「冒険ダン吉」から「椰子の実」まで。日本人はなぜ南の島に惹かれるのか?“南洋幻想”を紐解く
SBSラジオ「TOROアニメーション総研」のイチオシコーナー、人気アニメ評論家の藤津さんが語る『藤津亮太のアニメラボ』。今回は、なぜ日本人が「南洋幻想」を持つのか、その歴史についてお話を伺いました。※以下語り、藤津亮太さん
日本人はなぜ南の島にロマンを感じるのか
日本人は「南洋幻想」という、南の島に対する懐かしさを含んだロマンのような感情があるといわれ、それを育んだ作品の一つに『冒険ダン吉』という漫画があります。この作品は物語に近い形式で、1933年から『少年倶楽部』という雑誌に掲載されていました。
偶然南の島に着いたダン吉くんが、カリ公という機転のきくネズミと2人で島の王様になり、現地の動物や人々と協力しながら文明社会を築いていくという話です。異世界転生ものではないけれど、ちょっと『転生したらスライムだった件』っぽいですね(笑)。この作品は、日本人が南の島を「完全な外国」ではなく、冒険の舞台というロマンの対象として捉えていたことを示す一例だといわれています。
唱歌の『椰子の実』もこの南洋幻想と関係があります。この詩は島崎藤村によって書かれ、1900年に発表されました。後の1936年になって大中寅二によって曲がつけられ、国民的な叙情歌として知られるようになります。
この歌のそもそものきっかけは、民俗学者の柳田國男が、愛知県の伊良湖岬で南から流れ着いたヤシの実を見つけたことでした。この話を島崎藤村にしたところ、出来上がったのが『椰子の実』の詩でした。柳田自身もこのときの体験を踏まえて、日本人の祖先は黒潮に乗って南方からやって来たのではないか、と考えるようになります。
『椰子の実』の歌も、戦後に発表された日本人南方起源説も、遠い南の島が我々と海でつながっているというロマンを伝えるものでした。南方起源説は科学的に否定されていますが、このように、流れ着いたヤシの実は南洋幻想の定着の中で重要な役割を果たしました。
また『椰子の実』の詩が書かれたころ、別の南の島ブームが起こっています。押川春浪という小説家が『海島冒険奇譚海底軍艦』という作品を発表しているのですが、これは日本軍の士官で大発明家の櫻木大佐が「電光艇」というスーパー潜水艦を作り、南の島を舞台に活躍する話です。ここでは直接的に南の島がロマンある物語の舞台として描かれています。
さらに1920年になると、第一次世界大戦後、ドイツが領有していたミクロネシアの一部を日本が委任統治することになり、日本の統治下の南の島が生まれました。さきほどお話した1933年に『冒険ダン吉』が始まった背景には、そのような国際政治の流れもあったのです。
『冒険ダン吉』は非常に人気があり、玩具映画という形でアニメ化されました。玩具映画とは家庭用の映画のことで、映写機を持っている裕福な家庭がフィルムを購入して鑑賞するものです。1分~1分半程度のエピソードが作られ、家庭で見られていたようです。戦前のアニメーションを集めたDVDなどで見ることができます。また1960年代には、ある会社がパイロットフィルム(放送前にスポンサーを集めたりテレビ局にプレゼンするための短編)としてアニメ化したといわれています。
このように日本人には「南洋幻想」があり、それは徐々に蓄積されていきました。南の島は特別な場所として日本人の心に記憶され、その延長にアニメなどに出てくる南の島があります。南の島が出てくる場合、そこでの生活をリアルに書くというよりは、幸福感やある種の癒しの場所として描かれることが多いのですが、それはやはり「南洋幻想」があるからだと思います。根拠があるわけでもないのになぜか「心の故郷」というニュアンスが出てくるのは、そういった歴史の積み重ねがあるからなのですね。