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千葉市の大学敷地内にひっそりたたずむ明治の息吹。鉄道聯隊材料廠煉瓦建築(煉瓦棟)の一般公開レポ

さんたつ

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現代に残る戦跡の中には、関係者以外立入禁止となっている場所にひっそりとたたずむものがあります。遺構に触れられるのはごく限られた関係者のみのため、保存状態が良好だったり、当時の状態が色濃く遺されたままだったりと、状態の良いものが多いです。

鉄道連隊の材料保管用煉瓦建築は大学敷地内にある

旧日本陸軍はさまざまな部隊がありましたが、鉄道の部隊「鉄道連隊」もありました。戦地で必要となる鉄道の敷設、修復、破壊を主に行う部隊で、かの有名な泰緬鉄道も鉄道連隊が主となって敷設しました。

演習や訓練は広大な敷地を必要とし、敷地の確保が千葉県では可能でした。鉄道連隊は明治40年(1907)に千葉県の津田沼へ、その後第一連隊が現在の千葉市へ移転し、1945年の終戦まで、広大な敷地で訓練が続けられました。第一連隊は明治41年(1908)に移転し、そのときに建設されたのが材料廠煉瓦建築(通称・煉瓦棟)です。車両の組み立て、軌道、物資の備蓄と管理を行った煉瓦建築物となります。

煉瓦棟の外観。使用された煉瓦は標準的な規格で、オランダ積みという方法で組まれた(2024年10月撮影)。
煉瓦棟の概要と生い立ちは案内看板に書かれている(2024年10月撮影)。

煉瓦棟は大正12年(1923)に関東大震災で被災するも倒壊はせず、補修のうえ使用されました。戦後は第一連隊の敷地が大蔵省へ引き継がれたのちに日本国有鉄道(国鉄)が借り受け、修理工場やレールセンターと呼ばれたレールを管理する施設となりました。

しかし国鉄末期に払い下げられて、敷地の3分の2が千葉経済大学となったのです。ほとんどの建物は解体されたものの、煉瓦棟は学校の施設に活用できないかと補修されました。ところが千葉市から、煉瓦建築物の校舎転用は建築基準法に照らして適当ではないとのことで、施設として使用はできなくなってしまいました。

本来ならばこの時点で解体されるところですが、明治時代からの陸軍鉄道連隊の歴史を知る上でも貴重な建築物であるから、後世に残すべく文化財として保存しようと大学が動き、1989年に千葉県の有形文化財の認可を受け、恒久的に保存されることとなって、現在に至っています。

企画展の開催によって希望者は煉瓦棟を見学できる

煉瓦棟は大学の敷地内ゆえにフラッと訪れることは叶いません。

見たいけれど、学生ではないから見られない。

そんななか、我々一般の人にもチャンスが巡ってきました。2024年5月27日から10月31日まで、「学び舎に残る歴史 〜煉瓦棟と千葉の戦跡〜」企画展と合わせ、希望者には一般公開しているのです。

図書室では10月31日まで企画展を開催しており、煉瓦棟だけでなく、鉄道連隊についてや千葉県の鉄道遺構にも触れられている(2024年10月撮影)。

かなりギリギリとなってしまいましたが、10月14日の鉄道の日に機会があって、グループで見学できましたのでこの連載で紹介させていただきます。なお、この建物は学内でも立入禁止であり、一部の壁面は劣化しているため、職員同行のうえヘルメット着用での見学となります。

見学の前に図書室で開催中の企画展へ行きます。企画展では煉瓦棟の概要解説だけでなく、鉄道連隊そのものの概要、珍しい鉄枕木、千葉県の軍施設などを紹介しており、第一連隊材料廠とは?鉄道連隊とは?と、何も存じなくても、ここで事前に知識を入れていけば、煉瓦棟見学がより深まります。

企画展では大学の学生達が制作した1/150サイズの煉瓦棟の模型も展示している(2024年10月撮影)。

職員同行でキャンパス内にある煉瓦棟へ移動します。周りはクラブハウス棟、テニスコート、駐車場があって、大学敷地の端っこという感がします。テニスコートの脇の木立の合間から、ちらっと顔をのぞかせるレンガの建物。壁面は一部しかのぞけませんが、トタンの壁面が覆っており、上部に明かり取りの小型アーチ窓が一列に並び、深めの屋根が目に止まります。

煉瓦棟の外観。壁面に迫り出すトタンの増設部分は壁面の左右にあった(2024年10月撮影)。

こういった遺構は隅っこのほうで静かにたたずんでいるんだよなと思いながら、セオリーどおりの展開に少し興奮を覚えます。外観をパチパチとカメラに収める私たちのグループの横を学生の男女グループが通りかかりながら、

「え、この建物なに?」

「なんか、昔に電車が入っていたみたいだよ」

男子学生が教えています。たしかに電車(=鉄道)の建物には違いない。学生たちの会話はすぐ違う話題となって去っていきましたが、存在が当たり前すぎて気に留めていない様子。もし、大学内にこのような素晴らしい遺構が残っていたら、私ならば毎日通うだけでなく住みたいと言い出すだろうし、きっと建物の周囲を掘り出して遺物探しをしていたことでしょう。

内部に入ると10連アーチのレンガ構造が出迎える

ヘルメットを被っていよいよ内部へ踏み入れます。

おお……がらんどうと思っていた内部は、対になった10連アーチが弧を描いているのです。屋根部分は幾重にも梁が張り巡らされて複雑な形状を見せ、まるでお堂にいるかのような神々しさ。しばし言葉を失います。

