スウェディッシュ・ポップといえばカーディガンズ!1995年 J-WAVE 年間チャート堂々2位
連載【新・黄金の6年間 1993-1998】vol.41
▶ カーディガンズ / LIFE(アルバム)
▶ 発売:1995年3月25日
1993年に幕を開けた「新・黄金の6年間」
「新・黄金の6年間」がある。
―― と、その前に、まずは “新” がつかない「黄金の6年間」の説明から。それは、1978年から1983年までの6年間を指し、東京が最も面白く、猥雑で、エキサイティングな時代だった。音楽もテレビも小説も映画も広告も演劇も―― 様々なエンタメが垣根を超えて交わった。
TBSの『ザ・ベストテン』は日本テレビのスタジオから水谷豊の「カリフォルニア・コネクション」を中継し、村上春樹は文壇と距離を置いて広告業界とコラボした。芸人のビートたけしは大島渚監督に乞われ、映画『戦場のメリークリスマス』のラストシーンを飾り、カンヌ国際映画祭でスタンディング・オベーションを浴びた。
時は過ぎて、1990年前後―― 昭和が終わり、バブルが崩壊し、東西冷戦が終わり、それまで日本や世界を覆っていた常識がガラガラと音を立てて崩れ始めた。そして2年が過ぎた1993年、「新・黄金の6年間」が幕を開ける。スクラップ&ビルド―― それはエンタメ界をメインステージに、キャストの多くは新人たちで構成された。彼らは音楽、ドラマ、バラエティ、CM、アニメなどのジャンルを自由に行き来し、巨大なマーケットを生み出した。
彼らには、いくつかの共通点があった。スモール、フロンティア、そしてポピュラリティである。“スモール” とは、小回りの利く制作体制。若い新人脚本家を登用し、プロデューサーとの二人三脚で視聴率20%台を連発した “連ドラ黄金時代” がこれに該当する。“フロンティア” とは、固定概念を脱ぎ捨て、新天地へ乗り出す気概。音楽番組冬の時代にデビューしたSMAPは、自らトークなどのスキルを磨き、バラエティ番組に活路を見出した。“ポピュラリティ" とは大衆性、即ちベタ。排他性を楽しむカルチャーではなく、誰もが共感できる温故知新のクリエイティブが、90年代の音楽市場に多くのミリオンセラーをもたらした。
スウェディッシュ・ポップを一躍日本に知らしめたレジェンド、カーディガンズ
さて―― 今回のコラムは、そんな新・黄金の6年間(1993年〜1998年)のトピックの1つである “スウェディッシュ・ポップ” の話である。
I will never know
(私は知らない)
'Cause you will never show
(だって、あなたが見せてくれないから)
Come on and love me now
(こっちへ来て 今すぐ愛して)
Come on and love me now
(こっちへ来て 今すぐ愛して)
――そう、スウェディッシュ・ポップを一躍日本に知らしめたレジェンド、カーディガンズの「カーニヴァル」だ。時に、1995年4月1日―― 同シングルはリリースされるや、FMラジオや街の小洒落たカフェなどでかかりまくり、瞬く間に人々を魅了。夏にかけてスマッシュヒットした。俗に、音楽は時代のBGMと言われるように、同曲を聴いて、1990年代半ば(ミッド・ナインティーズ)の夏のポップなシーンを思い起こす人も少なくないだろう。実際、夏の短い北欧の人たちはことさら夏への憧れが強く、スウェディッシュ・ポップが夏との親和性が高いのもその表れである。
曲の特徴は、1960年代のフレンチ・ポップを思わせるような、どこか懐かしいサウンドと、一聴して耳に馴染むストリングスのメロディ。女性ボーカルのメランコリックな歌い方も曲に馴染んだ。プロデューサーは、かのスウェディッシュ・ポップの大家、トーレ・ヨハンソンである。ミュージックビデオも確信犯的に60年代のイメージで作られ、メンバーのファッションやビンテージ楽器、ロケーションなど絶妙にオシャレに仕上がっていた。懐かしいのに新しい―― そんな不思議な二面性を持った楽曲だった。
小山田圭吾やカヒミ・カリィ、カジヒデキら渋谷系のミュージシャンが注目
カーディガンズは、1992年にギターのピーター・スヴェンソンとベースのマグナス・スヴェニンソンを中心に結成された5人組のバンドである。メンバー全員、スウェーデンの小都市ヨンコピンの出身。ボーカルのニーナはアートスクールの学生だった。翌1993年、バンドは活動拠点をスウェーデン第3の都市のマルメに移し、そこでデモテープがプロデューサーのトーレ・ヨハンソンの目に留まり、彼のタンバリン・スタジオへ招かれる。
そして1994年―― トーレのプロデュースで、カーディガンズはファーストアルバム『エマーデイル』でデビューする。同盤はスウェーデン国内でいきなり29位にランクイン。海外でも発売され、トーレ・ヨハンソンの名前と共に、スウェディッシュ・ポップがイギリスや日本など、一部の耳の肥えたリスナーたちに注目される。その中に小山田圭吾やカヒミ・カリィ、カジヒデキら渋谷系のミュージシャンたちもいた。
「LIFE」が世界的にスマッシュヒット
