松本伊代 Adagio【カバーライブ詳細レポート】シティポップの名曲たちを次々と披露!
音楽監督を務める船山基紀が語る松本伊代の魅力
2025年3月22日(土)、松本伊代のライブ『Iyo Matsumoto “Adagio”』が東京・渋谷のJZ Brat Sound of Tokyoで昼夜2回開催された。公演名の Adagio(アダージョ)はイタリア語で “ゆっくりと” “ゆるやかに” を意味する音楽用語。そこに込めた想いを本人はこう語っている。
「春の陽気のなか、ゆるやかに楽しんでいただけたらと。マイペースな私にも合ったタイトルなので、“Journey” と銘打った秋のコンサートとは違ったスタイルで定着していったらいいなと思っています」
近年、精力的な音楽活動を展開している松本は毎年10月に単独コンサートを開催。デビュー40周年アルバム『トレジャー・ヴォイス』(2021年12月)の編曲を手がけた船山基紀が音楽監督を務め、日本を代表するミュージシャンがキャスティングされたステージは回を重ねるごとに注目を浴びている。今回のライブもプロデュースした船山に企画の経緯を訊いてみた。
「ここ数年、伊代さんとご一緒するたびに歌唱力やパフォーマンスの素晴らしさに驚嘆していました。その歌声に触れる機会が秋のコンサートだけというのは勿体ない、もっと広く聴いていただきたいと思ったのがきっかけです。とはいえ従来と同じスタイルではつまらない。何か違う形で皆さんにお届けできないだろうかと考え、今回はカバー中心の選曲で、歌手・松本伊代に思いきりスポットライトを当てようとしたわけです」
ファーストアルバム『センチメンタルI・Y・O』(1981年)から松本の楽曲制作に関わってきた船山は、自身が音楽監督と指揮を務めた『ザ・ヒット・ソング・メーカー 筒美京平の世界 in コンサート』(2021年4月)で久々に彼女と再会。『トレジャー・ヴォイス』収録の「くれないホテル」(オリジナル:西田佐知子)のレコーディングを通じて、持って生まれた魅力的なアルトボイスとそれを操る技量、そして何よりも歌が大好きという姿勢が伝わる人間性に魅了されたという。
「声と技量と人間性。それらが絶妙にミックスされて、伊代さんの口から音楽として流れ出る。聴き手はその音を純粋に受け止めて楽しむことができるのが松本伊代の最大の魅力でしょう」
そう語る船山に松本も全幅の信頼を寄せており、選曲は松本が過去にカバーした曲や今歌いたい歌に、船山のレコメンド曲を加える形で進められた。松本伊代の魅力を知り尽くした船山のアレンジを演奏するミュージシャンは増崎孝司(ギター)と安部潤(キーボード&マニピュレーター)の2人。コーラスを含め9人編成のバンドを従えた秋のコンサートとは趣を変え、松本の歌声を浮き立たせるシンプルな編成だ。
親衛隊から巻き起こる “伊代ちゃん” コール
ファーストステージの開演は14時45分。会場が暗転し、純白のロングドレス姿の松本が登場すると、ピンクの法被とハチマキを着用した親衛隊から “伊代ちゃん” コールが巻き起こる。注目のライブは尾崎亜美が杏里に提供した名バラード「オリビアを聴きながら」でスタート。松本自身も「時に愛は」(1983年)をはじめ、多くの楽曲を尾崎から提供されており、尾崎亜美作品のみで構成されたアルバム『Sugar Rain』(1984年)で「オリビアを聴きながら」をカバーしているが、当時は41年後の自分がステージで歌っている姿は想像すらしていなかったに違いない。
船山が惚れ込んだアルトボイスで、のっけからオーディエンスを惹きつけた松本は、一転してリズミカルな「DOWN TOWN」(オリジナル:シュガー・ベイブ)を歌唱。シティポップの代表曲を軽快に歌って場内の手拍子を誘う。土曜の夜を舞台にした同曲はEPOがカバーし、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)のエンディングテーマとして知られるようになったが、この日が土曜日だったこともあってセレクトしたという。
