【合志市】次に飛び立つ時は希望と一緒でありたいと願った。県内唯一の奉安殿で戦争を視る~旧黒石原陸軍飛行場 奉安殿跡~
合志市に熊本県唯一の奉安殿(ほうあんでん)があるのを知っていますか? 非情に貴重な戦争遺跡ですので、ご紹介したいと思います。
場所は合志市豊岡
すぐ近くには美味しいパン屋さんマルシェ・オ・パンがある、とてものどかな所です。 住宅街の中に綺麗な芝生スペースがあり、
突然に「旧黒石原陸軍飛行場 奉安殿跡」が現れます。
記者の家はこちらの「旧黒石原陸軍飛行場 奉安殿跡」近所で、子供の頃からよく通る場所でしたが気にも留めた事がありませんでした。それほどに住宅街の中に馴染んで残っているのです。
奉安殿とは一体なに?
そもそも「奉安殿」とは何なのでしょうか?
奉安殿(ほうあんでん)とは、戦前の日本において、天皇皇后(明治天皇と昭憲皇太后、大正天皇と貞明皇后、昭和天皇と香淳皇后)の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物である。
Wikipediaより 天皇陛下の写真や教育勅語(きょういくちょくご)を保管していた建物という事です。 そして教育勅語というのは明治23年(1890年)10月30日に発布されたもので、簡単に言うと「明治天皇が国民に発したおことば」です。
現代ではなかなかピンとこないですね。 「奉安殿」は当時学校などに多く置かれ、戦時下の子供たちは前を通る時は深々とお辞儀をして通らなければなりませんでした。 こちらは学校跡ではなく、黒石原飛行場ですが。
こちらの写真は昭和16年 創建時の奉安殿。
建築物としては様々なバリエーションが存在する。ギリシャ建築風や鉄筋コンクリート造り、レンガ造りの洋風建築から旧来の神社風建築など、意匠を凝らした物が多い
Wikipediaより
大理石の豪華な造り
中の様子。こちらの奉安殿は洋風な作りで、現在多く見かけるシンプルでオシャレな四角いお家のようです。
外側には大理石が貼られているという豪華な作りだったようです。中には剥がれた大理石が置かれていました。
GHQによりほとんどが解体される
奉安殿は昭和20年の終戦後、GHQの「日本が二度と戦争をしてこないようにする事」、「日本を民主化させること」を主とした中の神道指令のため、多くが破壊されたとの事。
こちらの「旧黒石原陸軍飛行場 奉安殿跡」は解体を免れて、原形、原位置に残る熊本県で唯一のものとなります。
こちらの場所は熊本地方航空機乗員養成所であったとの事。今はこのようにのどかな場所ですが、終戦までの4年間でここから534人が巣立っていったとの事です。 そして、昭和20年3月から4月にかけては沖縄戦に出撃する特攻隊の中継基地として利用されていたそうで、つい最近知覧特攻平和会館に行った記者は、様々な事を深く想い胸が痛みました。 同年5月13日には米軍機による空襲を受け、7名の方が命を落としたとのこと。
こちらの写真はグライダーの訓練の様子。 こちらの写真の方々はその後どういう人生を送られたのでしょうか。
まとめ
菊池には花房飛行場もあり、菊池に住んでいた今は亡き親戚の女性(80代後半)から聞いた話があります。 「特攻隊でね、なんべん行ってもすぐ戻ってくる人がおってからね。まーたあんひとは戻ってこらしたたい、ていつも見よったたい。上の人からたいがおごられてからね~。そっで、ある日とうとうもどってこらっさんかったたい。」と。 「旧黒石原陸軍飛行場 奉安殿跡」に立って、絵画のような青空を眺めながら、空に消えていったその若き兵士の事を想い涙が出ます。 合志市にお寄りの際は是非こちらで貴重な戦争遺跡を見てみてはいかがでしょうか。 参照 引用 合志市教育委員間案内板、くまもと戦争遺跡・文化遺産ネットワークリーフレット