読めば絶対に走りたくなる名著『BORN TO RUN 走るために生まれた』を特別公開
現代社会と隔絶して暮らす“走る民族”ララムリ、過酷な地形を24時間走り続けるウルトラランナー達――常識外れに思える彼らのランニング理論を紹介し、一大ムーブメントを巻き起こした『BORN TO RUN』の刊行から14年、待望の実践書『BORN TO RUN 2 “走る民族”から学ぶ究極のトレーニングガイド』が1月27日に発売します。発売を記念し、本記事では『BORN TO RUN』を一部抜粋して特別公開します。
「どうして私の足は痛むのか?」
そもそもの発端は、答えの見つからない素朴な疑問にあった。
「どうして私の足は痛むのか?」
アメリカにおけるスポーツ医学の大家に会いにいったのは、見えざるアイスピックが私の足の裏を貫くからだった。そのまえの週、雪の積もる農道へ3マイル〔約5キロ〕の軽いジョギングに出かけた私は、急に激痛を感じ、右足をつかんで悲鳴とともに雪のなかに倒れこんだ。落ち着きを取り戻したところで、出血のひどさを確かめてみた。尖った岩か、雪のなかに隠れていた古釘が足に刺さったにちがいない。そう考えたのだが、血は一滴も流れていなかったし、靴に穴もあいていなかった。
「走ることがあなたにとっては問題なのです」数日後、足を引きずりつつフィラデルフィアの診察室を訪れると、ジョー・トーグ博士はそう断言した。博士は私をX線で検査し、歩く姿を観察して、立方骨の炎症だと診断した。
「でも、たいして走ってませんよ」と私は言った。「2、3マイルを1日おきという程度で。それもアスファルトの道じゃない。たいがい土の道です」
そういう問題ではなかった。「人間の身体はそのような酷使に耐えられるようにはできていない」とトーグ博士は答えた。「とくにあなたの身体は」
博士の言いたいことはよくわかった。私は193センチで104キロあり、このサイズの男はバスケットボールのポスト役か大統領の盾になるのがお似合いで、街の通りをどたどた走りまわるのは向いていないと何度も言われていたのだ。
40代を迎えたころから、私にも理由がわかりはじめた。バスケットをやめてマラソンランナーをめざすようになってからの5年間、私はハムストリング〔腿の裏側を縦に走る大腿二頭筋、半膜様筋、半腱様筋の総称〕の断裂(2回)、アキレス腱の損傷(たびたび)、足首の捻挫(両足を交互に)、土踏まずの痛み(再三再四)などに苦しみ、踵が痛くて階段を下りるときは後ろ向きにつま先で歩かなければならなかったりした。そしていま、どうやら足のなかでいちばん従順な分子まで反乱に加わったらしい。
「では、手の打ちようがないのですか?」私はトーグ博士にたずねた。
博士は肩をすくめた。「ランニングをつづけるのはけっこうだが、またこれを打ちに戻ってくることになるでしょう」と彼は言い、コーチゾンのつまった太い注射器をチンと指の爪ではじくと、私の足の裏に針を突き刺した。これに加えて、モーションコントロール機能つきのランニングシューズ(安くても150ドル、二足を交代で履く必要があるので、計300ドル)の内側に、特注の矯正具(400ドル)を装着しなくてはならないという。だが、それは本当の高額な出費を先送りするだけだ。いずれ博士の待合室を再訪することは避けられない。
それにしても、なぜ地球上に暮らすわれわれ以外の哺乳類は、脚を頼りにできるのだろう? それに、1マイル4分の壁を初めて破ったバニスターのような男が毎日研究室から飛び出して室内履き同然の薄い革のシューズで硬い陸上トラックを走り、タイムを縮めるだけでなく、けがをしないでいられるのはどういうわけなのか? どうして一部の人間はライオンのように、そしてバニスター式に毎朝、日の出とともに走っても平気なのに、ほかの者は大量のイブプロフェンで痛みを抑えないと、足を地面につけられないのか?