最初のMCでは今回のライブの趣旨を説明。ファンから “伊代ちゃん、可愛い!” の声が飛ぶと、すかさず 、“ありがとう!最近あまり言われないので嬉しいです” と反応し、笑いを取る。続けて “あれ? こちらからはあまり聞こえないけど… ” と水を向け、ほかのファンからも “可愛い!” を引き出すトークスキルは卓越したコミュニケーション力の為せる業。ステージと客席の距離が近い会場のため、初めて松本のライブに参加した観客に “きっかけは?” “どちらから?” と質問するなど、ホールコンサートとは一味違うリラックスした空気感も心地いい。
船山アレンジで聴かせる数々のカバー曲
飾らないトークで会場を温めた松本は続けて3曲を披露した。まずは1989年に25作目のシングルとしてカバーした「悲しくてやりきれない」(オリジナル:ザ・フォーク・クルセダーズ)。レンジが広く、テンポがゆったりしているため、ごまかしの効かない難曲だが、当時24歳の松本は愁いを帯びた歌声で原曲の世界観を表現した。ちなみにライブでの上演は2016年の35周年コンサート以来9年ぶり。本人は歌唱後のトークで “難しいから最近は歌うことを避けていました” と謙遜したが、時を経て深みと艶を増したボーカルは絶品だった。
続く「黄昏のビギン」(オリジナル:水原弘)は船山の “推し曲” 。前出の「くれないホテル」同様の昭和の名曲で、これまで多くの歌手がカバーしているが、初挑戦の松本はちあきなおみ盤を聴いて練習したという。
カバーの醍醐味は “この曲をもってきたか!” という意外性と、原曲のトレースにとどまらない、その歌手ならではの持ち味との化学反応――。筆者はそう考えているが、歌い手に合わせて約3,000曲のアレンジを手がけてきた船山のセレクトだけに「黄昏のビギン」では松本伊代の新たな可能性が引き出された。明朗で屈託のないキャラクターイメージからすると、一見ミスマッチのようにも思えるが、説得力のある中低音と情感に溢れたファルセットを聴けば、それが先入観に過ぎないことが分かるはずだ。
そしてもう1曲はユーミン(松任谷由実)の「最後の春休み」。松本にとっては学生時代を思い出してキュンとする歌だという。開催時期(3月22日)に合わせて選曲したそうだが、フォーク、和製ジャズ、シティポップが違和感なく混在した構成は、ボーカルの力量とセンス、そしてそれを支える船山アレンジあってこそ。ミュージシャンが2人だけとは思えぬ多彩なサウンドもこの日の聴きどころであった。
あいみょんの「マリーゴールド」に挑戦
演奏する増崎孝司、安部潤は2022年のビルボードライブ以来、松本をバックアップしてきた常連メンバー。バンドマスターの増崎とは曲間に軽妙な掛け合いを展開する一方、寡黙な安部とは松本がツッコミを入れる形で会場を沸かせるなど息もぴったりだ。DIMENSIONのメンバーとして活動する増崎も、今年2月にCASIOPEAに加入した安部も、自身が所属するバンドのライブを控える多忙の身だが、増崎いわく “伊代ちゃんのライブは最優先”。そう思わせる実力と人柄を松本が兼ね備えているからこその発言といえよう。
ライブ中盤では “最近の曲にも挑戦します!” の前振りで、あいみょんの「マリーゴールド」を披露。言葉数が多く、ブレスの入れ方が難しい楽曲だが、松本は “伊代みょんの歌” にすることを意識して歌ったという。自分のオリジナリティをどう出すか――。歌に向き合う真摯な姿勢が船山やミュージシャンから愛されるゆえんだろう。余談になるが、あいみょんは2021年の『THE MUSIC DAY』(日本テレビ系)でフェイバリットソングの1つに「センチメンタル・ジャーニー」(1981年)を挙げている。いつか松本とのコラボが実現することを期待したい。
シティポップ・ブームで再注目されている楽曲を次々と歌唱