神殿を連想させる内部。10連アーチが神々しく見える。平屋建てながらあかり取り用の小窓が上部へズラッと並んで空間は広い(2024年10月撮影)。
“2”はレンガアーチの柱に記されており、国鉄工場となってから記載されたものと思われる(2024年10月撮影)。

連続アーチの上部は小型アーチの明かり取り窓へと続いていて、これらは一体になっているのだなと理解できます。いっぽう、外観で見たトタンの壁面は煉瓦棟の両サイドにあり、連続アーチの外側にあるのです。つまり、トタンの壁面が後から増設されたように感じるのです。

竣工時は連続アーチ部分が壁面で、後々のカスタマイズによってトタン部分を迫り出して増設させたのか。国鉄時代ではすでにこのような形状であったと、古い写真を見て判断しました。戦時中か戦前か、第一連隊の時代に増設したのか、ちょっと定かではありませんが、チグハグに増設された煉瓦棟は、幾重にも年輪を刻んできたようにも見えます。

入り口部分はトタンの増設した部分であった。室内に入るとすぐに巨大アーチ橋が目の前に……(2024年10月撮影)。
10連アーチと上部に小窓がびっしりと並ぶ姿が。威厳のある空間に包まれてきた(2024年10月撮影)。
アーチは庫内のため華美な装飾を施す必要がないからなのか、シンプルな構造であった。左のアーチと右部分は重なるようにしてレンガが巻かれている(2024年10月撮影)。

内部を見学しながらさらに気になったのは、アーチの支柱です。補強の鉄板が巻かれているのです。少々痛々しくも見えるのですが、鉄板はかなり経年経過しており、大学の所有となってからのものではありません。この補強は関東大震災による損傷の処置かもしれませんが、手元の資料では分からず、推測の域を脱していません。

ほとんどのアーチに何かしら鉄板が巻かれていた(2024年10月撮影)。
アーチ部分にも補強板が巻かれており、応急処置を施してそのまま使用され続けたと思われる(2024年10月撮影)。
アーチの下部も若干歪んで劣化している箇所があった(2024年10月撮影)。

10連アーチを一本ずつ見ていくと、鉄板の補強はあるものとないもの、レンガへの巻き方もバラバラです。アーチ支柱の上部にも補強板がある箇所とない箇所があります。きっと補修が必要な箇所だけに鉄板を施したのでしょう。アーチ下部に巻かれた部分を観察すると、若干ずれているようにも見えます。気のせいでしょうか。

建設時から使用されてきたと言われているクレーンが残されていた。クレーン用のレールにも「1894年」の刻印があった(2024年10月撮影)。
国鉄時代の注意書きがそのまま残されていた(2024年10月撮影)。
工場内に必ずといっていいほど存在する緑十字の注意書き(2024年10月撮影)。

外側を散策するとレールが埋もれている

この材料廠は、JR千葉駅から少々離れた場所に位置していました。鉄道連隊は独自の線路を持ち、軽便鉄道クラスの軌道が張り巡らされていたのです。国鉄時代となって鉄道連隊の線路を活用するように、千葉駅方向から引き込み線が延びていて、レールセンターとなった煉瓦棟とつながっていました。

線路のあった光景は企画展の写真を見るのが一番なのですが、その名残は煉瓦棟の壁面に残っています。煉瓦棟の前にはトラバーサと呼ばれる平行移動の転車台があって(路面電車基地によくあるもの)、トタン壁面に残るシャッターにはレールがありました。トラバーサはテニスコートとなって消えていますが、地面部分には草に埋もれたレールが顔をのぞかせています。

トタンの壁面部分からレールが顔をのぞかせていた。左手にはかつてトラバーサがあって、そこへ資材や車両などを搬入していたのだろう(2024年10月撮影)。
1067mm軌間のレールだけでなく、より一層狭い幅のレールも残されていた(2024年10月撮影)。

台車に載せられた列車やレール、鉄道連隊の頃は機関車などがここを伝ってトラバーサへと運ばれ、平行移動して行ったのでしょう。かつての引き込み線は煉瓦棟に対して直角に交わるようにして終点となっていたため、トラバーサで平行移動した“荷”は、引き込み線へと横付けしました。現在は激変しているので、わずかに頭を出すレールから想像します。

反対側の駐車場側の壁面を職員が掘り起こしてみると、600mm軌間のレールが見つかった(2024年10月撮影)。

煉瓦棟は竣工から116年経ちましたが、しっかりとした状態で保存されていました。とはいえ、ところどころのレンガは崩れかけており、早急に補修が必要と思われる箇所も見受けられます。文化財となっているため、今後は補修や長期保存について、関係機関で検討されていくことでしょう。この度の展示は2024年10月31日までともうすぐ終わってしまいますが、大学側としてもまた何かの機会に開放していきたいとのことです。

最近は気象が変化してきているので、一気に風化が進行しないか心配ではあります。うまく補修されて、これからも末長く保存されていくことを願っています。

西側の正面は直射日光が常に当たるため、一部のレンガはご覧のように目地が無くなってしまい宙ぶらりん状態となって危ない(2024年10月撮影)。
明り取り窓の小型アーチの上部にもクラックが入ってしまっている(2024年10月撮影)。

取材・文・撮影=吉永陽一

吉永陽一
写真家・フォトグラファー
鉄道の空撮「空鉄(そらてつ)」を日々発表しているが、実は学生時代から廃墟や廃線跡などの「廃もの」を愛し、廃墟が最大級の人生の癒やしである。廃鉱の大判写真を寝床の傍らに飾り、廃墟で寝起きする疑似体験を20数年間行なっている。部屋に荷物が多すぎ、だんだんと部屋が廃墟になりつつあり、居心地が良い。

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