
2021年の『第92回都市対抗野球大会』では打率.417で大会の首位打者に輝き、チームの初優勝の原動力に。なかでもHonda熊本との決勝戦で放った一発、東京ドームのセンターバックスクリーン左に叩き込んだ打球速度170キロの一撃は大きなインパクトを残した。
都市対抗は補強選手としての出場も含め、2017年から今年まで8年連続で出場。日本選手権にも4度出場するなど、社会人でも大舞台を数多く経験。加えて『第28回BFAアジア選手権』や『第18回アジア競技大会』、昨年の『第19回アジア競技大会』と3度も侍ジャパン・社会人代表入りを果たし、高校から社会人まで全てのステージで日の丸を背負って戦ってきた。
しかし、それでも、プロへの道は開かなかった。高校時代から注目を浴びていたこともあり、“永遠のドラフト候補”として期待をかけるアマチュア野球ファンは多くいたが、ドラフト会議で笹川晃平の名前が読み上げられることはなかった。
こうして迎えた2024年の秋、30歳を迎えたシーズンのオフ。11月25日、笹川は自身の『Instagram』で引退を発表する。
結果的に現役最後の試合となった『第49回社会人野球日本選手権大会』三菱自動車岡崎戦でも2安打・1打点と活躍を見せており、来年以降も中軸として活躍するものと思われていたなかでの突然の発表には衝撃が走ったが、本人はファンに向けて次のように綴った。
「『好きな事を仕事に』出来た事。都市対抗の優勝、東京ドームで放ったホームラン。どの記憶を切り取っても全てが僕の財産であり全てが僕の自慢の野球人生だと思います」。
2012年の秋、もしくは2016年の秋。もしあの時プロ志望届を出していたら、まるで違う野球人生があったかもしれない。プロ野球の世界で笹川のプレーが見たかったという声も少なからずあることだろう。それでも、笹川は自身のキャリアについて「自慢の野球人生」と言い切ってくれた。
その後、引退の報告は「皆さん、野球は好きですか?僕は勿論いまでも大好きです」と続く。
浦和学院高では副主将、東洋大と東京ガスでは主将を務め、社会人野球最高峰の大会で優勝も経験した。加えて、各カテゴリーで日本代表に入り、国際大会でメダルも獲得している。その一方で多くの悔しさも味わい、苦悩の日々を過ごしたうえで、最後に「野球が大好き」と晴れやかに野球人生を締めくくることができる選手はそう多くない。プロの舞台に進むことはできなかったが、間違いなく充実したキャリアだったと言えよう。
「一旦立ち止まり今後の人生について考えて行こうと思います」とある通り、引退後に関してはまだ何も言及されていない。
社業に専念するのか、野球部に関わっていくのか、はたまた全く別の道を歩むのか。いずれにしても、またその名前が表舞台に戻ってきた時にどれだけ素晴らしいキャリアの持ち主だったかがすぐに分かるよう、笹川晃平の輝かしい経歴をここに残しておきたい。
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記事:SPAIA編集部