どれも非常によい質問だった。だが、やがて私は知ることになる。答えを知っている唯一の民族――その答えを実践するただひとつの民族――は語ろうとしない。
とくに私のような人間には。
2003年の冬、出張先のメキシコでスペイン語の旅行誌をぱらぱらとめくりはじめたときのことだった。ふと、崩れた岩の斜面を走るイエスの写真が私の目を引いた。
よく見ると、イエスではないにしても、ローブにサンダルという格好の男が瓦礫の山を駆け下りているのはまちがいなかった。私はキャプションを訳しはじめた。が、現在時制で書かれているのがどうにも解せなかった。一読したところ、アトランティスのような、滅亡した賢明なる超人たちの帝国に関する架空の伝説に思えたからだ。結局、私の見立てが正しかったことは徐々に明らかになっていく。ただし、〝滅亡した〞と〝架空の〞という部分を別にして。
謎めいた峡谷の秘境にこもるタラウマラ族の地には、犯罪も戦争も窃盗もなかった。汚職、肥満、薬物中毒、強欲、家庭内暴力、児童虐待、心臓病、高血圧、二酸化炭素排出もなかった。彼らは糖尿病にもうつ病にもならなければ、老いることさえなく、55歳でも10代の若者より速く走り、80歳のひいおじいさんがマラソン並みの距離を歩いて山腹を登ってみせる。癌の罹患率はかろうじて検知可能な程度だった。ララムリの非凡な才能は経済学にも枝分かれし、酒と無差別の親切によるユニークな金融システムをつくりだした。貨幣のかわりに好意と大量のトウモロコシビールを交換するのである。
謎に包まれたタラウマラ族の本当の名前は〝ララムリ〞――走る民族――だ。〝タラウマラ〞と名づけたのは、民族の言語を解さない征服者たちだった。この一方的な名前が定着したのは、ララムリが例のごとく、ぐだぐだと議論するのを嫌って走り去ったからだ。いまも昔も、攻撃には逃走で応えるのがララムリ流である。16世紀にエルナン・コルテス率いる武装した侵略者たちが鳴り物入りで彼らの故国に押し寄せて以来、20世紀の革命家パンチョ・ビヤの荒馬乗りたちやメキシコの麻薬王たちによるその後の侵略に対しても、タラウマラ族はさらに遠くへ、さらに速く走って追っ手をまき、バランカス・デル・コブレの奥に引きこもってきた。
マラソンを走るとき、ララムリは祝祭として楽しもうとする。食事、ライフスタイル、野心の点からいえば、彼らは陸上コーチにとって悪夢でしかない。年中トウモロコシビールをあおり、成人してからの3日に1日は酔っぱらうか、酔いをさましてすごすことになる。ランス・アームストロングとはちがって、電解質が豊富なスポーツドリンクを大量に飲んだりしない。練習の合間にプロテイン・バーで体力の回復に努めることもない。それどころか、たんぱく質はほとんど口にせず、もっぱら好物の焼きネズミで味つけした挽きトウモロコシを常食としている。レース当日にいたるまで、トレーニングや調整はしない。ストレッチや準備運動もしない。ただ、ふらふらとスタートラインにつき、笑って冗談を言いあい……そしてつぎの48時間は鬼のように走りまくる。
〝それでどうして身体を壊さない?〞 私は不思議だった。本来なら、われわれ――最先端のランニングシューズと特注の矯正具を装備した者――が死傷率ゼロで、ララムリ――はるかに長い距離にわたって岩だらけの土地を、靴とは言いがたい靴を履いて走る者――こそ、故障が絶えないのではないのか? 酷使された脚がいちばん元気で、もっとも健康な人々がもっとも粗末な食事をし、無学な民族が誰よりも賢く、もっとも勤勉な男たちがいちばん楽しんでいる……。
こうしたことと走ることはどう関係しているのだろう? 世界一見識のある民族が世界一素晴らしいランナーであるのは、ただの偶然なのだろうか? かつてこのような知恵を求める者は、ヒマラヤ山脈に登っていた。だがそれは、テキサス州から国境をひと越えしたところに昔からずっとあったのである。
著者
クリストファー・マクドゥーガル
作家・ジャーナリスト。AP通信の外国特派員としてルワンダやアンゴラの戦争取材を行い、その後Men’s Health 誌のライター兼編集者となる。著書に『BORN TO RUN 走るために生まれた』『ナチュラル・ボーン・ヒーローズ』(ともにNHK出版)など。ウルトラマラソン・ランナーでもある。20年にわたるペンシルヴェニア州郊外での生活をへて、現在は妻の出身州ハワイに暮らす。