夫婦で紡ぐ経堂『さばのゆ』物語。優しさも、温かみも、ちゃんとそこに宿ってる
経堂のみならず、全国津々浦々から人々が集い、談笑する、不思議な店『さばのゆ』。2023年、店主の須田泰成さんが急逝し一時休業となったが、店は現在、妻の直子さんが守っている。これまでのコト。そして、これからのコト。とくとお話を伺った。
『さばのゆ』創業者・須田泰成さんの軌跡
植草甚一の本に影響を受け、1997年から経堂に在住。業界紙記者などの経験を生かしてウェブサイト「経堂系ドットコム」を運営し、界隈の個店の紹介やイベントプロデュースに力を注ぐ。2007年にサバ缶を使った街おこし「さば缶フェア」を実施。09年、『さばのゆ』を開業。東日本大震災で被災した『木の屋石巻水産』の泥だらけの缶詰25万個を有志と手洗いし、義援金と交換するという支援活動が「希望の缶詰」として話題を呼んだ。
「店をなくしたら、思い出も消える気がして」
泰成さんは「利他の人」として知られていた。経堂を愛し、界隈の店を愛し、いつも誰かのために動いていたのだ。『さばのゆ』も「コミュニティーのハブになる、人が集まる場所を」と願いを込め、地域を盛り立てるために始めた店だ。
「泰成さんのポケットには、いつもサバ缶が入っていたんですよ」と、目を細めるのは妻の直子さん。二人の出会いもサバ缶だというのだから、運命とはかくも数奇なモノである。
泰成さんは2015年、とあるウェブサーバー管理会社のノベルティとして「サーバー屋のサバ缶」を製作した。これが2022年、リニューアルすることとなった際に「インパクトあるデザインを」と抜擢したのが、グラフィックデザイナーとして活躍していた直子さんだった。職人気質な二人は意気投合し、2023年1月30日に交際を開始。さらに、商品の納品日の3月8日が交際38日目ということに気づき「38(サバ)婚」をしてしまう。なんたる芸術点の高さ!
一方、客同士のコミュニケーションをウリとしていた『さばのゆ』は、コロナ禍で大打撃を受けていた。二人は店内改装や商品開発など、力を合わせて方向性を模索する。ついに新たな名物・ビリヤニが誕生し、再スタートを切った矢先の2023年12月24日。泰成さんが店で倒れた。脳幹出血だった。駆けつけた直子さんは救急車で「明日のラジオ中継をキャンセルしてくれ」と言づてされた。それが、泰成さんの最期の言葉となった。「店を辞めるのが一番楽だったと思います」。しかし、迷いの中で、泰成さんとの記憶が頭をよぎる。
「自分の好きな店がなくなるのを、とても悲しむ人でした。そんな彼が愛していた『さばのゆ』をなくしてしまうのは、私自身も、すごく悲しくて」
泰成さんの意志を絶やさぬよう、思い出を消さぬよう、直子さんは今日も店に立つ。「彼が大切にしてた優しくてフラットな雰囲気を大事に」。これからも『さばのゆ』の物語は、夫婦二人によって紡がれてゆく。
新名物はビリヤニ&コロッケ
「サバ缶を使ったビリヤニがうまくいって」と、直子さん。いろいろな食材とコラボしやすいビリヤニは店のテーマ「つくると つなげる」とピッタリ。コロッケは「台風コロッケ」というインターネットのネタが元。落語会などのイベントも不定期で開催している。
さばのゆ
住所:東京都世田谷区経堂2-6-6 plumboxV 1F/アクセス:小田急電鉄小田原線経堂駅から徒歩3分
取材・文=どてらい堂 撮影=丸毛 透
『散歩の達人』2024年9月号より
どてらい堂
熱血物書き
インタビュー記事を得意とするが、街頭調査やルポルタージュなど、体当たりな企画はより嬉々として勤しむ1984年生まれのB型男。主に『散歩の達人』で執筆。漫画・アニメ・格闘技オタクで、少年漫画脳な気質が文章にちらほら。たこ焼きの腕だけはプロ以上。