話を戻そう。令和のスタンダードソングのあとは、杏里の「地中海ドリーム」(前出のアルバム『Sugar Rain』でもカバー)、竹内まりやの「SEPTEMBER」(セカンドステージでは「不思議なピーチパイ」をカバー)、南佳孝の「モンロー・ウォーク」といった昭和のポップスを次々と歌唱。いずれも近年のシティポップ・ブームで再注目されているアーティストの楽曲だが、松本は持ち前の都会的な感性とリズム感で、伊代流に歌い上げた。
松本自身も、シティポップ系の作家が起用されたアルバム『サムシングI・Y・O』『風のように』『Private File』が復刻されており、シティポップとの相性の良さは実証済み。本公演の直後には『Private File』のアナログ盤が発売され、8月にはブームの中核を担う林哲司のコンサート「シティポップHITSセレクション 林哲司 SONG FILE SPECIAL」への出演が決まるなど、アーティストとしての存在感を高めている。
とはいえ、気負うことなく歌を楽しみたいというスタンスはアイドル時代のまま。10月恒例のコンサートでは事前にSNSで振付を公開し、来場客と一緒に踊るコーナーを設けているが、この日もファン2人をステージに呼び込み、一緒に「SEPTEMBER」や「不思議なピーチパイ」を歌う演出があった。
アンコールでは「センチメンタル・ジャーニー」を披露
“私のライブは参加型。よかったら一緒に歌ってください”
そう言って歌い始めたのは、大瀧詠一が作詞・作曲をした「夢で逢えたら」。あまたのアーティストがカバーしているスタンダードソングで、松本は昨年秋のコンサートでもアンコールで歌っている。今回は客席をラウンドしながらの歌唱で、ひとりひとりにマイクを向けるファンサービスに場内のボルテージはさらに上がった。
続けて歌った「ラブ・LOVE・ラブ」『サムシングI・Y・O』収録)は、1982年の日本武道館公演でもフィナーレを飾ったライブの定番曲。親衛隊のペンライトが振られるなか、サビを大合唱して、新しい趣向のライブは幕を下ろした。
……のはずだったが、“アンコール!” の手拍子と声援が鳴りやまない。その声に応えて再び登場した松本は前半のMCで “今日はカバー曲中心のライブなので、あの曲は歌いません” と言っていた「センチメンタル・ジャーニー」を急遽披露。セカンドステージでは来場していたキャプテンの2人(北澤清子、山本恵子)と一緒に歌うサプライズもあり、少しでも楽しんでいただきたいという想いが十分すぎるほど伝わるライブであった。
次回も皆さんと一緒に何かできたら良いな
本公演のMCで、秋のコンサートを10月4日(土)と5日(日)に開催することを発表した松本と音楽監督の船山に、今回の手ごたえと今後の展望を伺った。
松本:お客様との距離が近い会場だったので最初は緊張しましたが、笑顔で口ずさんでくださっている姿を拝見して、次回も皆さんと一緒に何かできたら良いなと思いました。カバーに限らず、好きな歌を歌いつつ、“Adagio” でしかできないことをやっていけたらと考えています。
船山:今回は小さめの会場で開催したことで、お客様の反応がダイレクトに伝わってきて、楽しい音楽会になったと感じています。今後もこういったライブを定期的にできればと思っていますが、まずは10月のコンサートに全力を注ぎます。
Information
松本伊代 Live 2025 “Journey” and Sweet Sixty
・日時:
2025年10月4日(土)17:00 / 18:00
2025年10月5日(日)15:30 / 16:30
・会場:大手町三井ホール
・5月23日(金)18時よりチケット発売開始
・音楽監督:船山基紀
・演奏:増崎孝司(Gt / バンマス)、安部潤(Key, Mnp)、二家本亮介(Ba)、髭白健(Dr)、AMAZONS(Cho)、アンディ・ウルフ(Sax / 4日)、グスターボ・アナクレート(Sax / 5日)、ルイス・バジェ(Trp / 4日)、竹内悠馬(Trp / 5日)