伝統工芸の駿河和染のお噺し
2024年11月17日放送の「静岡市歴史めぐりまち噺し」。今日は、伝統工芸の駿河和染のお噺しです。
語り:春風亭昇太
静岡市には「麻機」「賤機」「服織」など機織りに由来する地名が多くあります。
今川の時代には、木綿が盛んに作られて、織物と並んで染物業も発達し紺屋町の名も残っています。
近郊の農村では型染や手描きの染色に使われる染料の藍が栽培されていました。
藍は、紀元前から世界各地で使われてきた最古の染料で、防虫・消臭・抗菌効果があり日本には飛鳥時代に中国から伝わったとされています。
江戸時代には武家のための幟や旗差物、町屋のためののれんや半纏、作業着や祝儀物として使う風呂敷などが、駿府で生産されていました。
明治になると交通の発達によって、他の産地で作られたものが入ってくるようになり、機械染色の発展などもあって駿府での紺屋の仕事は減少していきました。
大正後期、民藝運動によって静岡の染物が、改めて注目されることになります。
静岡市出身の染色家・芹沢銈介が民藝運動の中心人物のひとりとなり、駿河の和染に大きな影響を与えました。
芹沢は技術継承やデザイン性の向上に力を注ぎ、静岡市内の若手染色師たちが芹沢に師事しました。
江戸時代から受け継がれた伝統に人間国宝・芹沢銈介によって、新しい活力が吹き込まれた「駿河和染」。
静岡市の伝統工芸として守り続けられるとともにその進化は続いていきます。
静岡市歴史めぐりまち噺し、今日のお噺しはこれにて。 <!-- tag:伝統工芸/area:静岡市駿河区 -->