バンドがブレイクするのは翌1995年である。3月にセカンドアルバム『LIFE』を発表すると、世界的にスマッシュヒット。中でも日本はスウェーデン本国のチャート20位を上回る13位にランクイン。セールスも20万枚を超え、世界で一番売れた国とも言われる。そして同盤からシングルカットされたのが、前述の「カーニヴァル」だった。
Carnival came by my town today
(今日、私の町にカーニヴァルがやってきた)
Bright lights from giant wheels
(巨大観覧車の明るい光が降り注ぐ)
Fall on the alleyways
(この路地にも)
And I'm here by my door
(そして私はドアのそばで)
Waiting for you
(あなたを待ってる)
それまでカーディガンズの楽曲は、発起メンバーのピーター・スヴェンソンが作曲を、マグナス・スヴェニンソンが作詞を手掛けていたが、同曲は初めてニーナが作詞を担当。女性目線の物憂げな語りが、見事にメランコリックなメロディにハマり、それがバンドのブレイクに結び付いたのは間違いない。
カーディガンズが日本でブレイクした理由
ただ、不思議なことに、この「カーニヴァル」は、スウェーデン本国ではヒットしていない。むしろ、イギリスやオランダなど海外でヒットして、中でも最大のヒットが日本だった。何せ、J-WAVEの『TOKIO HOT 100』の1995年の年間チャートで堂々の2位。実際、カーディガンズは当時、2年で6回も来日している。なぜ、ここまで日本でブレイクできたのか。
生物学に “シェルドレイクの仮説” なる考察がある。別名 “共鳴現象” とも。その昔、宮崎県の幸島で起きた “百匹目の猿” の伝説がそう。ある日、1匹のメス猿が海水でイモを洗うと美味しいことを発見したところ、瞬く間に群れにその行動が伝播。そして100匹目の猿が真似したところで、遠く離れた大分県・高崎山の猿の群れも突然、芋を洗い始めた―― というもの。今では “作り話” と否定されてるけど、それでも一部の人たちの中に、根強くこの仮説を信じる人たちもいるらしい。
まぁ、あえてその仮説に乗っかるとすれば(笑)、日本で「カーニヴァル」が異常にヒットした背景に、同様に “共鳴現象” があったのではないか。そう、ポップでメロディアスで、優れた過去の作品からインスパイアされたオシャレな世界観―― “渋谷系”である。
“ブースト” として作用した渋谷系のマーケット
80年代末から90年代半ばにかけて、日本の音楽界は、フリッパーズ・ギターを始め、ピチカート・ファイヴ、オリジナル・ラブ、小山田圭吾、小沢健二、スチャダラパー、カヒミ・カリィ、カジヒデキ―― 等々、“渋谷系” と呼ばれる一派が存在感を発揮した。そして時を同じくして、遠く離れた北欧の地でも、トーレ・ヨハンソン率いる “スウェディッシュ・ポップ” が生まれたのである。
そう、日本でカーディガンズがすんなり受け入れられた背景に、渋谷系のマーケットが “ブースト” として作用したのは想像に難くない。何せ、「カーニヴァル」がリリースされる2年も前に、同じく1960年代をオマージュしたピチカートファイヴの「スウィート・ソウル・レヴュー」がスマッシュヒット。更には、カーディガンズのデビューアルバムに収録された「ライズ&シャイン」のミュージックビデオは東京で撮影され、カヒミ・カリィがカメオ出演。もはや “両派” は一心同体とも――。
1996年、カーディガンズはサードアルバム『ファースト・バンド・オン・ザ・ムーン』をリリース。同盤は世界的大ヒットとなり、シングルカットされた「ラヴフール」は映画『ロミオ+ジュリエット』の劇伴で使用され、全米・全英チャートで2位、日本のオリコン(洋楽部門)では念願の1位を獲得した。「カーニヴァル」より、こっちが好きという人も多い。ポップでメランコリックでオシャレ。ジス・イズ・スウェディッシュ・ポップの名曲だ。
ちなみに、トーレ・ヨハンソンは、カーディガンズのヒットを機に日本人アーティストのプロデュースも手掛けた。その手始めが、1996年4月リリースの原田知世のシングル「100 LOVE-LETTERS」。翌1997年1月には名曲「ロマンス」もプロデュース。更に同年、カジヒデキのファーストアルバム『MINI SKIRT(ミニ・スカート)』とBONNIE PINKのセカンドアルバム『Heaven's Kitchen』も手掛け、いずれもオリコンTOP10に入るスマッシュヒット。
すべて、「新・黄金の6年間」の話である。
Information
新・黄金の6年間 1993-1998~ヒットソングとテレビドラマに胸躍らせた時代~
90年代カルチャー総まくり!音楽、ドラマ、バラエティ、CM、アニメなどのジャンルから大型ヒットが生まれた1990年代。なかでも1993〜1998年の6年間に、なぜ多くの才能が次々と花開いたのか。その時代背景やヒットの仕掛けに迫る、リマインダーの人気連載を書籍化。
著者:指南役
発行:2024年12月16日(月)
定価:1,980円(10%税込み)
発行:日経BP
仕様:四六判・並製・296ページ